真田幸村メインの戦国時代ボーイズラブ小説です。幸村をモデルに、彼と真田十勇士の活躍と生涯を描いていきます。
ストーリーメインでBL的要素は少なめです。現代風に書いていきますので、歴史に興味のない方でも読んでいただけると思います。
フィクションですので史実、時代考証、地形などは、軽くスルーでお願いいたします。幸村メインですので、敵対する武将については表現上かなり悪く書く場合もありますのでご了承下さい。
説明(1)
第一章(14)
第二章(12)
第三章(14)
第四章(14)
第五章(14)
第六章(2)
史跡(7)
閑話(3)
第一章〜三章◆上田城(少年期)
才蔵×幸村ですが、まだ二人は出会っておりません。
疾風の勇士−乱世を駆け抜けて− について
2009年10月02日
第四章−14−
才蔵は自分が調べてきたあらましを半蔵に報告した。
ただし、自分が聞いていなかった、十蔵と佐助に関しては、見聞きしたことを報告しなかった。
頼まれていたのは、「小姓二人の監視」と「その二人に真田の若様が接触しているか」だけであったので。
「若様の捜索は打ち切られたぞ。お前の主が真田軍を解体したから、もう捜しても無駄だとなったらしい。戻ってきても真田を継ぐことは不可能のようだ。よかったな」
最後の一言は完全に厭味だったが、半蔵は単に安心しろよと言われたと受け取ったようだ。
「それで小姓二人はどうなる?」
「あぁ、上杉に残ると言ってた。矢沢も残留だ。そのまま上杉で大将くらいにはなるんじゃないか?」
「無理だろう、上杉は今、余所者を中枢に入れることにはかなり警戒している。足軽程度に使われて終わりだろうに」
臆病で卑怯な主しか知らない奴は可愛そうだ。上杉の「義」の精神など、欠片も理解していないのだろう。
結束力が同郷でしか得られないと思うのなら、他人の土地を攻めてはいけない。
「まぁ仕方ないさ。城主を失った侍ってのは、そんなものさ。そもそも兵士なんて使い捨てさ。俺たち忍もな」
才蔵が冷めた口調で言うと、半蔵は鼻から頬に走った傷を歪ませながら、自分は使い捨てじゃないと反論した。
「才蔵、このまま俺たちの仲間になれ。お前が仲間になってくれたら心強い」
「冗談。俺は二度と主は持たないって決めてる」
即座に断る。
「それに、服部組の仲間になったとしたら、俺はお前に使われることになるんだろう? それだけは絶対に、い、や、だ」
指差して言ってやると、さすがの半蔵もむっとしたらしい。
「なんとしても仲間にすると言ったら?」
腰の剣に半蔵が手を掛ける。
「お前が俺に勝てると思うのか?」
才蔵は悠然と立ったまま、綺麗な笑みを浮かべる。壮絶な美しさに、一瞬、我を忘れそうになる。
はっとして首を振り、半蔵は剣を抜いた。
「抜いたからには、俺は収めねーぞ」
美しい笑みの中で、瞳がきらりと光る。
ごくりと息を飲んだ半蔵の周りに、白い靄が広がり始める。
「才蔵……」
「二つ名はお飾りじゃねーぞ?」
白い霧の向こうに、才蔵の姿が溶けていく。
「そちらからだって見えないだろう!」
強がりで言うと、足元に苦無が飛んできた。
「わざと外してやった。次は命中させる」
声から方角を探ろうとしたが、頭上から聞こえてくるようであり、四方八方から響いてくるようでもあり、狙いを定めることはできない。
霧隠れという名前から、霧を扱うのかもとは思っていたが、まさかこれほどまでとはと不気味さが恐怖となって忍び寄ってくる。
「さぁ、逃げろよ、半蔵」
嘲笑の声が響き渡る。自分はまったく方角さえもわからないのに、相手からは見えるのだ。
何か仕掛けがあるはずだ。何か……。
必死で探すが、そもそも仕掛けがどんなものかもわからないのに、探しようがないのだと気づけないでいた。
一歩を踏み出すと、ぱしっとまた苦無が飛んでくる。
一歩下がると、また苦無が。
どちらにも進めず、自分が北を向いているのか、南を向いているのかすらわからなくなる。まるで白い海の中にいるようだと思う。
そう思うと、息苦しく感じられる。
「どうした、半蔵。怖いか? 恐ろしいか?」
笑い声があちこちから木魂する。
「才蔵、やめろ! 仲間だろう!」
「仲間だったことなんて一度もない」
剣を構えた右腕に痛みが走る。苦無がかすっていったのだろう。
「安心しろ。毒は塗らないでやった。まぁ、忍だから毒の耐性くらいはあるだろうけどな?」
完全に馬鹿にされている。わかっているのに手も足も出せない。
「服部半蔵の名前が泣くぞ。反撃くらいしてくれよ」
頭にかっと血が昇る。
才蔵は、どうすれば、何を言えば半蔵が傷つくかを知っているのだ。
「二度と会うことのないように祈っておけ。今度会うときは、真っ先に狙ってやる」
ばさっと目の前を黒い影が横切る。ひぃっと半蔵は頭を抱えて尻餅をついた。
恐る恐る顔を上げると、ゆっくりと霧が晴れていくところだった。
「才蔵……?」
小さな声で名前を呼んでみるが、応答はない。答えがないことにほっとする。
あんな奴、配下にしたら寝首を掻かれる。だから逃がしてやった。
そうやって自分を正当化する。
右腕がじんじんと痛む。塗り薬を塗りつけて、汚れていない布を丁寧に巻いた。
半蔵が立ち去るのを見届けて、才蔵は姿を現した。
これから徳川がどう出るのかはわからない。わかるつもりもない。
世の中は羽柴に傾いている。上杉で耳に挟んだことだが、いよいよ四国が攻められるらしい。
もう一生、戦にも大名にも関わるつもりはなかったが、見物くらいなら面白いかもしれない。
「西かぁ。ちょっと遠いなぁ」
後ろで結んだ髪を結い直して、背伸びをした。
面倒というわりには、その表情は楽しそうだった。
ただし、自分が聞いていなかった、十蔵と佐助に関しては、見聞きしたことを報告しなかった。
頼まれていたのは、「小姓二人の監視」と「その二人に真田の若様が接触しているか」だけであったので。
「若様の捜索は打ち切られたぞ。お前の主が真田軍を解体したから、もう捜しても無駄だとなったらしい。戻ってきても真田を継ぐことは不可能のようだ。よかったな」
最後の一言は完全に厭味だったが、半蔵は単に安心しろよと言われたと受け取ったようだ。
「それで小姓二人はどうなる?」
「あぁ、上杉に残ると言ってた。矢沢も残留だ。そのまま上杉で大将くらいにはなるんじゃないか?」
「無理だろう、上杉は今、余所者を中枢に入れることにはかなり警戒している。足軽程度に使われて終わりだろうに」
臆病で卑怯な主しか知らない奴は可愛そうだ。上杉の「義」の精神など、欠片も理解していないのだろう。
結束力が同郷でしか得られないと思うのなら、他人の土地を攻めてはいけない。
「まぁ仕方ないさ。城主を失った侍ってのは、そんなものさ。そもそも兵士なんて使い捨てさ。俺たち忍もな」
才蔵が冷めた口調で言うと、半蔵は鼻から頬に走った傷を歪ませながら、自分は使い捨てじゃないと反論した。
「才蔵、このまま俺たちの仲間になれ。お前が仲間になってくれたら心強い」
「冗談。俺は二度と主は持たないって決めてる」
即座に断る。
「それに、服部組の仲間になったとしたら、俺はお前に使われることになるんだろう? それだけは絶対に、い、や、だ」
指差して言ってやると、さすがの半蔵もむっとしたらしい。
「なんとしても仲間にすると言ったら?」
腰の剣に半蔵が手を掛ける。
「お前が俺に勝てると思うのか?」
才蔵は悠然と立ったまま、綺麗な笑みを浮かべる。壮絶な美しさに、一瞬、我を忘れそうになる。
はっとして首を振り、半蔵は剣を抜いた。
「抜いたからには、俺は収めねーぞ」
美しい笑みの中で、瞳がきらりと光る。
ごくりと息を飲んだ半蔵の周りに、白い靄が広がり始める。
「才蔵……」
「二つ名はお飾りじゃねーぞ?」
白い霧の向こうに、才蔵の姿が溶けていく。
「そちらからだって見えないだろう!」
強がりで言うと、足元に苦無が飛んできた。
「わざと外してやった。次は命中させる」
声から方角を探ろうとしたが、頭上から聞こえてくるようであり、四方八方から響いてくるようでもあり、狙いを定めることはできない。
霧隠れという名前から、霧を扱うのかもとは思っていたが、まさかこれほどまでとはと不気味さが恐怖となって忍び寄ってくる。
「さぁ、逃げろよ、半蔵」
嘲笑の声が響き渡る。自分はまったく方角さえもわからないのに、相手からは見えるのだ。
何か仕掛けがあるはずだ。何か……。
必死で探すが、そもそも仕掛けがどんなものかもわからないのに、探しようがないのだと気づけないでいた。
一歩を踏み出すと、ぱしっとまた苦無が飛んでくる。
一歩下がると、また苦無が。
どちらにも進めず、自分が北を向いているのか、南を向いているのかすらわからなくなる。まるで白い海の中にいるようだと思う。
そう思うと、息苦しく感じられる。
「どうした、半蔵。怖いか? 恐ろしいか?」
笑い声があちこちから木魂する。
「才蔵、やめろ! 仲間だろう!」
「仲間だったことなんて一度もない」
剣を構えた右腕に痛みが走る。苦無がかすっていったのだろう。
「安心しろ。毒は塗らないでやった。まぁ、忍だから毒の耐性くらいはあるだろうけどな?」
完全に馬鹿にされている。わかっているのに手も足も出せない。
「服部半蔵の名前が泣くぞ。反撃くらいしてくれよ」
頭にかっと血が昇る。
才蔵は、どうすれば、何を言えば半蔵が傷つくかを知っているのだ。
「二度と会うことのないように祈っておけ。今度会うときは、真っ先に狙ってやる」
ばさっと目の前を黒い影が横切る。ひぃっと半蔵は頭を抱えて尻餅をついた。
恐る恐る顔を上げると、ゆっくりと霧が晴れていくところだった。
「才蔵……?」
小さな声で名前を呼んでみるが、応答はない。答えがないことにほっとする。
あんな奴、配下にしたら寝首を掻かれる。だから逃がしてやった。
そうやって自分を正当化する。
右腕がじんじんと痛む。塗り薬を塗りつけて、汚れていない布を丁寧に巻いた。
半蔵が立ち去るのを見届けて、才蔵は姿を現した。
これから徳川がどう出るのかはわからない。わかるつもりもない。
世の中は羽柴に傾いている。上杉で耳に挟んだことだが、いよいよ四国が攻められるらしい。
もう一生、戦にも大名にも関わるつもりはなかったが、見物くらいなら面白いかもしれない。
「西かぁ。ちょっと遠いなぁ」
後ろで結んだ髪を結い直して、背伸びをした。
面倒というわりには、その表情は楽しそうだった。
2009年10月01日
第四章−13−
年が明けて寒さが厳しさを増した頃、長浜の宿屋に一人の武士が宿を取った。
このあたりでは大きめの宿で、乗ってきた馬を安心して預けられるのがありがたかった。
一夜をぐっすり寝られればいいかと取った宿だが、船宿だったので、土間の食堂で夕食も頼むことにした。
今は魚もあまり獲れないらしいが、それでも干物や味噌漬けの魚が食べられて、久しぶりの満腹感にほっとする。
「お侍さんは北陸の人かい?」
宿屋の主人は気兼ねなく話しかけてくるが、武士はあまり話したくはないようで、微かに首を振るだけだった。足元に置いた長細い袋は鉄砲が入っているらしく、どことなく人を避けたいようで、主人もそれ以上の愛想を振りまくのは止めることにした。
「よー、旦那、久しぶり」
賑やかな客が入ってきてくれてほっとする。
「今回は早かったね。京じゃいい女に袖にされたのか?」
「ははは。まぁ、そんなもんだ。それより、元気な声が迎えに出てこなかった。あの坊主たちは?」
最近まで働いてくれていた少年二人の事を聞かれ、主人は気落ちしたように顔を曇らせた。
「それが年越しを待たずに出て行ってしまったんだ。もう少しいてくれと頼んだんだがなぁ」
できることならずっと世話を見つつ、ちゃんと仕込みたいと思っていたのだが、あまりにも急にやめたいと言われ、そのまま出て行ってしまった。
「なんだぁ、それならこんなに急いで戻らなかったのに」
なじみの客に酒を出してやり、人も少ないのをいいことに、主人も向かいに座った。誰かに愚痴をいいたかったのかもしれない。
「移った所を教えろって言う客もいたよ。本当にいい子たちだったんだがなぁ」
いかにも惜しそうに言うので、客のほうが慰める形になってしまう。
「まぁまぁ、仕方ねぇよ、あの幸村はきっと、名のある武士の子だよ。いつまでもこんな船宿で下男働きなんかしているものか」
「親は戦で死んだって言ってたんだがなぁ」
「どことなく気を惹く子だったよな。変な奴に絡まれてなきゃいいんだが」
「佐助が守るだろう……」
がたんと椅子の倒れる音がして、主人と客が横を見た。まだ若い武士が驚いた顔で立ち上がり、二人を見つめていた。
「お侍さん? どうかなさいましたか?」
何か粗相をしただろうか、二人の話がうるさかっただろうかと、主人は申し訳なさそうに謝った。
「今、佐助と言ったか? 子ども二人連れで、一人が佐助?」
武士は震えるような声で、主人に確かめてきた。
「え、えぇ。ここで一月ほど働いていたんですけどね。年の暮れに急に辞めたんです」
「もう一人の名前は?」
「幸村っていいます。ご存知ですか? 二人は天涯孤独だと言ってたんですが」
その名前には眉を顰められた。知り合いではないのだろうか。
「幸村という子どものほうが上品な感じで、佐助という方が守るようにしていたのだな?」
「そうです。辛い仕事ほど進んで代わったり、荒れた手に薬を塗ってやったり。甲斐甲斐しい世話振りでしたよ」
……こんな偶然があるのだろうか。
十蔵は全身が震えそうだった。嬉しくて。
「その二人はどこへ行った? 何か聞いてないか?」
十蔵の気迫に、主人はぶるぶると首を振る。
「何も。あ、ただ、瀬田で連れたちと合流すると。入れ違いになったら、そう伝えてくれって頼まれました」
「連れ?」
「えぇ、そうです。城の人足をしている二人のおじがいると。おじと言っても、血の繋がりはないように思いますよ。二人とも坊主崩れで、経を詠むより戦に出るのが向いているような二人で」
主人の説明に、別人だろうかと迷いが生じる。
けれど。幸村……幸村と心の中で呟いて、一つの可能性を思いついた。
幸隆、昌幸と続いてきた真田の当主。その文字に繋がる名前。傍にいる佐助。
別人であるわけがない。
しかし、無事ならばどうして戻ってこない。誰もが心配していることなど、源次郎ならばわかっていて当然だ。それを裏切るような子でもない。
「幸村のお知り合いですか?」
主人がおずおずと聞いてくる。
「いや、人違いのようだ。勘違いだ。すまない」
二人で逃げたはずの源次郎が、何故か僧兵を二人連れている。
源次郎の行動の理由を必死で考えた。
彼は、知っているのだろうか。上田城がどうなっているのかを。
上田城に戻ろうとした源次郎を自分達が引きとめた。
今の年の源次郎では、戻っても大将として立てられぬ。立てたとしても、外から上田城を取り戻すのは至難の技だ。それは上田城に仕えた者ならば嫌というほど知っている。
若様まで亡くしてはならない。それが真田軍の総意とも云えた。
源次郎がそれを正確に理解して行動していたとしたら?
既に仲間を連れている源次郎の現在に、身の内から震えるほどの感動が押し寄せてくる。
すぐにでも後を追いたい気持ちになった十蔵だが、瀬田からは道が大きく分かれる。京に行ったのか、大和に行ったのか、大坂に向かったのか。
一本間違えばそのまま会えなくなる。
それよりは……。
一晩を熟考して、十蔵は決意を固めた。
今は後を追わない。
上田城に向かおうとした殿を引きとめたのは自分の腕である。その自分が後を追いかけるだけでいいのか。駄目だ。
源次郎が考え、成そうとしていることの、準備こそ、自分の役目である。
離れ離れになった真田配下の武将たちは、このままではいずれ分散し、いずれどこかの戦場で敵味方として対峙してしまうかもしれない。そんなことはさせられない。
むしろ、分散させられたことを好機としよう。敵の動きを逸早く知ることだって出来るのだと。
そのために、北条、松平、村上を繋ぐ役目が必要だ。
殿を引き止めた責任は自分で取ると決めた。
翌朝、鉄砲を担いで出発する武士を見送りに出た主人は、彼がくるりと振り向いたのに驚いた。
「昨日話してくれた二人連れのこと。これで今後一切、忘れてくれないか」
ずしりと重い布袋を渡される。
「え、ちょっと……これは」
あまりの金額に、主人は震える。
「誰に聞かれても、そんな二人はいなかったと話してくれ。誰に聞かれても」
念を押す武士に圧倒されて、主人は口を開けて見上げてくるばかりだ。
「よいな、幸村と佐助はここにはいなかった。頼んだぞ」
ようやく我に返った主人は、両手に乗せられた袋のその重みが、幸村の命の重みにも思えた。これから死ぬまで頑張っても稼げないような金額に、驚きつつも、どことはなく納得していた。やっぱりただの孤児ではなかったのだと。
「わかりました。二人はいなかった。馴染みの客が来ても、子どもを捜す者が来ても、わしは知りません」
「くれぐれも頼む。そうだ、もし、もしも、その二人がここに訪ねてくることがあれば、これを渡してくれ」
もう一つの布袋を渡される。こちらも同じくらいの重みがある。
「こんな高額、預かれません。それに、あの子達は出て行ったんですよ。戻ってこなかったら、どうやってお返しするんですか」
何という無用心な侍だと呆れてしまう。
「その時は自分のものにすればいい。その代わり約束してくれ。あと十年、ここで船宿をしていてくれ。その間に二人に会ったらそれを渡してくれ。それまでの約束金だ」
「お侍さん、金で目の眩む輩も多いんですよ。こんなの、簡単に渡しちゃいけませんって」
おろおろとする様子がおかしい。そんな奴はもっともっとと要求するだろう。
新しい銃を購うつもりだった金だが、それが源次郎に渡るならば惜しくない。わたらなくても、二人をここで食いつながせてくれて、親身に惜しんでくれるこの主人が、悪者だとは思えなかった。
自分に人を見る目はないのだが、源次郎の目は確かなのだ。
「ありがとう、ご主人。くれぐれも頼む」
本当にありがとう、二人を守ってくれて。優しくしてやってくれて。
十蔵は深々と礼をして、さらに主人を慌てさせた。
まずは上田に戻ろう。十蔵は来た道を引き返していった。
このあたりでは大きめの宿で、乗ってきた馬を安心して預けられるのがありがたかった。
一夜をぐっすり寝られればいいかと取った宿だが、船宿だったので、土間の食堂で夕食も頼むことにした。
今は魚もあまり獲れないらしいが、それでも干物や味噌漬けの魚が食べられて、久しぶりの満腹感にほっとする。
「お侍さんは北陸の人かい?」
宿屋の主人は気兼ねなく話しかけてくるが、武士はあまり話したくはないようで、微かに首を振るだけだった。足元に置いた長細い袋は鉄砲が入っているらしく、どことなく人を避けたいようで、主人もそれ以上の愛想を振りまくのは止めることにした。
「よー、旦那、久しぶり」
賑やかな客が入ってきてくれてほっとする。
「今回は早かったね。京じゃいい女に袖にされたのか?」
「ははは。まぁ、そんなもんだ。それより、元気な声が迎えに出てこなかった。あの坊主たちは?」
最近まで働いてくれていた少年二人の事を聞かれ、主人は気落ちしたように顔を曇らせた。
「それが年越しを待たずに出て行ってしまったんだ。もう少しいてくれと頼んだんだがなぁ」
できることならずっと世話を見つつ、ちゃんと仕込みたいと思っていたのだが、あまりにも急にやめたいと言われ、そのまま出て行ってしまった。
「なんだぁ、それならこんなに急いで戻らなかったのに」
なじみの客に酒を出してやり、人も少ないのをいいことに、主人も向かいに座った。誰かに愚痴をいいたかったのかもしれない。
「移った所を教えろって言う客もいたよ。本当にいい子たちだったんだがなぁ」
いかにも惜しそうに言うので、客のほうが慰める形になってしまう。
「まぁまぁ、仕方ねぇよ、あの幸村はきっと、名のある武士の子だよ。いつまでもこんな船宿で下男働きなんかしているものか」
「親は戦で死んだって言ってたんだがなぁ」
「どことなく気を惹く子だったよな。変な奴に絡まれてなきゃいいんだが」
「佐助が守るだろう……」
がたんと椅子の倒れる音がして、主人と客が横を見た。まだ若い武士が驚いた顔で立ち上がり、二人を見つめていた。
「お侍さん? どうかなさいましたか?」
何か粗相をしただろうか、二人の話がうるさかっただろうかと、主人は申し訳なさそうに謝った。
「今、佐助と言ったか? 子ども二人連れで、一人が佐助?」
武士は震えるような声で、主人に確かめてきた。
「え、えぇ。ここで一月ほど働いていたんですけどね。年の暮れに急に辞めたんです」
「もう一人の名前は?」
「幸村っていいます。ご存知ですか? 二人は天涯孤独だと言ってたんですが」
その名前には眉を顰められた。知り合いではないのだろうか。
「幸村という子どものほうが上品な感じで、佐助という方が守るようにしていたのだな?」
「そうです。辛い仕事ほど進んで代わったり、荒れた手に薬を塗ってやったり。甲斐甲斐しい世話振りでしたよ」
……こんな偶然があるのだろうか。
十蔵は全身が震えそうだった。嬉しくて。
「その二人はどこへ行った? 何か聞いてないか?」
十蔵の気迫に、主人はぶるぶると首を振る。
「何も。あ、ただ、瀬田で連れたちと合流すると。入れ違いになったら、そう伝えてくれって頼まれました」
「連れ?」
「えぇ、そうです。城の人足をしている二人のおじがいると。おじと言っても、血の繋がりはないように思いますよ。二人とも坊主崩れで、経を詠むより戦に出るのが向いているような二人で」
主人の説明に、別人だろうかと迷いが生じる。
けれど。幸村……幸村と心の中で呟いて、一つの可能性を思いついた。
幸隆、昌幸と続いてきた真田の当主。その文字に繋がる名前。傍にいる佐助。
別人であるわけがない。
しかし、無事ならばどうして戻ってこない。誰もが心配していることなど、源次郎ならばわかっていて当然だ。それを裏切るような子でもない。
「幸村のお知り合いですか?」
主人がおずおずと聞いてくる。
「いや、人違いのようだ。勘違いだ。すまない」
二人で逃げたはずの源次郎が、何故か僧兵を二人連れている。
源次郎の行動の理由を必死で考えた。
彼は、知っているのだろうか。上田城がどうなっているのかを。
上田城に戻ろうとした源次郎を自分達が引きとめた。
今の年の源次郎では、戻っても大将として立てられぬ。立てたとしても、外から上田城を取り戻すのは至難の技だ。それは上田城に仕えた者ならば嫌というほど知っている。
若様まで亡くしてはならない。それが真田軍の総意とも云えた。
源次郎がそれを正確に理解して行動していたとしたら?
既に仲間を連れている源次郎の現在に、身の内から震えるほどの感動が押し寄せてくる。
すぐにでも後を追いたい気持ちになった十蔵だが、瀬田からは道が大きく分かれる。京に行ったのか、大和に行ったのか、大坂に向かったのか。
一本間違えばそのまま会えなくなる。
それよりは……。
一晩を熟考して、十蔵は決意を固めた。
今は後を追わない。
上田城に向かおうとした殿を引きとめたのは自分の腕である。その自分が後を追いかけるだけでいいのか。駄目だ。
源次郎が考え、成そうとしていることの、準備こそ、自分の役目である。
離れ離れになった真田配下の武将たちは、このままではいずれ分散し、いずれどこかの戦場で敵味方として対峙してしまうかもしれない。そんなことはさせられない。
むしろ、分散させられたことを好機としよう。敵の動きを逸早く知ることだって出来るのだと。
そのために、北条、松平、村上を繋ぐ役目が必要だ。
殿を引き止めた責任は自分で取ると決めた。
翌朝、鉄砲を担いで出発する武士を見送りに出た主人は、彼がくるりと振り向いたのに驚いた。
「昨日話してくれた二人連れのこと。これで今後一切、忘れてくれないか」
ずしりと重い布袋を渡される。
「え、ちょっと……これは」
あまりの金額に、主人は震える。
「誰に聞かれても、そんな二人はいなかったと話してくれ。誰に聞かれても」
念を押す武士に圧倒されて、主人は口を開けて見上げてくるばかりだ。
「よいな、幸村と佐助はここにはいなかった。頼んだぞ」
ようやく我に返った主人は、両手に乗せられた袋のその重みが、幸村の命の重みにも思えた。これから死ぬまで頑張っても稼げないような金額に、驚きつつも、どことはなく納得していた。やっぱりただの孤児ではなかったのだと。
「わかりました。二人はいなかった。馴染みの客が来ても、子どもを捜す者が来ても、わしは知りません」
「くれぐれも頼む。そうだ、もし、もしも、その二人がここに訪ねてくることがあれば、これを渡してくれ」
もう一つの布袋を渡される。こちらも同じくらいの重みがある。
「こんな高額、預かれません。それに、あの子達は出て行ったんですよ。戻ってこなかったら、どうやってお返しするんですか」
何という無用心な侍だと呆れてしまう。
「その時は自分のものにすればいい。その代わり約束してくれ。あと十年、ここで船宿をしていてくれ。その間に二人に会ったらそれを渡してくれ。それまでの約束金だ」
「お侍さん、金で目の眩む輩も多いんですよ。こんなの、簡単に渡しちゃいけませんって」
おろおろとする様子がおかしい。そんな奴はもっともっとと要求するだろう。
新しい銃を購うつもりだった金だが、それが源次郎に渡るならば惜しくない。わたらなくても、二人をここで食いつながせてくれて、親身に惜しんでくれるこの主人が、悪者だとは思えなかった。
自分に人を見る目はないのだが、源次郎の目は確かなのだ。
「ありがとう、ご主人。くれぐれも頼む」
本当にありがとう、二人を守ってくれて。優しくしてやってくれて。
十蔵は深々と礼をして、さらに主人を慌てさせた。
まずは上田に戻ろう。十蔵は来た道を引き返していった。
誉田(こんだ)の戦い―夏の陣

大坂夏の陣、誉田の戦い(道明寺の戦い)の石碑。
大阪府羽曳野市の誉田八幡宮境内にあります。
点在する古墳などの位置から推察すると、この辺りに真田軍が布陣したと思われます。
ここで伊達政宗と対決したんですねぇ。

石碑の横に「大坂の役真田幸村」の文字が読めます。写真だと判りづらくてすみません。

説明の看板ですが、そこには幸村の名前はありませんでした。
ここから天王寺茶臼山に引き上げるのに、通った道をたどってみたいです。
布陣の図を見ると、真田軍が殿(しんがり)を取ったと思うんですが、確実な資料がわからなかった。ただ、あの有名な挑発台詞は、どう考えても最後尾だろうなと。
2009年09月30日
第四章−12−
気前よく使われてへとへとになりながらも、少ないなりに給金ももらって、数日間は船で寝泊りもした。
苦労を厭わずに働くので、水兵からも可愛がられる。が、男たちの下品なからかいには本気で困った。
男ばかりの生活で話に遠慮がなく、子ども相手という配慮もまったくない。
裸同然で働くので、話は自然と下関係に集中していく。
長い船旅や戦で、男同士の関係も珍しくない。発散するのに、船上はあまりに狭く、関係もおおっぴらで、その分明るいのが救いではある。
「何なら一生面倒見てやるぞ。もう少し育ったらな」
子どもに手を出さないだけの分別はあるらしいが、それが補償になるとは思いにくい。
それでも兵士達と一緒に育ったような幸村にとって、船の生活は不快なものではなかった。
周りが全て羽柴の兵士だとわかっているので、気が抜けるのもありがたかった。
五日が過ぎた頃、水軍は大坂湾を出港して行った。
浜辺で見送ると、途端に静かになる。
「隠れて乗り込んでしまえばよかったかな?」
幸村が少しばかり心残りで呟くと、背中から声をかけられた。
「船に乗りたいんなら、連れてってやるぞ」
はっとして振り返ると、腕を組んだ男が二人を見下ろしていた。
なめし皮の袖なしの着物を着て、短めの袴をはいている男はまだ若そうだったが、赤銅色に日焼けしているところから、漁師か何かだろうと思われた。
「貴方は?」
簡単に乗せてやろうというが、当たりに船は見当たらない。
「俺はこのあたりに、水軍の軍船が集まっていると聞いて、ちょっと見学に来たんだ。しばらく見ていたら、こまこまとよく働く子どもを見かけたんで、うちの船で育てるのもいいなと思ったんだ」
名乗りを上げずに言うところが非常に怪しい。
「船で生活するつもりはないです」
幸村がきっぱり言うと、男は片眉を跳ね上げた。
「潜り込もうかって言ってたじゃねーか」
「皆さん、親切でしたから」
横にいる佐助の警戒が強くなっていく。いざとなったら飛び掛るかもしれない。
「俺だって親切にしてやるぜ?」
にたにたと笑う顔つきが厭だ。
「おじたちも堺の港で待っていますから」
子供二人きりだと思われないよう、注意深く話した。
男は水軍の偵察に来ていたのだろう。四国の間者かもしれないし、それ以外の所からきているのかもしれない。けれど、きな臭いのは確かだ。幸村たちが船にいたのを知り、さらって内部の様子を吐かせるつもりかもしれない。
「そんなに警戒するなよ。別に取って食おうって言うわけじゃなし」
相手が一歩踏み出すのに、幸村は佐助の手首を掴んで二歩下がった。背の高い、筋肉逞しい男とでは、それだけの歩幅の差がある。
「おじたちが待っていますので。失礼します」
幸村が佐助を引っ張って浜辺を戻ろうとすると、しゅっと音がして、細い縄が飛んできた。
咄嗟に身を伏せ、飛び退く。その縄を佐助の忍び針が断ち切った。
ひゅうと男が口笛を吹く。
「やっぱりな。ただものじゃねーな」
それはお互い様だろうと言いたかったが、手に持てる武器がなく、退路を探って視線を動かす。
「油断ならねーな。どこの手のものだ。羽柴郡の水軍に潜り込んで何を探ってた。どこの手のもんだ」
新たな縄を取り出して、両手で広げる。
「知りません。何のことかわかりません」
面倒ごとだけは起こしたくない。山の峠道ならば、人目もなく、いくらでも逃げようもあったが、まだ浜の様子もわからず、葺きがないことが痛かった。
「一応手加減はするが、できればおとなしく白状してくれや」
しゅんしゅんと縄を振る。
「さっきのはただの縄だけど、これは中に鉄の糸が縫いこんであるぜ」
切れないのだと最初に言うあたり、本当に子ども相手の手加減はしてくれるらしい。
佐助が飛ぶのを視界の隅に捕らえ、幸村は反対のほうに走った。
だが、走りなれない砂浜に、いつもよりずっと遅くなってしまう。その足元に縄が飛んできた。
ずさっと砂地に転んでしまう。右足に痛みが走った。そのまま体が砂の上を滑る。男が縄を手元に手繰り寄せているのだろう。
その男めがけて佐助が飛んだ。縄を持つ手元に狙いをつけて、細身の短剣を揮う。
「くそっ、忍か」
男は、縄を緩めるが、手からは離さなかった。その間に幸村は、足首に絡みついた縄を解いた。
「幸村さまっ!」
手元目掛けて飛んできた棒を受け取る。ちょうどよい長さの棒は、佐助がどこからか見つけてきた櫂のようだった。
両手で握り、戦闘態勢を取る。
「ほう……」
佐助が離れて、男は態勢を立て直した。
「俺は本当に間者ではない。このまま行かせろ」
「忍を連れていて、その言い訳は通じないな」
幸村が構える後ろに、佐助は身を低くして攻撃の機会を窺っている。
山の中のように隠れる場所がある場合、佐助は幸村と獲物を挟むようにして身を隠すが、開けた場所では幸村の背後で敵の目が届かないようにする。
幸村の攻撃に手を取られているうちに飛び掛るのだ。
この目くらましに、たいていの相手はてこずるようだった。
「貴様こそ何者だ。どこの手のものだ。羽柴側で疑っていたのなら、船上で問い詰めたはずだ」
ふっと不敵な笑みが浮かび、男は幸村目掛けて縄を投げた。櫂で払い、身を返して男の懐に踏み込んだ。
その途端、ざっと後ろに飛ばれてまた距離をとられる。幸村が槍のように櫂を突き出すと、縄でそれを止められた。本当に鉄の糸が編みこまれているらしく、手応えが重い。
だが、その縄の重さを櫂の反動に使い、飛び上がって櫂の柄のほうで攻撃を繰り出す。
がきっと男が縄を巻いた腕でそれを受け止める。その肩に佐助が切りつけた。
避けられないと見切ったのか、男は幸村ごと砂浜に後ろに倒れていった。それには幸村も対処できずに、倒れこんでしまう。反転して逃げるより早く、逞しい腕が首に回された。
「あいにく、海の上と浜辺じゃ、俺の方に分があるみたいだぜ」
「幸村さまっ!」
佐助が形相険しく飛び掛ろうとするのに、男は幸村を盾にして防いだ。
「吐け。徳川か、北条か」
思わぬ名前を出され、幸村はかっとなった。
「死んでもあいつらには使われたくないっ!」
ぴたりと動きを止めた男は、次の瞬間、大声で笑い出し、唖然とする幸村を離した。
幸村をかばうように背中にかばい、短刀を構える佐助に対して、男は手から縄をはずして見せた。
「貴様」
「関東勢じゃないんならさっさと言えよ。変に隠すから疑うんだろう」
とてもその様には思えなかったが、とりあえずの警戒は解いた。
「俺たちは本当に、戦で親を亡くして放浪の身だ」
「その親を殺したのは、徳川か北条のどちらかってわけだ」
返事はしなかったが、無言がその答えと受け取られたようだ。
「俺も似たようなもんだ。親は殺されたんじゃないがな。船と仲間をやられた。お前があっちの間者だったら、反対に探ってやろうと思ったんだ。悪かった」
あっさりと謝って笑う顔には、先ほどのような険はない。
「船はもうないのか」
「あるぜ。お詫びに乗せてやってもいい。それなりに手伝っては貰いたいけどな」
信じていいものか迷いはあるが、疑うだけの怪しさはもう消えてしまっていた。
「それで、名を何と言う」
「根津甚八だ。駿河から瀬戸内までなら、俺の庭みたいなもんだ」
「四国の人か?」
「さぁ、生まれたのは船の上だ。親は海で死んで、主なんてもんはいねぇ」
「海賊か?」
「今は仲間もいないから、やめたがな」
顔や目つきに嘘は感じられなかった。それどころか、徳川や北条に対する恨みは本物のように見えた。
「乗せてもらう。水軍の様子が見たい」
いいのかと佐助が心配そうに見る。
「いいぜ」
「あと二人連れがいる」
三次兄弟もいれば、いざというときもなんとかなるだろう。
「船は大きい。仲間はいない。自由にしていい」
男は楽しそうに幸村を見た。
苦労を厭わずに働くので、水兵からも可愛がられる。が、男たちの下品なからかいには本気で困った。
男ばかりの生活で話に遠慮がなく、子ども相手という配慮もまったくない。
裸同然で働くので、話は自然と下関係に集中していく。
長い船旅や戦で、男同士の関係も珍しくない。発散するのに、船上はあまりに狭く、関係もおおっぴらで、その分明るいのが救いではある。
「何なら一生面倒見てやるぞ。もう少し育ったらな」
子どもに手を出さないだけの分別はあるらしいが、それが補償になるとは思いにくい。
それでも兵士達と一緒に育ったような幸村にとって、船の生活は不快なものではなかった。
周りが全て羽柴の兵士だとわかっているので、気が抜けるのもありがたかった。
五日が過ぎた頃、水軍は大坂湾を出港して行った。
浜辺で見送ると、途端に静かになる。
「隠れて乗り込んでしまえばよかったかな?」
幸村が少しばかり心残りで呟くと、背中から声をかけられた。
「船に乗りたいんなら、連れてってやるぞ」
はっとして振り返ると、腕を組んだ男が二人を見下ろしていた。
なめし皮の袖なしの着物を着て、短めの袴をはいている男はまだ若そうだったが、赤銅色に日焼けしているところから、漁師か何かだろうと思われた。
「貴方は?」
簡単に乗せてやろうというが、当たりに船は見当たらない。
「俺はこのあたりに、水軍の軍船が集まっていると聞いて、ちょっと見学に来たんだ。しばらく見ていたら、こまこまとよく働く子どもを見かけたんで、うちの船で育てるのもいいなと思ったんだ」
名乗りを上げずに言うところが非常に怪しい。
「船で生活するつもりはないです」
幸村がきっぱり言うと、男は片眉を跳ね上げた。
「潜り込もうかって言ってたじゃねーか」
「皆さん、親切でしたから」
横にいる佐助の警戒が強くなっていく。いざとなったら飛び掛るかもしれない。
「俺だって親切にしてやるぜ?」
にたにたと笑う顔つきが厭だ。
「おじたちも堺の港で待っていますから」
子供二人きりだと思われないよう、注意深く話した。
男は水軍の偵察に来ていたのだろう。四国の間者かもしれないし、それ以外の所からきているのかもしれない。けれど、きな臭いのは確かだ。幸村たちが船にいたのを知り、さらって内部の様子を吐かせるつもりかもしれない。
「そんなに警戒するなよ。別に取って食おうって言うわけじゃなし」
相手が一歩踏み出すのに、幸村は佐助の手首を掴んで二歩下がった。背の高い、筋肉逞しい男とでは、それだけの歩幅の差がある。
「おじたちが待っていますので。失礼します」
幸村が佐助を引っ張って浜辺を戻ろうとすると、しゅっと音がして、細い縄が飛んできた。
咄嗟に身を伏せ、飛び退く。その縄を佐助の忍び針が断ち切った。
ひゅうと男が口笛を吹く。
「やっぱりな。ただものじゃねーな」
それはお互い様だろうと言いたかったが、手に持てる武器がなく、退路を探って視線を動かす。
「油断ならねーな。どこの手のものだ。羽柴郡の水軍に潜り込んで何を探ってた。どこの手のもんだ」
新たな縄を取り出して、両手で広げる。
「知りません。何のことかわかりません」
面倒ごとだけは起こしたくない。山の峠道ならば、人目もなく、いくらでも逃げようもあったが、まだ浜の様子もわからず、葺きがないことが痛かった。
「一応手加減はするが、できればおとなしく白状してくれや」
しゅんしゅんと縄を振る。
「さっきのはただの縄だけど、これは中に鉄の糸が縫いこんであるぜ」
切れないのだと最初に言うあたり、本当に子ども相手の手加減はしてくれるらしい。
佐助が飛ぶのを視界の隅に捕らえ、幸村は反対のほうに走った。
だが、走りなれない砂浜に、いつもよりずっと遅くなってしまう。その足元に縄が飛んできた。
ずさっと砂地に転んでしまう。右足に痛みが走った。そのまま体が砂の上を滑る。男が縄を手元に手繰り寄せているのだろう。
その男めがけて佐助が飛んだ。縄を持つ手元に狙いをつけて、細身の短剣を揮う。
「くそっ、忍か」
男は、縄を緩めるが、手からは離さなかった。その間に幸村は、足首に絡みついた縄を解いた。
「幸村さまっ!」
手元目掛けて飛んできた棒を受け取る。ちょうどよい長さの棒は、佐助がどこからか見つけてきた櫂のようだった。
両手で握り、戦闘態勢を取る。
「ほう……」
佐助が離れて、男は態勢を立て直した。
「俺は本当に間者ではない。このまま行かせろ」
「忍を連れていて、その言い訳は通じないな」
幸村が構える後ろに、佐助は身を低くして攻撃の機会を窺っている。
山の中のように隠れる場所がある場合、佐助は幸村と獲物を挟むようにして身を隠すが、開けた場所では幸村の背後で敵の目が届かないようにする。
幸村の攻撃に手を取られているうちに飛び掛るのだ。
この目くらましに、たいていの相手はてこずるようだった。
「貴様こそ何者だ。どこの手のものだ。羽柴側で疑っていたのなら、船上で問い詰めたはずだ」
ふっと不敵な笑みが浮かび、男は幸村目掛けて縄を投げた。櫂で払い、身を返して男の懐に踏み込んだ。
その途端、ざっと後ろに飛ばれてまた距離をとられる。幸村が槍のように櫂を突き出すと、縄でそれを止められた。本当に鉄の糸が編みこまれているらしく、手応えが重い。
だが、その縄の重さを櫂の反動に使い、飛び上がって櫂の柄のほうで攻撃を繰り出す。
がきっと男が縄を巻いた腕でそれを受け止める。その肩に佐助が切りつけた。
避けられないと見切ったのか、男は幸村ごと砂浜に後ろに倒れていった。それには幸村も対処できずに、倒れこんでしまう。反転して逃げるより早く、逞しい腕が首に回された。
「あいにく、海の上と浜辺じゃ、俺の方に分があるみたいだぜ」
「幸村さまっ!」
佐助が形相険しく飛び掛ろうとするのに、男は幸村を盾にして防いだ。
「吐け。徳川か、北条か」
思わぬ名前を出され、幸村はかっとなった。
「死んでもあいつらには使われたくないっ!」
ぴたりと動きを止めた男は、次の瞬間、大声で笑い出し、唖然とする幸村を離した。
幸村をかばうように背中にかばい、短刀を構える佐助に対して、男は手から縄をはずして見せた。
「貴様」
「関東勢じゃないんならさっさと言えよ。変に隠すから疑うんだろう」
とてもその様には思えなかったが、とりあえずの警戒は解いた。
「俺たちは本当に、戦で親を亡くして放浪の身だ」
「その親を殺したのは、徳川か北条のどちらかってわけだ」
返事はしなかったが、無言がその答えと受け取られたようだ。
「俺も似たようなもんだ。親は殺されたんじゃないがな。船と仲間をやられた。お前があっちの間者だったら、反対に探ってやろうと思ったんだ。悪かった」
あっさりと謝って笑う顔には、先ほどのような険はない。
「船はもうないのか」
「あるぜ。お詫びに乗せてやってもいい。それなりに手伝っては貰いたいけどな」
信じていいものか迷いはあるが、疑うだけの怪しさはもう消えてしまっていた。
「それで、名を何と言う」
「根津甚八だ。駿河から瀬戸内までなら、俺の庭みたいなもんだ」
「四国の人か?」
「さぁ、生まれたのは船の上だ。親は海で死んで、主なんてもんはいねぇ」
「海賊か?」
「今は仲間もいないから、やめたがな」
顔や目つきに嘘は感じられなかった。それどころか、徳川や北条に対する恨みは本物のように見えた。
「乗せてもらう。水軍の様子が見たい」
いいのかと佐助が心配そうに見る。
「いいぜ」
「あと二人連れがいる」
三次兄弟もいれば、いざというときもなんとかなるだろう。
「船は大きい。仲間はいない。自由にしていい」
男は楽しそうに幸村を見た。
2009年09月29日
第四章−11−
はじめて見る何艘もの軍艦に、幸村は圧倒された。
「すごい……」
幸村の周囲にも軍艦見物の人が集まり始めた。
ざわざわとざわめきが広がる。羽柴秀吉のお膝元でも、これだけの軍艦を見る事は珍しいようだ。
「乗ってみたいなぁ」
年齢相応に子どもっぽく瞳を輝かせて、幸村は軍艦を眺めていた。
「乗せて貰えるぞ。もうすぐ兵士達も降りてくるから、頼んでみな」
「本当ですか?」
軍艦なのに、そんな気軽に誰かを乗せたりしてもいいのだろうか。
「あぁ、この辺の子どもはみんな一度は乗せてもらってるさ。お陰で、水兵志願者が多くて困る」
子どもに限っては、わりと気軽に乗せてもらえるらしい。水軍を維持するには、小さな頃から船に慣れているものが望ましいのだろう。そういう面で、青田買いの目的もあるのだろう。
軍艦から何艘もの小船が出されて、浜辺に向かって兵士達を乗せてきた。まだ鎧はつけていないし、顔つきも穏やかで、陸に休みにきた事がよくわかる。
「あの、後で軍艦に乗せてもらえますか?」
幸村は上がってきた兵士の中でも、水夫長に当たりそうな男を選んで話しかけた。
男は幸村と横に立つ佐助をじろじろと眺めた。そしてにっと笑う。
「船ははじめてか?」
「はい」
どうしてわかったのだろうと首を傾げると、疑問に思ったのが伝わったのか、男はがはがはと豪快に笑う。
「浜の子がそんなに白い顔をしているものか。内陸から来て、船が珍しいって、顔に書いてある」
なるほどと幸村も頷いた。
「はじめてです。乗ってみたいです」
「親は?」
「戦で死にました。おじさんと一緒に堺まで来ました。おじさんたちは港で仕事を見つけて、僕たち暇なんです」
男は少しばかり顔を曇らせた。今の時代、戦で親を亡くした子供は珍しくない。おじと一緒にいられるなら幸せなほうだろう。けれども幸村の見目の良さに、同情がより深くなることが多々あった。
「今夜泊まる所はあるのか」
「はい」
「だったら、明日の朝、またここに来な。乗せてやるよ」
「ありがとうございます!」
幸村は飛び上がるようにして喜び、佐助に良かったねと笑いかける。佐助もにっこりと笑顔をつくって頷いた。
清海が見たら、あまりにも作り物めいた笑顔に、むしろ寒気がするとからかうところだが、はじめて会う男は、不器用な笑顔もまた親を亡くしたばかりのせいだろうと映ったらしい。健気なことだと感心されたのがおかしかった。
翌朝、幸村と佐助は男に船に乗せてもらった。
「すごい! 高い!」
思っていたよりも海面からの距離が高く、思っていたよりも揺れは少なかった。
「船倉には入るなよ。歩き回っていいのは甲板だけだ」
「はい」
幸村はあちこちを歩き回った。無邪気に見える姿で、実は船の大きさを歩数で測っていることは、兵士達にはわからなかったらしい。
佐助は帆柱に興味を持ち、登りたいと見上げていた。
「坊主たち、する事がないなら、ちょっと手伝え」
水兵が甲板の隅で声をかけてくる。幸村はすぐに彼に近づいていった。
「これを二十本ずつ、縄で結んで箱に入れるんだ。できるか?」
「できます」
大きな箱に詰められていたのは矢だった。それを二十本ずつにして、矢筒に分けやすくするのだろう。それは陸上戦でも同じことなので、仕事としては簡単なほうだった。
「この一艘だけでこの矢の数となると、どれほどの量になるのだろうな」
幸村たちに仕事を任せた水兵は、他にも仕事があるのだろう、ちゃんとできるかを見届けてどこかへ行ってしまった。膨大な矢の数に驚嘆しつつ、幸村は小声で佐助に話しかけた。
「さっき、水兵が上陸に使っていたのと、違う形の小船が荷を運んでました。それぞれの軍船に二艘ずつ」
「ここから見える範囲の軍船の数は?」
「十六。でも、この船、多分指揮官のいる船」
佐助の言葉に、へぇと辺りを見回してみる。指揮官らしき武将は見当たらなかった。
「この船、乗り続けたいですか?」
あまりにも興味深そうにしているので、佐助は心配になって聞いた。
「いや」
幸村は佐助の心配に笑って否定した。
「水軍を持っていても、上田には不要のものだからなぁ。けれど、水軍の戦がどのように展開されるのかは見てみたいな」
そちらに興味があったのかと佐助は納得した。
軍船を見てからは、幸村に元気が戻ったようで、佐助はほっとしていた。
多少のことでは崩れない主だが、それでも彼が苦しみから立ち直ろうとしている姿を見続けてきた佐助は、傍にいることしか出来ず、常に歯痒く感じていた。
自分がもっと言葉を知っていて、うまく喋れるならば、主を励ませるのにと悔しく感じるのだ。
忍者に言葉はいらない。伝えるのは文字でよく、敵に捕まったときのために声を出さない訓練はした事があっても、上手に喋るなどどうしていいのかまったくわからない。
幸村はいつも佐助に感謝の言葉と、褒める言葉をくれるというのに、その喜びさえ表現できない。
二人の間に、言葉はほとんど必要なかった。幸村が自分に何を望んでいるのか、命令されなくてもわかるから。佐助のほとんどない喜怒哀楽も幸村ならば正確に読み取ってくれるから。
けれど、二人で旅を続け、幸村が苦しむときに、望む言葉を見つけられないのが辛い。
「おっ、もうほとんどできているじゃないか!」
水兵が戻ってきたときには、頼まれた作業は終わっていた。
「疲れてなきゃ、もっと頼んでいいか?」
よい手伝いを見つけたと、水兵が喜んだので、幸村はしめたとばかりに頷いた。
実際に戦には行けなくても、水軍がどのように統制を取っているのかを知ることはできるかもしれないと喜んだのだった。
「すごい……」
幸村の周囲にも軍艦見物の人が集まり始めた。
ざわざわとざわめきが広がる。羽柴秀吉のお膝元でも、これだけの軍艦を見る事は珍しいようだ。
「乗ってみたいなぁ」
年齢相応に子どもっぽく瞳を輝かせて、幸村は軍艦を眺めていた。
「乗せて貰えるぞ。もうすぐ兵士達も降りてくるから、頼んでみな」
「本当ですか?」
軍艦なのに、そんな気軽に誰かを乗せたりしてもいいのだろうか。
「あぁ、この辺の子どもはみんな一度は乗せてもらってるさ。お陰で、水兵志願者が多くて困る」
子どもに限っては、わりと気軽に乗せてもらえるらしい。水軍を維持するには、小さな頃から船に慣れているものが望ましいのだろう。そういう面で、青田買いの目的もあるのだろう。
軍艦から何艘もの小船が出されて、浜辺に向かって兵士達を乗せてきた。まだ鎧はつけていないし、顔つきも穏やかで、陸に休みにきた事がよくわかる。
「あの、後で軍艦に乗せてもらえますか?」
幸村は上がってきた兵士の中でも、水夫長に当たりそうな男を選んで話しかけた。
男は幸村と横に立つ佐助をじろじろと眺めた。そしてにっと笑う。
「船ははじめてか?」
「はい」
どうしてわかったのだろうと首を傾げると、疑問に思ったのが伝わったのか、男はがはがはと豪快に笑う。
「浜の子がそんなに白い顔をしているものか。内陸から来て、船が珍しいって、顔に書いてある」
なるほどと幸村も頷いた。
「はじめてです。乗ってみたいです」
「親は?」
「戦で死にました。おじさんと一緒に堺まで来ました。おじさんたちは港で仕事を見つけて、僕たち暇なんです」
男は少しばかり顔を曇らせた。今の時代、戦で親を亡くした子供は珍しくない。おじと一緒にいられるなら幸せなほうだろう。けれども幸村の見目の良さに、同情がより深くなることが多々あった。
「今夜泊まる所はあるのか」
「はい」
「だったら、明日の朝、またここに来な。乗せてやるよ」
「ありがとうございます!」
幸村は飛び上がるようにして喜び、佐助に良かったねと笑いかける。佐助もにっこりと笑顔をつくって頷いた。
清海が見たら、あまりにも作り物めいた笑顔に、むしろ寒気がするとからかうところだが、はじめて会う男は、不器用な笑顔もまた親を亡くしたばかりのせいだろうと映ったらしい。健気なことだと感心されたのがおかしかった。
翌朝、幸村と佐助は男に船に乗せてもらった。
「すごい! 高い!」
思っていたよりも海面からの距離が高く、思っていたよりも揺れは少なかった。
「船倉には入るなよ。歩き回っていいのは甲板だけだ」
「はい」
幸村はあちこちを歩き回った。無邪気に見える姿で、実は船の大きさを歩数で測っていることは、兵士達にはわからなかったらしい。
佐助は帆柱に興味を持ち、登りたいと見上げていた。
「坊主たち、する事がないなら、ちょっと手伝え」
水兵が甲板の隅で声をかけてくる。幸村はすぐに彼に近づいていった。
「これを二十本ずつ、縄で結んで箱に入れるんだ。できるか?」
「できます」
大きな箱に詰められていたのは矢だった。それを二十本ずつにして、矢筒に分けやすくするのだろう。それは陸上戦でも同じことなので、仕事としては簡単なほうだった。
「この一艘だけでこの矢の数となると、どれほどの量になるのだろうな」
幸村たちに仕事を任せた水兵は、他にも仕事があるのだろう、ちゃんとできるかを見届けてどこかへ行ってしまった。膨大な矢の数に驚嘆しつつ、幸村は小声で佐助に話しかけた。
「さっき、水兵が上陸に使っていたのと、違う形の小船が荷を運んでました。それぞれの軍船に二艘ずつ」
「ここから見える範囲の軍船の数は?」
「十六。でも、この船、多分指揮官のいる船」
佐助の言葉に、へぇと辺りを見回してみる。指揮官らしき武将は見当たらなかった。
「この船、乗り続けたいですか?」
あまりにも興味深そうにしているので、佐助は心配になって聞いた。
「いや」
幸村は佐助の心配に笑って否定した。
「水軍を持っていても、上田には不要のものだからなぁ。けれど、水軍の戦がどのように展開されるのかは見てみたいな」
そちらに興味があったのかと佐助は納得した。
軍船を見てからは、幸村に元気が戻ったようで、佐助はほっとしていた。
多少のことでは崩れない主だが、それでも彼が苦しみから立ち直ろうとしている姿を見続けてきた佐助は、傍にいることしか出来ず、常に歯痒く感じていた。
自分がもっと言葉を知っていて、うまく喋れるならば、主を励ませるのにと悔しく感じるのだ。
忍者に言葉はいらない。伝えるのは文字でよく、敵に捕まったときのために声を出さない訓練はした事があっても、上手に喋るなどどうしていいのかまったくわからない。
幸村はいつも佐助に感謝の言葉と、褒める言葉をくれるというのに、その喜びさえ表現できない。
二人の間に、言葉はほとんど必要なかった。幸村が自分に何を望んでいるのか、命令されなくてもわかるから。佐助のほとんどない喜怒哀楽も幸村ならば正確に読み取ってくれるから。
けれど、二人で旅を続け、幸村が苦しむときに、望む言葉を見つけられないのが辛い。
「おっ、もうほとんどできているじゃないか!」
水兵が戻ってきたときには、頼まれた作業は終わっていた。
「疲れてなきゃ、もっと頼んでいいか?」
よい手伝いを見つけたと、水兵が喜んだので、幸村はしめたとばかりに頷いた。
実際に戦には行けなくても、水軍がどのように統制を取っているのかを知ることはできるかもしれないと喜んだのだった。