疾風の勇士−乱世を駆け抜けて− について

真田幸村メインの戦国時代ボーイズラブ小説です。幸村をモデルに、彼と真田十勇士の活躍と生涯を描いていきます。
ストーリーメインでBL的要素は少なめです。現代風に書いていきますので、歴史に興味のない方でも読んでいただけると思います。
フィクションですので史実、時代考証、地形などは、軽くスルーでお願いいたします。幸村メインですので、敵対する武将については表現上かなり悪く書く場合もありますのでご了承下さい。
説明(1)
第一章(14)
第二章(12)
第三章(14)
第四章(14)
第五章(14)
第六章(2)
史跡(7)
閑話(3)

第一章〜三章◆上田城(少年期)
才蔵×幸村ですが、まだ二人は出会っておりません。

2009年10月05日

第五章−2−

 甚八の船「貴龍丸」は、素晴らしい速度で西を目指した。
「瀬戸内は海流が複雑なんだ。読み間違えたら押し戻される。羽柴軍は、このあたりの村上水軍を率いているから問題ないだろうが、小さな島も多いし、海岸も入り組んでいるし、苦戦は避けられないんじゃないかな」
 甚八の予想に、幸村はそうでもないだろうと思っていた。
 長浜や堺で拾い集めた噂と、これまでの戦略を考えれば、秀吉軍は一気呵成に勝負をするだろうと思われる。
 とにかく秀吉の軍勢は足が速い。中国の大返しでも知られたように、動けば迷うことなく突き進み、相手が待ち受ける用意も出来ぬほどの速さを誇る。
 これは軍隊が速いだけではなく、それまでの情報収集と準備が完璧に出来ているからだろうとわかる。
 どれだけの人数をどのように配置し、どの道を進むかを取り決め、そこから先は迷わせない。大量の兵士が進むにはそれなりの食料が必要だが、行軍より先に別の隊に準備させる。荷物は減り、兵士達の負担も少なくなり、進む速度はさらに増す。
 それが今度の戦でも如実に現われていると感じた。
 軍船はどれも同じように見えたが、明らかに兵士を運ぶ船と、兵器を運ぶもの、食料を運ぶものが別にあった。
 今回は海路なので、それが並行して進むことになる。
 水兵たちは今回の戦は楽だと口々に言っていた。それはつまり、戦うより余計な心配をしなくて済むという事なのである。
 普通の兵力ならば、このような贅沢とも言える軍の配置は出来ない。食料を運ぶだけの軍など、それだけで一国を築けそうである。そんな余力のある国はない。それこそが羽柴軍の強みなのだ。
 途中、堺の港で三好兄弟を拾った。
 清海も伊三も、いつの間にか船を手に入れている幸村にあんぐりと口を開ける。
「うちの殿様は油断ならない」
 清海が笑うのに、「これは俺の船ではない」と訂正するが、もう貴龍丸が幸村の船かのように思っている。
 その三次兄弟が堺で聞いてきた話では、毛利軍も小早川軍も、今回の四国征伐に参戦するという。
「そうか……。断れるはずはないな」
 中国攻めのときに起こった本能寺の変。その時に結んだ講和条約で、秀吉は中国から追っ手をかけられずに済んで、無事に崩れかけた自軍を立て直せた。そのため、再度の中国攻めは行わず、毛利、小早川、吉川はそのまま領土を安堵されている。
 今回の四国攻めに参戦しなければ、再び全面戦争は避けられない。中国攻めのときよりも、今や羽柴軍は勢力の拡大甚だしい。
「それじゃあ、やめて引き返すか?」
 甚八はどちらでもいいという構えだった。
 戦乱が長引けば、漁夫の利よろしく儲け話にも出会えるが、いざ海に出て水軍の様子を見てみれば、入り込む余地は少なそうだった。
「いや、どこかいい所につけて欲しい」
 幸村としては四国側から見たかったが、それはさすがに危険だと、佐助や三次兄弟に止められた。
「じゃあ、明石か灘だな。それより西に行くと、内海を守る毛利軍がうるさそうだ」
 甚八はそう決めて、船を進ませた。
 船を進ませるのは馴れたものだが、はじめての船に幸村が興味津々に色んなことを尋ねまわるのには閉口した。
「いい加減にしてくれ。お前は水軍長にでもなるつもりか? 違うだろ?」
「別にこの船を攻めるつもりで偵察しているのでは無し、教えて欲しいだけだ」
 今まで知りたいと思ったことに対して嫌がられたという経験が少ない幸村は、甚八の態度に少なからず腹を立てて、教えろとばかりに詰め寄った。
「そんなものはな、教えてもらって身につくものじゃねーんだ。がきの頃から波を子守唄に、見よう見真似で体得していくもんだ。そんな生っちろい細い体で、何も出来やしねーよ。どうせ命令するだけの立場になるお武将様なんだろ? じっとしてろよ。それなりに扱ってやるぜ」
「わかった」
 案外あっさり幸村が身を引いたので、甚八は出鼻をくじかれたようになる。
「い、いいのかよ」
「体得すればいいのだろう?」
 そうじゃなくて。いいかけたが止めた。
 やめさせることは簡単だったが、どのようにやるのか見たい気もした。変な事を始めれば、きっと他の三人が止めるだろうと、安易に考えてもいた。
 船長の許可を得たとばかりに、それから幸村はあちこちに顔を出し、首を突っ込み、水夫達を相手に愛嬌を振りまいて、たちまちのうちに溶け込んでいった。
 豪放で、明け透けで、大胆な男達は、世話を焼いたり聞かれることを教えたり、色んなことを手伝わせたりと、幸村を取り合う勢いだ。
「あんた、部下を取られちまうぜ」
 伊三が少しばかり心配になって言ってみたが、甚八はそれを鼻で笑って受け流した。
「薄っぺらい板一枚下は、底無しの荒れ狂う海だぜ。この船が俺たちの世界だ。そんな簡単に裏切られる絆じゃねーんだよ」
 そういう心意気こそ、幸村の知りたいことだとは気づかずに、甚八は船の男の世界をついもらしてしまう。
「あんた達こそ、どうしてあの坊ちゃん坊ちゃんした、年若の子どもに付き従っているんだよ。二人ならそれなりの石高で雇ってもらえるところもあるだろうに」
「その質問、そのまま聞き返したいもんだ」
 清海ににやりと笑われて、甚八は腕を組んだまま小首を傾げた。
 そして同じような笑顔を浮かべる。
「つまり、あれだな……」
「そう」
 そして声を揃えてしまう。
「雇われたいと思う武将などいなかった」
 あははと陽気に笑い声を上げる。
 甚八は笑いながら、これは自分もやばいんじゃないかと気がついた。
 同じことを思っていた相手が、主を得ている。そして自分も、その子どもをつい船に乗せてしまった。
 笑い声に力が無くなっていく。
 瀬戸内には春を感じさせる風が吹き抜けていた。



posted by 高野尾 凌 at 21:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 第五章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

第五章−1−

 根津甚八は堺の港から南下した人気の少ない岩場に、一艘の大きな船を停泊させていた。
 少し小さめに見える安宅船だったが、小船で近づいてみると、確かに小さいことは小さいが、かなり重厚に造られている事がわかった。
「珍しくはないだろう。お前達が昨日まで乗っていたのと変わらないはずだぞ」
 甚八は平然と言うが、これはまさしく軍船だといえた。
 仲間はいない、海賊はやめたと言っていたが、船上には三十数名の水夫がいた。
「海賊をやめたというのは本当か?」
 嘘ならばここで降りる。そのつもりで幸村は問うた。
「海賊だったらどうする」
「降りる」
 きっぱり言うと、甚八は口を大きく開けて笑いだした。
「潔癖症なところは、子供らしいといえば子供らしいが。お前は親を戦で亡くしたんだろう? 戦だって、略奪は平然と行われているだろうに。そもそも戦こそ、人の命を平然と奪っている」
 それは幸村自身が感じてきた矛盾そのものであった。
 領地の取り合いなど、話し合いで解決は出来ないかと、幾度も幾度も考えてきた。
 そもそも父の昌幸は、領地を広げる野望はあまり持っていなかった。信濃を守ることに専心していたといえば聞こえはいいが、信濃から出るだけの兵力がなかったともいえる。
 ならば、あれば出て行っただろうか。
 天下を平寧にしたい。それはいつも言っていた。天下を取るためには、反対する勢力と戦わねばならない。それはつまり、相手を滅ぼし、自軍にも少なからず犠牲が出ることである。
 そもそも、それを狙っている勢力から、信濃を守るだけで精一杯だった。
 自分の国を守り、周囲から攻められぬには、それだけの力が必要だった。
 だから自国を治めることを学ぶと同時に、軍略についても学ぶ必要があった。
「平和な国があれば、戦は起こらない」
 結局、到達する地点はそこしかなかった。
 どの国も平和で、侵略される心配がなく、自国を治められるなら、他国を攻めないのではないか。
「平和ねぇ。生まれたときから戦しかしていない国の、どこに平和があるのか、教えて欲しいもんだ」
 誰も戦のない時代を知らない。それは遠い昔にあったと聞く、物語のようなものでしかない。
「大名達が争わず、それぞれの国を守り、不可侵を約束させられる人がいれば、戦は終わる」
 幸村が漠然と持っている、理想の国がそこにあった。
 天下をとったとしても、一人で全てを取り仕切ることなどできない。
 小さな上田の庄を一つとっても、父が全域に目が届いていたとはいえない。それぞれの村に人々を取りまとめられる村の長がいて、その村々の集まった郷にも長がいて、それがみんなの不満や不便をなくしていって、ようやく信濃の国が平和になっている。
 誰か一人、どこか一方にばかり力を注いだのでは、別のところに不満が生まれる。
 そんな小さな単位から、国という単位にまで人を集められる人物こそが、天下をまとめられる人となるだろう。
「その人がお前は羽柴秀吉だとでも言うのか?」
「今は一番近い」
 絶対に渡してはならない相手がいる。
 うまい汁だけを吸い、人の失敗だけを上手に避けることのできる奴。
「面白い奴だな。自分がそうだとは思わないのか」
「思わない。俺ではなれない」
「何故」
「秀吉殿は人を使うのがうまいと聞いた。自然と人が集まるらしい。誰もがそんな要素を持ち合わせているものではない」
 甚八は面白いと、目の前の少年を見た。
 まだ小さいなりで、どんな苦労をしてきたのかはわからないが、すさまじいまでの目をしていた。
 優秀としかいいようのない忍を連れている。さっきは浜辺だからこそかろうじて先手を打てたが、本気でかかってこられたら、かなりの苦戦を強いられるだろう。かえって船上のような高低差のある場所では忍に有利で、なれている場所とは言っても自分には不利になりかねない。
 それに……。自分には人を惹き付ける魅力がないと言った少年だが、なかなかどうして、はっと目を止める存在なのだ。
 見目のいいことはもちろんだが、それを抜きにしても、知らずに通り過ぎることはできないような、存在感があるのだ。
 羽柴の水上軍を監視していたのではないが、成り行きを見ていたときに、ちょこまかと動く子どもに興味がわいた。
 船には他にも子供がいたが、都合よく使われているのはこの子とその連れだけだった。しかも手伝いながら、どうにも船のことを調べているように映った。
 只者じゃないと思ったのだ。
 そう思ってみると、頭脳の明晰さを映したような涼しげな目元と、つい気を許してしまう愛らしい微笑の差異が、この少年を魅力的に仕上げている。
 そんなものが備わっていながら、自分は器ではないと言い切る。
 いつかこの少年が、「天下を狙わなかったのは、自分より先に秀吉が生まれていたからだ」と言い出しそうな、そんな気さえしていたのだ。
「海賊は本当にやめた。もともと海賊が本業じゃなかった。どこかの水軍で助太刀をしたり、商船の護衛をするのが仕事だった。あぁ、海賊は何度かやったのはやった。関東軍の船を見たら、血が騒ぐんだ」
 にやりと笑われて、幸村は頷いた。
「四国攻めを見物できるところはあるか?」
「あぁ、連れて行ってやる。あの辺は庭みたいなもんだ」
 成り行きで拾った子ども。単に興味がわいただけだった。
 それが既に戻れない道を踏み出しているなど、甚八が自覚できるはずもなかった。
 
posted by 高野尾 凌 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 第五章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画村

091004_1016~01.jpg

091004_1020~01.jpg


映画村の戦国時代祭に来ています。
入ってすぐに半兵衛と慶次に遭遇。テンションは上がりますねぇ。
カプコンのブースでPSPの壁紙をもらい、入り口の幸村に見とれてたら、横を幸村と政宗が通りました。
ここは夢の世界か。

本来の目的は、信之と信繁兄弟のお話を聞くこと。寺子屋で1時間のお話は濃かったです。
知っているエピソードがほとんどでしたが、自分とは違う視点の話とかを聞かせていただくのはとてもためになります。
まぁ、私は「幸村」メインに勝手な解釈を付け加えまくりなので、暴走しないように気をつけなくてはと、気を引き締めてきました。
でも、書いちゃいますw 楽しいし。色んな幸村観が増えていったら楽しいなと思うので。

その後、男性陣コスプレの、御館様、幸村、東西アニキを見つけて写真を撮らせてもらったり、染め衣装コンビの瀬戸内にもお願いしたり。
マジ帰りたくない。
今日、知らずに来た人もいて、子供たちはナルトのサスケや銀魂の銀時さんを見つけては、興奮してました。

女性の元親のコスプレの人が、かっこよくて、綺麗で、恋に落ちそうになりましたよ。ポーズも決まってましたねぇ。
posted by 高野尾 凌 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

幸村という名前

今日は続きを書く余裕がありません。
明日、朝が早いので、明日の調べ物もあるので、閑話でお許し下さい。
第四章もいちおう、14で終わりですので、キリがいいのもありますし。

今日は大坂城に行って来て、大坂夏の陣の屏風や色々な物を見てきて、真田幸村の名前について、あらためて色々考えてきました。

皆様もよくご存知のように、真田幸村というのは実は後世による創作であるといわれています。
本名は真田信繁。
幸村というのは後の講談みたいなもので呼ばれてそれが浸透したからと言われていますが、大阪では絶大な人気の武将の名前が、勝手に改名されて、それがこうも広く隅々まで浸透するか?と思いませんか?
私は人気がある武将だからこそ、勝手に誰かが名前を変えちゃったら、「違うわ、ボケ」と思います。
それなのに、いきなり名前が知れ渡っている。
これはやはり、本人がどこかで「幸村」を名乗ったんだと思うんです。
それはどこか。
私は九度山時代ではないかと思うんです。
関ヶ原のあと、真田昌幸、信繁親子は九度山に蟄居されます。監視付きです。
でも、あの幸村のこと、おとなしーく、監禁されていたとは思えない。
だって、何人も影武者がいたんですよ。誰かを幸村に仕立てて、自分はこっそり名前を変えて、真田紐を売りつつ、色んなところの情報を手に入れていたとしか思えない。
九度山では、その人柄ゆえに、皆に好かれていたと言われています。九度山脱出のときに一緒に大阪に入り、真田隊に志願した人も少なからずいるとか。
真田左衛門佐、素晴らしい戦功で、美しい散り際だった。豊臣贔屓の大阪京都で絶大な人気、講談に小説に使おうとする人が出てきて当然。だから色んなところから話を集めて美談を作ろう。
まず、どこに話を聞きに行きます? 九度山しかないと思うんです。
ここで14年ものあいだ閉じ込められて、父親が亡くなっている。さぞかし無念の死に際だっただろう。ここで家康打倒の覚悟を決めたに違いない。
で、九度山に聞きに行くわけですね。
「あのー、信繁さんって、どんな人でした?」
「信繁さん? 誰、それ?」
「ここで蟄居されていた真田さんの息子さんのほうですよ」
「あぁ、幸村さんのことねー。変な名前で聞かないでくださいよー」
ってな感じじゃなかったんでしょうか。
で、ちゃんとリサーチした彼は真田幸村物語を書くわけですね。近畿では幸村のほうが名が通っていたので、そのままばーっと広がっちゃったと思うんです。

では、何故、幸村の名前を使った文書が一通もないのか。
隠し名であったと同時に、幸村にとって「信繁」の名前は、幸隆、昌幸と仕えた敬愛する武田信玄の弟の名前を貰ったものなので、捨てることはできなかったと思うんです。

という、私の勝手な勝手な、「幸村」考でした。
これ書く間に小説書けたな……。
posted by 高野尾 凌 at 22:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 閑話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大坂城


大坂城。
091003_1531~01.jpg

築城時は大坂と表記されていたので、正確には大坂城のはず。

091003_1549~01.jpg

大坂夏の陣屏風展をやってました。赤備えが真田隊ですね。鹿角の兜が幸村です。

091003_1550~01.jpg


ミニチュアの幸村も可愛かったので撮ってきた。

天守閣の一番上は思ったより狭かった。今はビルばかりが見えるだけですが、当時は大阪を一望できたでしょうね。
天下人の気持ちを実感できたと思われます。
環状線森ノ宮を降りたら、けっこうな散歩となりました。天守閣目的の方は地下鉄谷町四丁目駅がいいかと思います。


今日は天満橋のほうに用事があったので、この機会に!と大坂城に。っていうか、そんなに意気込まなくても、近いからいつでもいけるはずなのに(^^;) いや、けっこう遠いものです。

森ノ宮で降りて、天守閣に登り、天満橋に抜けたので、ちょうど大坂城の外側を半分歩いたことになります。けっこう歩いた。
しかも私、誰にも聞かず、天満橋の目的地まで地図を見ていけたよ!
地図を見れる女になったよ! 成長したよ!
本当に方向音痴なんです。でも、大坂城の周囲には、これでもかっていうほど地図があって、本当に親切です。遠くから来られた方でも余裕でまわれると思います。
ぜひ、天下人の気持ちを一度味わってください。
posted by 高野尾 凌 at 16:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする