2009年11月11日

第六章−1−

 明石に戻ってきた貴龍丸は、そこで幸村たちを降ろした。
「行く当てがあるのか?」
 根津甚八は心配そうに幸村を見た。
 仕える先もなく、住む家も持たない少年は、それでもにっこりと笑った。
「少し西のほうに行こうと思ってる」
「だったら乗っていけよ、送ってやる」
 この別れがたい気持ちをなんと表現すればいいのか、わかっていながら甚八はあえて気づかないふりをした。
「歩いていく。船だと見えないものもあるから」
 何を見たいというのか。その若さで、何を見据えているのか。
「また船に乗りたくなったら、港で伝言してくれ。迎えに行ってやる」
「遠くの港にいたら?」
「なぁに、三日と待たせないさ」
 日に焼けた腕が黒光りする。笑ったときに見える白い歯が眩しい。
「期待している」
 幸村も笑って答えた。
 静かに離れていく貴龍丸に手を振って別れを告げる。
 港に残された四人は、海風を頬に受けながら、心を吹き抜ける寂しさに顔を見合わせて笑った。
「どこに行くつもりだ? 西と言っても広い」
 清海はあまり気にした様子もなく、西へと顔を向ける。
「とりあえずは明石で世話になった寺に行こう。帰ってきたら顔を出すように言われていた」
「そうだな。土産も買っていけるな、今なら」
 四人で稼いだ金は、しばらくは楽な旅を約束してくれる。なるべくなら節約して、野宿は逃れたいものだと思うが、世話になった寺の住職に美味い物を持って行きたいと思う。
「魚と酒だな」
「坊主が酒を飲むのか」
「般若湯、般若湯」
 三好兄弟がふざけながら幸村たちの後をついて歩いてくる。
 港町で土産になる魚と酒を買い求め、海で汚れた着物の替えを古着で買って、盲目の住職に会いに向かった。
 住職は声で幸村たちとわかったらしく、とても喜んで出迎えてくれた。
「ご無事で戻られたことが何よりの土産です」
 四人の土産を喜んでくれ、新鮮な魚を焼いて食べた。
 ここでもこれからどこへ行くのかと聞かれ、幸村は西のほうへ行ってみたいと告げる。
「四国での戦が終わったら、会って欲しいお方がいるのです」
 住職はもう少しの間、ここに留まってくれないかと頼んできた。
「俺にですか?」
 幸村が驚いて聞き返した。
「はい。是非、貴方に会って頂きたいと思ったのです」
「そうですか……。けれど、今も戦に行かれているお方でしたら、戻られるまでにまだまだ日数はかかると思います」
「まだかかりますか」
 あまり長く引き止めるのも悪いと感じた住職は、これ以上引き止めるのはかえってこの少年の足を引っ張ることになると諦めることにした。
「四国征伐は間もなく終わると思います。けれど、戦が終わってすぐに引き上げるのは無理かと思います。四国は広いですし、みながいっせいに引き上げるというのも難しいでしょう。早くに行かれた部隊ほど、奥の方まで進軍されておられるでしょうし」
「あぁ、そうですね。拙僧としたことが迂闊でした」
 少年に指摘されるまでうっかりと忘れていたことが恥ずかしい。そんなことは判っていて当たり前なのに、気が逸って会わせることしか念頭になかった。
「西からの帰りにまた寄らせて頂きます。その時にご縁がありましたら、ご住職のお知り合いに会わせてください」
 老僧の願いを無碍にすることもできずに、幸村はきっとまたここに戻ることを約束した。
「またこちらのほうに戻られますか?」
「はい。ここに来るまでに京を素通りしてきたので、いずれは行くつもりでした」
「ならばまた会えますかな」
 ほとんど視力のない目を細めて笑う住職に、幸村も見えないだろうと思いつつ微笑んだ。
「是非また寄らせて下さい」
 固く約束をし、住職の目では行き届かない場所の掃除や修理を手伝って、幸村たちは寺を後にした。
「会わせたい人ってのは、やっぱりどこかの武将なのかな」
「そりゃそうだろう。どこか仕官先の世話を焼くつもりだったとか?」
「幸村、俺たちは今更、どこかに仕えるつもりはないからな」
「馬鹿侍に仕えるくらいなら、貴龍丸で釣りをしていたいな」
 後ろを歩きながら好き勝手なことを三好兄弟が言ってくる。
「だったら降りてこなくてもよかったのに」
「そっ、そんなあっさり言うなよっ」
 案外簡単に置き去りにするつもりがあるのかと、清海が幸村を非難する。
「俺は甚八も降りてくると思ったんだがなぁ」
 伊三のほうはそちらのほうが不満のようだ。
「俺は幸村があの望月とかいうのに仕えるんじゃないかと心配したぜ」
「頭ばっかりよくてもなぁ。冷たい人だって、部下達がこぼしてた」
 また二人で好きに話を進めているのに苦笑して、幸村は浜沿いの道から海を見遣った。
 瀬戸内は広く、貴龍丸も羽柴の戦艦郡も見えなかった。


posted by 高野尾 凌 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 第六章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

第六章−2−

 四国を制圧して、羽柴秀吉は姓を豊臣と変えた。
 まだ九州を平定はしておらず、関東もいつ反旗を翻すのか分からない状況ながらも、ほぼ天下を統一したことになる。
「これから戦のない世の中になるんだろうか」
 誰もが期待半分、不安半分の顔を見合わせては囁き合う。
「だけど、九州のほうはまだだろう?」
「北条も伊達も臣従したとは言えないらしいぞ」
 平和になったと思いたい、けれど不安は拭いきれない。何しろ、戦乱の時代が長すぎた。平和な時代を知らないのだから仕方がない。
 それでも備前から安芸にかけては平和だった。
 小早川、吉川の両家を率いる毛利も四国に向けて水軍を出していたが、内地からの徴兵は少なく済んだ。田や畑の実りも多い。
 幸村たちはちょうど刈り入れ時期の農家を手伝いながら手間賃を貰い、少しずつ西に向かって進んでいた。
「秋だというのに暖かいな」
 少し作業をすれば汗ばむなど、信濃では考えられない気候だ。
 もう上田は雪の準備をしている頃だろうか。上田を離れてから何度目の冬だろうかと考える。
 まだ戻る目処もたたず、どんどん離れてしまっている。
 どうすれば帰れるのだろうかと、道を見失いそうになる。
 安芸の国に入ったとき、年が明けて、幸村は十五になった。
 本来ならば元服をして、自分の兵隊を持ち、初陣につく年齢である。
 幸村は白い息を吐きながら、街道を振り返った。信濃は遠い。早馬で駆け続けても五日以上はかかるだろう。
 一度戻ってみようか。近くに行って様子を見るだけでも。
 その逡巡が何度も幸村の足を止めた。
「疲れたか? もうすぐ宿場町に入る。そこで宿を取ろう」
 強く後ろ髪を引かれる幸村を気遣い、清海が励ましてくれる。
「大丈夫だ」
 幸村は力なく笑い、また足を踏み出す。
 自分のできる事を探すのだ。
 それしか帰れる道はないのだと言い聞かせる。
 なだらかに続く山道にさしかかると、向かい風が強くなってきた。宿場町までの距離を考えると、急いだほうがいいとわかっていながら、きつい風に足が鈍り始めた。
「幸村様、大丈夫ですか」
 佐助が足を止めた幸村を振り返った。わずかだが幸村の足取りと息遣いに乱れを感じたのだ。
「大丈夫だ」
 笑って答えるその顔色が心なしか青い。
「休みましょう」
 心配そうに佐助が休憩を取るように主張する。
「何を言う。こんな所で休んでいたら、日のあるうちに宿場につけない」
「しかし……」
 忍にとって主の言うことは絶対である。けれど、主の体に異変を感じたら、その絶対の掟も守り続ける限りではない。
 佐助がここまで粘ることも珍しく、三好兄弟は顔を見合わせた。
「やせ我慢をしていてはいかん。本当に具合が悪いなら、農村があるうちに、屋根のある場所を探したほうがいい」
 清海も幸村の顔色が気になって、休むように言うが、幸村は大丈夫だと繰り返すばかりだ。
 実際に佐助が気づかなければ、清海も伊三も見逃す程度のことだったので、どうしたものかと迷う。
「本当に大丈夫だ。辛くなったら、そう言う」
 そんなことを話している間にも、日の傾きが深くなっていく。
「本当につらくなったら言え。背負って行ってやる」
 清海に言われて幸村は苦笑して頷いた。
 けれど、幸村の足はだんだん遅くなっていく。
「幸村様……」
 とうとう堪えきれずに、佐助がもう一度呼び止めた時、幸村は腹部に手を当てて、ゆっくりと膝を折った。
「幸村様!」
 佐助があわててその体を抱き止める。
「おい! 大丈夫か!」
 清海と伊三も駆け寄って、体の大きな清海の膝に仰向けに寝かせた。
「どこが痛みますか」
 佐助のほうが病人のように青い顔で幸村を覗き込む。
「腹が……大丈夫だ……、少し休めば…歩けるように……」
 両手でお腹を抱え込むようにして倒れたので、腹痛だとはわかったが、手当てをしようにも、周りには本当に何もなかった。
 佐助は腰に巻いた袋から丸薬を取り出すが、そこに目当ての物はなかったらしい。乱暴に袋を元に戻すと、くるりと辺りを見回した。
「薬はないのか?」
 伊三が尋ねると、佐助はゆっくりと頷いた。
「この辺りの山、薬草、あると思う。探してきます。あそこ……」
 佐助は畑の端に見えた農作業小屋を指差した。
「あそこで、風、凌いで、待っててください。すぐ、戻る」
「あ! おい!」
 言い置いて、佐助はすぐに姿を消した。
 二人に幸村を託し、自分にできる最善の方法を取ったのだろう。
「動かして大丈夫だろうか」
「多分、疲労とこの風で体が弱ったのだろう」
「確かにな。風を避ける必要はあるな」
 清海が幸村を横抱きにして、伊三がみんなの荷物を持って、作業小屋に移動した。
 元々人が住むようには建てられておらず、隙間風が入っては来るが、二人の衣類を貸してやると、それほど寒くはないようで、幸村は体を横向けにしておとなしく寝ている。
 時折、歯を食いしばるようにしているのは、差し込むような痛みを感じるからだろうが、その痛みを訴えることはない。
「水を飲むか?」
 伊三が気遣いながら声をかけるが、幸村は弱々しく首を振るだけだった。
「佐助が戻るまで待ったほうがいいだろう。薬草を煎じるのにどれだけ必要かもわからんし」
 清海の指摘に伊三も小さく頷く。
 いくら足の速い佐助でも、薬草を見つけて戻るにはかなりの時間がかかるのではないか、それよりは近くの村に医術の心得のあるものがいないか探しに行ったほうがいいのではないかと不安になった頃、作業小屋の扉ががたがたと揺らされた。
 咄嗟に二人が背中に幸村をかばって扉を振り返ったとき、一人の女性がびっくりした顔で、室内の二人を見つめていた。


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posted by 高野尾 凌 at 23:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 第六章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする