2009年09月19日

第四章−1−

 飛騨から美濃へ抜ける峠道に、二人の男の姿があった。
 痩せた背の高い男と小太りの背の低い男の組み合わせは、町で見かければ面白可笑しい比較だったが、こんな山奥の曲がりくねった道の、さらにそれを見下ろす大岩の上に立っている姿は、なにやら尋常ではないように感じられる。
 事実、二人は見下ろした峠道に、ちょうど通りかかった人影を見つけて、にやりと笑った顔を見合わせて頷いていた。
「あれはまだ子どもじゃねぇか」
「しかも二人だけ。大人はどうしたってんだ」
「後から来るんじゃないか? ちょっとした遠出に、子どもがはしゃいで先走ったっていうところか?」
 そんなふうに子ども達を詮索していると、二人は木の枝を振り回しながら、陽気に歌い始めた。
「なるほど、あとから親がやってくるのか。人質にはちょうどいいな」
「軽く縛って、泣き喚かせりゃ、金目のものは喜んで差し出すだろうぜ」
 頷きあって、男達は身軽に岩から飛ぶように下りていった。

 二人の少年は、峠の頂きに差し掛かったところで、ぴたりと歌うのを止めた。
 口を閉ざし、杖にしていた棒をすっと脇に挟む。
 一人が右足を引き、もう一人が左足を引く。自然と背中合わせになった形で、ゆっくりと腰を落とした。
「おいおい坊っちゃんたち。山道は危ないって、親に注意されなかったのかい?」
「そうそう。勝手に先に行っちゃ駄目って言われただろ?」
 道の脇の繁みから、男達が出てくる。着ている物は僧侶の着物で、手に持っているのも錫杖だが、無精ひげと伸び放題のざんばら髪では、どう好意的に見ても僧侶には見えなかった。
 二人は前後を挟むようにして、少年たちに近づいてきた。
「何者だ。我らは金銭など持っておらぬ」
 目鼻立ちのくっきりした、賢そうな少年が口を開いた。着ている物は少しばかり汚れているが、薄汚いという印象はない。二人を見る眼差しにも曇ったところはなく、恐怖の色も見えない。
 もう一人の少年は、少し幼い感じがするが、その目元はきつい光を放っていて、油断を感じさせない。じりじりと相手を守るように、にじり寄っているのに音がしないのだが、二人は子供だけと見くびっていたので、そんなことに気づいていない。
「気の強い坊ちゃんだな。おとなしく捕まって、泣き声をあげてりゃ、痛いことはしねーよ」
「そうだぞ、母ちゃーん、父ちゃーんって、泣けや!」
 言うや否や、背の低い小太りのほうが掴みかかってきた。ひょろ高いほうは、逃げ道を塞ぐように両手を広げて笑っているだけだ。よもや逃げられるとは思ってもいないようだ。
 ひゅんと視界を何かが横切った。小太りの男の伸ばしたては宙を掴み、支えを失ったように前のめりになる。
 その背中にばしっと鋭い音をたてて、激しい一撃が襲った。
 ひょろ高いほうが、呆気に取られてその光景を見ていた。いや、何もかもが一瞬で、見ていたはずなのに、気がつけば相棒が背中を打たれて、倒れこんだという事実だけが目の前にあったというほうが正しい。
「この……がきー!!」
 頭に血が上って、いつの間にか少年が一人きりになっているということに気がつかず、男は少年に挑みかかった。
 手にしていた錫杖を、子ども相手ということも忘れて振り下ろした。
 その錫杖は、少年が杖を横向きに低く構えて受け止められてしまい、驚く男が見つめる目の前で、少年は涼やかに笑みを浮かべた。そのとたん、ばしっと足元に小石が当たる。正確に飛んでくる飛礫は、踏み込んだ右足だけを正確に狙い、男がよろめく。
 がしゃんと錫杖が鳴って、押し戻される。少年がくるりと杖を背中に回すように体を回転させたかと思うと、二人の杖を繋ぎ合わせたそれは、一本の長い槍になっていた。
 脇から前方へ、背中へまた脇へとその槍がくるりと返って、少年は両手で槍を構えた。
 もう一人は石飛礫の方角から考えると、どこか頭上にいるらしいが、姿がまったく見えない。
 小太りのほうもようやく起き上がり、二人揃って憤怒の表情で錫杖を構えた。
「くそがきめ!」
「何者だ、てめーら!」
 ぎらぎらと怒りもあらわに、二人が踏み出してくる。
 少年はふわりと下がったように見えて、槍を突き出し、二人がそれに向かってくると、槍を引いて飛び退る。その足元に今度はぱちぱちと鳴る癇癪玉が飛んでくる。
 驚く二人に槍を突き出した少年は、二人が同時に飛び避けたところに槍を突き刺し、それを支えにくるりと飛び上がった。頭上を少年が跳び越していく。
 前後が入れ替わり、男達は慌てて、錫杖を突き出そうとするが、少年のように上手く方向を変えられず、互いに杖同士を打ってしまう。
「くそったれ、ふざけんな」
「もう一人も出て来いやー!」
 二人がやけくそで叫ぶと、少年はおかしそうに笑う。子どもらしい笑顔で。
「子どもだからって侮るから、こうなってしまうんだよ。おじさんたち、最近この辺に出てくるっていう噂の山賊だね?」
「だったらどうした」
「こっちも本気でいかせてもらうぜ!」
 子ども相手というからかい半分は止めることにしたらしい。
 確かに本気になった二人は、息を合わせて、巧みな攻撃を仕掛けてくる。
 けれど目の前の少年は、踊るような身のこなしで、するりと攻撃をかわし、鋭い一撃を浴びせてくる。
 そして姿を隠したもう一人は、まるで少年の心理が読めているかのように、合間合間に男たちの動きを止め、調子を崩す絶好の補助攻撃を仕掛けてくる。しかも単調な石飛礫だけというのではなく、癇癪玉や煙玉、時には目を射るような破裂玉まで飛び出てくるので気が抜けない。
 しかし、さすがに相手は子どもだ。こちらより早く息が上がり始めている。
 肩で息をする少年を見て、二人はとにかく落ち着こうと顔を見合わせた。
 少年たちも阿吽の呼吸で攻撃をしてくるが、男達だって一緒に育ってきた兄弟だった。言葉は交わさなくても、相手の言いたい事くらいはわかる。
 二人が息を合わせて、突きの激しい攻撃を繰り出すと、身の軽い少年も避けるだけで精一杯になってきた。
「そらそらそらー!」
「早く降参して、親を呼べ!」
 叫んだ時、しゅっと細いものが錫杖に絡みついた。小男の方の杖が止まる。
「投げ縄も有りか」
 ぎりぎりと引き絞られる錫杖を離すまいと握りしめる。
 こちらが踏ん張る限り、相手の片手も奪われたも同然だ。いくらすばしっこくても、相手の力は所詮は子供だ。封じたのは片手ではなく両手だろう。
 勝負はこちらに傾きかけていると男たちが思った時、きゃぃーきゃぃーと獣の声が辺りに響いた。
 きゃきぃー、きゃきぃー、ぐるぅぐるぅという吠える獣の声は、人として普通に持っている恐怖心というものを呼び起こさせる。
 何事かと、油断はしないまでも、不安げに辺りを見回した男達は、驚異の光景を目にする。
 少年の背後、自分たちの周りに、きゃーきゃぃー、ぐるるぅーぐるるぅーと牙をむき出しにして吠え鳴く、猿や狼の姿を見つけた。
 山道に獣の姿は珍しくないが、少年を守るように、自分達に向かってくる低い姿勢はどうしたというのか。
 獣達に囲まれ、男達は恐怖に顔を歪ませた。



posted by 高野尾 凌 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

第四章−2−

 僧侶姿の二人の男は、目の前で槍を構える少年と、周りを威嚇してくる猿や狼に囲まれ、本能的な恐怖に体を強張らせていた。
「な、なんだ……」
「これ……どうやって……」
 二人はきょろきょろと見回して、ようやく姿を見せないもう一人の少年を思い出した。
「あのがき……、忍者か……」
「妙な技を使いやがって!」
 少年が槍を構えから振り出し、一歩前に出ると、猿が二人の頭上を飛んだ。
「やめろ!」
「やめさせろ!」
 二人は槍を横にして、盾のかわりにするが、猿たちはきゃいきゃいと騒ぎながら駆け回る。
「僧のふりをしているが、元は侍だろう。なぜ盗賊などしている」
 少年が槍の持ち手のほうをとんと地面に着けると、それまで襲撃態勢だった獣達がおとなしくなり、自然と山の中へと帰っていく。だからと言って安心はできない。獣達を操った忍はまだ姿を見せない。
「食い扶持を稼ぐ先がなくなったのだから、どうにかして食っていくために、手段など選んでられるか」
「それだけの腕があれば、どこへなりとも仕官ができるだろう」
「子どもに負けたのにか」
 ひょろ高いほうが、悔しそうに顔を歪める。
「子供だからと油断があった。俺の供にあの技を出せたのは、お前達だけだ」
 猿たちを操ったあの技だろうか。確かに、あんな技など、今までに見たことがなかった。
「褒められても嬉しくはねーや。役所に突き出すなり、勝手にしろ」
 小太りのほうが錫杖を地面に置いて座り込んだ。もう一人もそれに倣う。
「別に役所に突き出したりはしない。厄介ごとに関わりあいたくはない」
「後から役人が来るんじゃないのか?」
 子ども相手に油断をさせて、生け捕りにするつもりだったのかと思っていた。もう一人が忍だったなら、二人の少年は囮かと思ったのだが。
「俺たち二人だけだ。だから、役人にかかわりあいたくない」
 子供二人が旅をしているなどと考えられない二人は、信じられない思いで、目の前の少年を見つめた。
 槍の腕は相当なものだ。子ども相手の油断というのを差し引いても、真剣に一対一の勝負をして、勝てる自身は薄い。
 身なりは確かにみすぼらしいが、姿勢は美しく、所作にも気品を感じさせるものがある。
 盗賊を前にしても、怖気づいたところはなく、話しかける言葉遣いには、以前にも大人に対して命令したことがあることをうかがわせる。
 どこかの大名に仕えている名のある武将の息子あたりだろうかと見当をつけてみる。忍を供にしていることもその裏づけとなるように思われた。
「どこの大名に仕えているんだ。父親はさぞ名のある武将なのだろうな」
 問うた男の目の前に、槍の刃先がきらりと光る。
 その光の向こうに、きつい視線が同じような光を湛えていた。
「両親は戦で死んだ。俺たち二人で、どこか暮らせる場所を探してうろうろしているだけだ」
 くるりと刃先が回り、また槍をとんと立たせる。ほんとうに持っているものが槍とは思えず、扇か何かのような軽やかな動きだ。
 その横に、すとんと忍が飛び降りてきた。音を感じさせず、着地した時も砂埃さえたたない。
「だったら、俺たちから有り金を奪っていくか? まぁ、負けたのだから、文句はいわねぇよ」
 やけくそで言うと、少年は馬鹿にしたように笑った。
「盗賊に落ちぶれるつもりはない」
「きれいごとを言ってられるのは、最初のうちだけだ。奪わなければ野垂れ死ぬ」
「人様の金品を奪うくらいなら死んだほうがましだ。お前達が人を襲った汚い金など要らぬ。山道を歩くのは、猪や鹿の肉があるからだ、水や茸や芋もある。食うには困らない。農民や商人の手伝いをしたら、少しは金も貰える。人を殺めて手にした両手いっぱいの金より、子どもの片手に乗る米のほうが、どれほど美味いのかをわからぬ生活などしたくはない」
 二人は遠い昔、主と定めていた人から貰った、握り飯を思い出した。
 いつかきっとたらふく食わせてやると笑った人は、天下を狙う人に夢を託し、夢中で後を追いかけていった。そして夢中で追いかけて、戦で散っていった。
 自分達を雇ってくれるという人はいたが、あの主のように、無邪気で爽やかな笑顔を持った男はいなかった。だから身を落とした。あんな男に使われていずれ戦で死ぬくらいなら、盗賊が悪いことだとは思えなくなっていた。戦だって、結局は人の命を奪うものだ。金を奪うのは別に悪いことじゃないと。
「あんたは何者だ。俺たちを雇えないか」
 そんな言葉がするりと口に出ていた。どうしてこんな子どもに仕えようという気になったのか、自分でもわからない。
 ただ、もしかしたら、笑顔が似ているかもしれないと、そんなふうに感じたのだ。
「だから。俺たちも親を戦で亡くして、住む所もない状態なんだ。人を雇えるわけがない。その気になったのなら、自分達で探せ」
 少年はすたすたと歩き出す。その横を無言で忍がついていく。
 男達は顔を見合わせて、その後ろを歩き始めた。
「おい。本当に、お前達にやれる禄などないのだぞ」
 首だけ振り返り、少年は呆れたように言う。
「いらん」
「ただ、行きたくなった方向が同じというだけだ」
「旅は道連れとも言うしな」
 二人の言葉に、少年は溜め息をついて、また黙々と歩き始める。
「おい、名前は何という」
 その小さな背中に問いかける。
「聞いてどうする」
 振り向きもせずに少年は聞き返す。
「ただの道連れでも、話しかけるときにおいお前では呼びかけにくい」
 もしかしたらこれから主になるかもしれない相手だ。名前くらいは知っておきたくて、再度尋ねてみた。
「名乗るのなら、まずは己からだろう」
 少年は立ち止まって振り返った。その後ろにすっと忍が寄った。静かな闘志が立ち昇る。威嚇はしないものの、油断はならないという空気が取り巻く。
「俺は三好清海という。ふりだと言われたが、これでも本物の僧侶だ」
 ひょろ高いほうが、忍の警戒に対して、その疑惑は無用とばかりに、二人の前に膝をついた。臣下としての礼を取る。
「俺は清海の弟で、三好伊三という。兄と同じく、僧侶の修行はしている」
 二人が名乗ると、少年は驚いたように目を見張った。
 それで三好兄弟は、この少年が自分で言うとおりの普通の戦争孤児ではないことを確信した。三好兄弟の名を知る人など、よほどの事情通でなければいるはずもないのだ。ましてや、こんな子どもとなると、知っているはずがないのが普通だ。
 どこまで知っているのか、少年の反応を待ってみたが、賢明な子どもは、何も言うことはなかった。驚きの反応の後は、無知を決め込むつもりなのだろう。
「それで、将来出世の間違いないわが主は、名乗ってくださらぬか?」
 清海が冗談のように聞くと、少年は諦めたように、軽く吹き出した。
「幸村という。本当に親がいないので、苗字はないぞ」
 その笑顔が、やはり爽やかで、心に涼やかな風が吹いたように感じられた。

posted by 高野尾 凌 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

第四章−3−

 峠を降りる幸村たちの後を、大小二人の男がついていく。
 幸村は途中ですれ違う数少ない旅人に、にこにこと無邪気な挨拶をする。
 特に急がない相手は立ち止まり、子ども相手に、峠を歩いてきたのは偉いと褒め、荷物の中から食べ物を分けたり、この先の注意をしてくれたりする。
 大人相手では出来ない技だと、三好兄弟はほとほと感動していた。
 だからか、幸村は二人になるべく離れて歩けと命じていた。そのわけがよくわかる道中だった。
 途中、道をそれて、一晩を過ごした。二人は野宿に慣れている様子で、枝を集めて火を起こし、忍の少年が取ってきた雉を捌いて食べた。二人にも食料を分けてくれたのには驚いた。
「かたじけない」
「雉が獲れたから振舞えたが、いつもこうとは限らない。何もないときは、草をかじってすごす」
 幸村はなんでもないように言ったが、そんな旅をしていて、心が荒まないのだろうか。二人はそれで盗賊に身を落としたというのに。
 火を絶やさぬようにして、二人は木の根にもたれかかって眠り始めた。忍が幸村を守るように上着を肩からかけている。こうして寄り添って生きてきたのだろう。
「どこの里の出身なんだ?」
 清海が忍に問う。目を閉じているが、二人に対して気を抜いていないことはありありとわかっていた。
「口が利けないのか?」
「里はない。ずっと幸村様と一緒にいる」
 忍は薄く目を開けて、清海を見ていた。その眼光の鋭さに、相手は子どもだとわかりながら、身が竦む思いがした。
「猿を操ることが出来るのか」
「操っていない。呼んだだけだ」
 説明が苦手らしいが、元々忍というのは無口なものである。
「名前は何という。お前だけ名乗っておらんぞ」
「…………」
 忍は名前を言いたがらなかった。
 名前を知られることは、忍にとっては避けたいことだと知っているが、これから一緒に行くのに、名前を呼べないのは不便であった。名乗りを上げ、手柄を誇称する侍とは対極の存在である。
 清海の知っている忍も、決して敵に名前を名乗りはしなかったものだ。名前を明かすときは、相手か自分が死ぬときのみだというくらいに。
 その忍とは、主の元を去る時に分かれた。新しい主を捜すつもりはないと言っていた。だとすれば、その名前で噂を知ることはもうできないだろう。
「別に、本名を云えとは言わん。どう呼べばいいのか知りたいだけだ」
「…………」
 それでも口を開こうとしない忍に代わって幸村が口を開いた。どうやら眠っていなかったようだ。
「これは佐助と言う。本人の言ったとおり里はない。俺が山で拾った忍だ」
 幸村の言うことは絶対らしく、佐助は名前をばらされても、驚きも怒りもしなかった。
 忍者は身分が低く、時には武将の持つ武器よりもひどい扱いを受けるくらいだが、名のある忍となると、それなりに重宝される。
 報酬によって主を変える忍者もいるが、一人の主を決めて無償の忠誠を誓う忍もいるらしい。佐助はこの後者のようだったが、幸村が拾ったというくらいだからか、それ以上の結びつきを感じる。
 きっと二人で、食べ物を、温もりを分け合って旅をしているからだろうか。
 朝になって寝こけていると、放置されかねないと思い、清海もおとなしく目を閉じることにした。

 翌朝、四人は朝日の昇る前に、鹿や鳥の鳴き声で目を覚ました。
 白み始めた空が、今日もよい天気だと教えてくれる。
 朝霧がゆっくりと消えていき、また揃って歩き始めた。
 その日の昼には人里に辿り着くことが出来て、幸村は早々と宿を探し始めた。
「清海、あの宿にしよう。大人二人、子供二人だ」
「俺が行くのか?」
「あぁ、宿代は出す」
「あんたが行けよ」
 自分の格好はあまり良い方とは言えなかった。僧侶姿の山賊のことは、この里でも知られているだろう。大小二人の組み合わせは嫌でも目立つ。
「子供二人だと、断られるか法外な宿代を吹っかけられるかなんだ。大丈夫、山賊に子連れがいるなどとは思わないさ」
 変な太鼓判を押されて、清海は宿屋の入り口で、番頭らしき男に声をかけた。
「子ども二人連れで四人なんだか、泊まれるか?」
 番頭は入り口をちらりと見て、にこにこと愛想良くしながらも、ちょっと高いんじゃないかと思う値段を口にした。
「高いだろう。子ども二人で大人一人分の料金にしろ」
 番頭はとんでもないと顔の前で手を振り、近頃は物騒で旅人が減り、それで料金も値上がりしているのだという。つまりは、清海たちのせいで、宿代が上がってしまっているのだ。
 それでも交渉の末、少しだけまけてもらって、四人は狭い部屋に通された。
「久しぶりに屋根の下で眠れるな」
 幸村はにこにことご機嫌そうだ。
「元はどこかの殿様なんだろう? よくこんな生活が続くな。行くあてでもあるのか? 縁故を頼るとか」
 清海自身も久しぶりの宿に、ゆっくりと足を伸ばした。
「殿様などではない。縁故もないぞ。俺たちについてきても、仕官の道はないといっただろう」
「仕官など今更興味はない。あんたがどこかで仕官するなら、その下につこうかと思いはしているが」
 清海の言葉に、幸村は意外そうに見返してきた。
「だったら、今ここで分かれよう。俺もどこにも仕官するつもりはない」
 幸村の足に巻いた布を外してやりながら、佐助が清海たちをちらりと見た。
「では仕官もどうでもいい。面白そうだからついていく」
 幸村は呆れたように笑うだけだ。
 着物を綺麗に着直して、幸村は出かけてくると言った。
「どこへ行く」
「心配しなくても放って行きはしないよ。散歩に行くだけ」
 幸村は飄々と出て行く。その後を佐助は追わなかった。
「ついていかなくていいのか?」
「行く。離れて行く」
 そう言うと、佐助は小さな窓から身を乗り出して、幸村が歩いていくのに遅れて、さっと飛んでいってしまった。
「あれだけ歩いてきたのに散歩か?」
 自分には真似ができないと、清海は首を振った。
「いったい、いつまで物好きな真似をしていくつもりだ、兄さん」
 伊三が不満気に口を尖らせた。今まで黙ってきていたが、これ以上子ども相手に、へりくだるのは嫌だといわんばかりだ。
「俺は本気でついていくつもりだぞ」
「本気か?」
 伊三は心から驚いたようだった。どこかで子ども達の裏をかき、実入りのいい話でもあるかと期待していたのだろう。
「本気だ。本人は否定しているが、あれはどこかのご落胤に違いない」
「まさか」
 伊三はげらげらと笑う。
「あの面を見ただろう。あんな上品な顔が、地侍に生まれたりするものか。所作や振る舞いも、幼い頃からしつけられたものだ。剣の腕も確かだ。ありゃあ、絶対に出世する。ついていって損はない」
「高評価はありがたいが、それは目が曇っているとしか言えないな」
 不意に声がかかり、二人は飛び上がるほど驚いた。
 いつの間に戻ったのか、窓辺に幸村と佐助が揃っていた。二人はまったく気づかなかった。それなりに人の気配には敏感で、注意も払っていたというのに。
「出世など望まない。欲しい名誉もない。一緒にいても、旨い話など何もない。むしろ、どこかで野垂れ死にだ。馬鹿なことは考えずに、さっさと自分で仕官先を探せ。三好兄弟なら、欲しがる所はいくでもあるだろう」
 本音を聞きだすために二人きりにされたのだ。まったく、子どもだからと油断してはならないと思っていたのに、またまんまと騙されてしまった。本当に悔しい。
 だが……。
「俺も別に出世など、望んじゃいない。この戦乱の世で、そんなもの、何の役にも立たない。それよりも、面白可笑しく、気分良く生きて死ねるなら、それがいい。もう盗賊は嫌になった」
 やはりこの少年は違う。清海は例え弟と分かれても、幸村についていくと決めた。
 幸村は溜め息をつきながらも、どこか楽しそうに、清海に笑顔を見せた。

posted by 高野尾 凌 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

第四章−4−

 加賀から能登へ抜けてきた街道の酒屋に、一人の若者が手酌で濁り酒を飲んでいた。
 酒の肴は、するめを焼いたもので、周りの酔客の騒ぎを気にもせずに、静かに杯を傾けていた。
 長い髪を低い位置で結んでいる姿は珍しく、本人も田舎では見かけないようなはっと気を引くような美形も加わってか、ちらちらと視線を集めるが、本人はまったく気づかぬふりで通している。
 耳目を集めるのは本意ではないが、かといって、彼が人の記憶に残るかと言われれば、あまりそうでもない。綺麗な男がいたよ。私も見たよと噂にはなるが、さてどんな顔だったかと問われれば、「綺麗な男だった」とか言われない。そういう表情の作り方を彼は知っていた。
 だが……。
「久しぶりだな」
 若者の横に、どすんと音をたてて座る男がいた。
 わざと音をたてたのだとわかる。男が音をたてずに座ったのならば、彼は遠慮なく攻撃の手を繰り出していただろう。気配を殺して近づけば、それは攻撃されたのだと同じことだと、彼は常に思っているし、そういう生活を続けてきていた。
 若者は横に座った男を見ると、ふんと鼻を鳴らした。
「お前に見つかるようじゃ、俺も終わったな」
 声は低く、ささやくように喋るので、聞き取りにくい。だがそれは、周りに会話を聞かれないための忍の技だった。
「まさか。本当に偶然見かけたんだ。だから、これ幸いと声をかけさせてもらった」
 男もささやくように話しかけてきた。
「どんな話も聞きたくない」
 若者のほうはひどく迷惑なようだった。けれどここで逃がせば、今後二度と会うことはないだろう。いや、会うことがないほうが幸せだ。次に会った時に、敵軍にいられでもしたら、味方にどれだけの犠牲が出るのか。男は考えただけで鳥肌が立った。
「待て。手伝ってくれるだけでいいんだ」
 男は片手を落とされる覚悟で若者の肩を掴んだ。彼も、こんな所で刃物を振り回す気はなかったらしく、じろりと睨むだけで済ませてくれた。
「正成ともあろうものが、ずいぶん下手に出たものだ」
 若者はからかうように言う。
「今は半蔵だ。跡を継いだ」
 苦々しげに訂正する。知っているくせに、彼はわざと元の名前を呼んでからかうのだ。
「手伝う気はない。俺はもう誰の下にもつかない」
 離せと肩を回すが、半蔵は本当に必死なようで、余計に力をこめてくる。いつつけたのかわからない鼻から頬にかけての傷が、必死の形相をさらに強めている。前に会った時は、こんな傷はなかったと若者は思いながら、頬の傷を見た。
「下に付けとは言わん。報酬も言い値だけ支払う。だから手伝ってくれ。お前がいればなんとか軒猿たちの目も誤魔化せる気がする」
 彼は半蔵の軒猿という台詞に流石に驚いて、目を見開き、そして苦く笑った。
「冗談だろ。上杉の偵察をしろってか」
 それは相手が大きすぎると、彼は首を振った。
「そんな仕事は、どんな報酬を貰っても割りに合わない。命と引き換えになりかねん」
 わが主君のためならばどんな仕事にも首は縦にしか振らないが、たかが手伝いで命を賭けたくはなかった。
「何も軒猿を相手にしろとは言ってない。上杉家にある子どもがいないかを確かめるだけだ」
「それくらいなら自分でしろよ。服部家の頭領様」
 また馬鹿にしたように言われたので、半蔵はますます腹が立ったが、この若者をこんな場所で見つけた限り、逃がすつもりはなかった。こんな偶然は行幸に等しく、一生にもう二度とはないだろう。
「その子どもの生死がわからぬ限り、俺に帰る場所はないんだ。本当に頼む」
「どんな子どもだよ、そりゃ。お前んとこの狸がそこまで気にするなんて」
 狸と言われたところで、半蔵はきょろきょろと視線だけを動かして、周りを気にした。
「誰にも聞かれちゃいないよ。そういう話し方をしただろう」
 若者は半蔵の警戒の深さを臆病者だと笑った。
「殿様は、その子どもが確かに死んだと、何か証拠をもってこいと言われるんだ。崖底に落ちたと言っても、信じてくださらん」
「どうして落ちた時に足や腕だけでも拾わなかったんだよ」
 鈍臭いと若者がまた嘲笑う。
「生きているわけがないと思った。それでご納得いただけると思っていたんだ」
 そこがお前の甘いところだと、若者は内心で同情する。服部本家もこんな跡継ぎしかいなかったのなら、さぞかし大変なことだろうと。
「それでどうして上杉偵察なんだ」
「そいつの小姓たちが上杉に保護されている。そこに身を寄せているのではないかと疑っておられる」
「本当に気の小さい狸だな」
「おいっ」
 いい加減聞き逃せなくなった半蔵が立ち上がろうとするのに、若者は椅子の足を蹴って牽制した。
「いいぜ、そのがきがいるかいないか、確かめればいいんだろ? それで報酬は言い値をくれる」
「あ、あぁ」
 どれくらい吹っかけられるか不安になったが、半蔵の連れてきた手下だけでは心許なかったので、なんとか都合つける覚悟だった。
「報酬は後払いでいいや。俺が困った時」
「あ? それでいいのか? 何ならすぐにでも殿様にお前のことを……」
「冗談じゃねぇ。徳川の犬になんかなるかよ。俺は誰の下にもつかない。一度聞いたことは覚えとけ」
 苛立つ調子の若者に、半蔵はうんうんと頷いた。
「それで? なんていうがきを捜すんだ? いや、いない証拠を掴むのか?」
「どちらでもかまわない。子どもの名前は真田源次郎信繁。真田昌幸の嫡男で、九歳だ」
「たった九歳のがきにその体たらくかよ」
「うるさい。とにかく、死んだという証拠が欲しい」
 彼がその気の残っているうちに連れ出したいとばかりに、半蔵は二人分の料金を払った。
「まずは、そのがきが落ちたっていう崖に連れて行け。そこで骨が見つかりゃ好都合だろ」
「案内するのはいいが……何も残ってないぞ」
 溜め息をつきつつ、半蔵は歩き始めた。
「越後っていうのはこれから寒くなるんだろ? 嫌だなぁ。ついてねぇなぁ。南に向いて歩いてりゃ良かったな」
「これも廻り合わせだろうよ。俺はこんな所で才蔵に会えるとは、一生分の幸運が舞い込んできたようなもんだ」
 半蔵の言葉に、才蔵は気のなさそうに鼻を鳴らした。

posted by 高野尾 凌 at 16:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

第四章−5−

 宿を出発した後、少年二人のとった道はさらに西を向く旅だった。
「おい、どこへ行くつもりなんだ?」
 別にどこに行くのでもいいが、行く宛てくらいは知っておきたかった。
 清海の問いに、幸村は振り返らずに答えた。
「どこでもいいんだけど……まずは琵琶湖というのを見てみたいかな」
「なんだ、琵琶湖を見た事がないのか。海みたいとは言われているが、潮の香りはしないし、やっぱり湖は湖だぞ」
「どっちでもいい。やはり海は潮の香りがするのか?」
 幸村がくるりと振り返った。その瞳は興味津々に輝いている。
「海も見たことがないか。山育ちなんだな」
「浜辺で育たない限り、海を見たことがある人のほうが少ないと思うけど」
 なんでもないことのように言って、また前を向く幸村に、そほど身辺を探られたくないのだなと感じた。
 本当に戦で親を亡くしただけなのか、一緒に道中を行けば行くほど疑問がふくらんでくる。
 けれど二人に接触するものは無く、少年忍が連絡を取っている様子もない。本当に二人きりで支えあって旅をしてきたようだ。
 幸村はこちらから話しかけると、時には饒舌に対応してくる。自分の知らないことなどは、驚くほど熱心に聞いてくる。それは里の道を行くときも同様で、村人に物怖じせずに話しかけ、色んな事を聞いたりしている。
 そんなときは十歳だという本人の申告どおりの子どもらしさだ。見目の良い、はきはきと話しかける利口そうな子が、話に驚いたり感心したり、にこにこと根気よく聞いてくれるので、口も軽くなるようだった。
 お陰で、時にはとんでもない噂話を仕入れてくることもある。
 峠に出る盗賊の話もそうやって聞いて知っていたのだろう。
「琵琶湖まではもうすぐらしい。この先の山はそろそろ雪が降るらしいから、野宿には不向きだ。今夜はこの里で宿をとることにする」
 基本的に二人は野宿をしている。山の中で暖をとりながら、身を寄せ合って眠っている。
 金も少しくらいは持っているようなのに、あまり使おうとはしない。
 手持ちが少なくなると、ちょっと大きな里に行って、店や農夫の手伝いをして、いくらかの稼ぎを得てくる。
 それには三好兄弟も参加させられた。庄屋のあるところなどは、農夫よりも力仕事のほうが実入りがよかった。どういうわけか、幸村はそうした仕事を見つけてくるのもうまかった。どこかで大きな工事があると、二人に働いてきてはどうかともちかける。決して強制はしない。だが、それを拒否すれば、彼は兄弟を放って行ってしまうだろうことはわかっていた。
 これは小さな主に試されているのだろう。信頼を持つべき家来になれるか、見られているのだ。
 そして幸村は、兄弟の稼いできた金を、本人たちのことにしか使わせなかった。主人としてその金を巻き上げようとはしなかった。
「子どもを養うのは大人の務めだぞ」
 そういって使わせようとしたが、幸村は受け取ろうとはしなかった。
「それなら、俺はお前達に禄を与えねばならない。出来ないから働いてきてもらってる。それより、何か変わった話は聞かなかったか?」
 単に噂が好きなのか、好奇心が強いのかと思っていた子どもは、本気で情報を欲しがっているのだとわかり、それからはなるべく噂を集めるようにした。
 そういう点では、伊三より清海のほうが得意だ。ただし、清海は人当たりがいい分、腹を割っての話はしてもらえない。噂は多く集められるが、信憑性については慎重に見極める必要がある。
 反対に伊三は、その手の腹を割った話をさせるのがうまい。まるで旧知の中のように錯覚させて、話を聞き出してしまう。
 清海が集めた話の中からこれはと思うものを選んで、伊三がより深く話を聞きだすという形が出来つつあった。
 佐助は常に幸村に付き従い、幸村と同じ手伝いをしている。子どもだからと二人で一人分の稼ぎしかないが、それも幸村の人懐こさで、いつのまにか約束していたよりも少し足してもらえているので、たいした損ではないようだ。
「山を越すなら雪の前がいい。琵琶湖のほうへ行くと、だいぶ暖かいらしいから」
 久しぶりに宿を取った四人は、少しばかり贅沢をして、湯も浴びることにした。お湯の中に浸かるのではなく、焼いた石にお湯をかけて、その蒸気で汗を流し、最後にかかり湯をするものだったが、とても気分はさっぱりした。
「どこかの殿様の伽小姓ばりの艶やかさだな」
 清海が湯上りの、どきっとするような幸村の色白さと美しさに、照れまぎれにからかうと、佐助がぎろりと睨んできた。
「おいおい、どうしてお前が睨む。さては、本当に伽小姓だったのか?」
「からかうのは勝手だが、夜中に妙なことをすると、手を切り落としてやるからな」
 普段は冗談を聞き流す幸村が、珍しく反発する。
「悪かったな。俺はもちろんだが兄にもそんな趣味は無い。安心して寝ろ。近江に出るまでは、またしんどい旅になる」
 伊三が執り成すように謝ってくるので、清海も素直に頭を下げた。
 働きながら、野宿しながら、幸村たちも当てがあるわけではないのんびりな道中なので、思っていたよりも日数がかかる。
「こちらこそ悪かった。子ども二人で旅をしていると、色々厭な目に遭うことがあったんだ」
 幸村の言い方に、それまでの苦労がしのばれた。
 すき好んで野宿をしているのではないようだ。これまでにも泊めてやるという申し出を、あっさり断っている姿を何度か見かけたが、そういう理由があったらしい。
 清海がいることで宿が簡単に取れるようになったということは、幸村が清海たちと出会って良かったと思える理由になっているだろう。
 本人もとてつもなく強いし、佐助が傍にいた事で、本気で危険な目に遭ったことはないだろうが、それなりに育ちの良いだろう幸村が、大人を信用できなくなっていくには十分な出来事だったのではないだろうか。
 それを問うと、「別に。俺が選んだ生き方だから」と、こともなげに言う。
 かげる瞳は、それよりももっとひどいことを知っている目だった。
 そんなふうにかかわりを深めながら、四人は西を目指した。
「ほら、幸村。あれが琵琶湖だ」
 山道を越え、開いた視界の向こうにきらめく湖面が見えた。
 清海の指先にその湖面を見つけ、幸村は瞳を輝かせた。
「すごい……」
 その笑顔は純粋に子どもらしくて、清海はほっとしたのだった。

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2009年09月24日

第四章−6−

 琵琶湖畔に着いた幸村たちは、長浜に逗留した。
 信濃の山育ちの幸村にとって、長浜の町は信じられないくらい大きな町だった。
 それでも京の都はこんな比ではないと言う。
「さっさと京に行こうや」
 琵琶湖現物だけのつもりだった清海は、腰を落ち着ける先を探している幸村に、少しばかり驚いた。
「行けばいいのに」
 幸村は置いて行ってくれていいといわんばかりだ。ただの道連れと思われていたことに少なからず気持ちが沈む。形ばかりでもいいから慰留して欲しかった。
「引き止めるとかしないのか」
 むっとして聞き返すと、子どもに呆れた目で見られてしまった。
「配下に入るというのなら、進言はしても文句は言わない。配下に入らないなら言動も行動も自由。配下に入ってもらっても、禄も石も部下も与えられない」
 これまでにも何度かした会話を繰り返される。その度に、伊三は離れたがり、清海は踏み止まる。
「幸村はどっちがいいんだ」
 ついに耐え切れなくなって聞く。これで覚悟を決めるつもりだった。
 配給は無くても、いずれ何がしかのことはやり遂げてしまいそうな少年は、自分達をどうしたいと思っているのか。
 幸村は人家から離れたところで立ち止まり、三好兄弟をしっかりと見返した。
「どちらでもいい。本気だ。今はついてきてくれとは言えないわけがある」
「今は……か。それは俺たちを信用していないからか?」
 含みのある言い方に、伊三が珍しく口を出してきた。
「そうじゃない。その話を聞いたら、お前達に覚悟をしてもらわないといけない。俺が……まだその器じゃないだけだ」
 相手は十歳の子どもだ。たかが十歳で、どれだけの覚悟があるというのだ。所詮子どもの夢だろう。そう思うのに、茶化せない。
 それだけ幸村の目は真剣すぎて、何かを言える空気ではなかった。
「佐助は知っているのか」
 幸村に付き従い、言葉に出さなくても主の意を汲み、望む以上の仕事をする忍。
「俺は幸村様のためだけにいる」
 普段は何を聞いても答えず、黙して語らぬ忍が、はっきりと自分の意志を見せた。
「わかった。俺たちは幸村についていく」
 伊三の断言口調に、弟がかなり本気なのを感じ取って、清海は驚きながらも同じだと頷いた。
「だったら、俺の覚悟を話す時、その時に配下となるかを聞く。それまでは気楽な道連れでいてくれ」
 幸村はほっとしたように笑った。
 まだ少年だというのに、妙に惹きつけられる。まだ佐助のように何に換えてもというほど心酔は出来ないが、その笑顔を見たさに力を貸したくなる。
 不思議な魅力の持ち主だ。けれどそれが大将の器なのだろうと思う。
 この人と決めた主を失い、転々とするうちに武将たちを見限ってきた三好兄弟に、臣下になってもいいと思わせるだけの気性がある。
 どれほどの大物になるかは不明だが、一緒に歩いてみるのも楽しそうだ。
 それで死ぬなら、その時はその時。もう惜しい命ではないような気さえする。

 それから幸村たちは、漁師達の間を聞き回りながら、船宿での働き口を見つけてきた。まだ子どもなので手伝い程度のことだが、冬の間は地元の人も京へと出稼ぎに行ってしまうので、ちょっとした人手が足りなくなるという。
 正月までの働き口と寝る場所を確保した幸村は、三好兄弟の働く場所まで見つけてきた。城の工事人夫だった。
「やれやれ、また力仕事か。侍として雇ってもらいたいもんだ」
「顔を知られてしまっては困る」
 幸村のはっきりした理由に、これからはどこに行っても、三好という名前は出してはならないのだと悟った。
「元僧侶の清海と伊三だ。破門されたことにでもしておいてくれ」
「それで? 何を探ればいいのかねぇ」
「世の中の行方」
 あまりにも漠然とした、それでいて大きな話に、清海たちはぽかんと口を開けてしまう。今までのように、この辺の情勢を探ればいいだけかと思っていた。
「何のための長浜だ。羽柴が取るか、徳川が出るか、それとも上杉が持ち直すか。それで世の中が決まるだろうに」
 長浜は秀吉の膝元だ。だからこそこんなに開けている。
 ここにいても秀吉びいきのことしか聞けないだろうが、だからこそ知り得る情報もたくさんあるだろう。
「怪しまれないようにな」
 気軽に言って、幸村たちは船宿の手伝いに出てしまう。
 こまごまと働きながら、何も知らない子どもの好奇心を演出して、相手の口を軽くさせる。佐助は独特の耳で、大人たちの内緒話を拾い集める。
 二人の組み合わせは、清海たちから見れば、最強に恐ろしいものに感じられた。
 兄弟自身、あんなふうに子どもに懐かれ、感心しながら話を聞かれると、ついしゃべってしまいそうだと思ったからだ。
 昔、城勤めをしていたときに、子ども達に勉学勉学と、大人たちの間に入らせなかったことを、今更ながら悔やんだ。あれはそこらの情報矢より性質が悪い。
 そして自分達も負けていられないと感じた。
 自分達は城に働きに出かけるのだ。幸村たちより詳しい情報を手に入れられる立場なのに、子どもが仕入れた話をそんなことは知らなかったと驚くわけにはいかない。
 そうして七日経ち、十日経つうちに、話の穂を継ぎ合わせていくと、三好兄弟にも世の中の動きが見えはじめてきた。
「羽柴だな。近いうちに日本の半分はまとめてしまいそうだ」
 正式に織田信長の跡を継いだ秀吉は、信長の勢いを失わずに、領地を広げていっている。戦わずして臣下に下る大名も少なくない。
 北条、徳川は臣従はしていないものの、反旗を揚げる様子はないらしい。上杉も伊達も、南下してくる様子はない。その時にはもう、羽柴には対抗できなくなりそうだ。それほど勢いが強かった。
「首を引っ込めたな……」
 幸村がぽつりと漏らす。
 その目はじっと板敷きの床を見つめ、何かを睨んでいるようだ。誰のことだとは聞けなかった。
 子どもらしくない暗い目の奥に、消えない炎が見えるような気がした。
 幸村の胸に去来するのは、優しく強い父の顔だった。
 狸は伸ばした手を引っ込めた。羽柴の勢いに、今はまだ駄目だと判断したのだろう。
 けれど諦めたとは思えない。絶対にまた手を伸ばし始めるはずだ。きっと自分に風が向く瞬間を待っている。あらゆる手を尽くしながら、いつまででも待てる男だ。
 その執念が恐ろしく、武将らしくない姿勢が憎い。
「それよりも、長浜の活気は素晴らしい。信長殿の町造りの良い点を引き継いで、発展させているらしい。このやり方はとても面白いと思った」
 突然話題を変え、幸村は嬉々として町の様子を語った。
 その瞳はここを住処に決めたかのように楽しそうだった。

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2009年09月25日

第四章−7−

 どんな仕事も厭わずに「はい」と素直に返事をして、頼まれた以上の成果を出す幸村は、宿屋の皆に可愛がられていた。
「幸村、ちょっと休みな。茶を入れてやろう」
「ほら、これで饅頭でも買っといで」
 お駄賃を貰ったり、ちゃっかり休ませてもらったりしている。
「ありがとうございます」
 とても嬉しそうに、気持ちよく礼を言うので、往きに寄っていった客が、帰りもわざわざ宿に使ってくれたりする。そして土産を貰っている。
 礼を言いながら、道中の話を熱心に聞くので、さらに可愛がられる。
「ずっとここにいるのか? もっといい働き口を世話してやるぞ」
 ついでに連れて行こうとする者まで出る始末だ。
 宿の亭主はいい子を見つけてきたと喜び、当初、年を越すまでという約束を、もっと伸ばせないかと聞いてきた。
「もっと給金もあげてやるよ。長く続けていく気持ちがあるなら、ちゃんと教えてやるし、部屋も一つやるよ」
 ありがたい申し出だが、一つのところに落ち着くつもりのない幸村は、嬉しそうにしながらも、ちょっと困った顔をした。
「城に働きに行っているおじさんたちがいるので、どうなるかなぁ。早く京に行きたいっていってたし」
 あっさり清海たちのせいにして、もったいつけた。
「あぁ、あの坊主崩れたちなぁ。お前達はここで働いてもいいんじゃないか?」
 諦めきれずに誘う亭主に、考えておくと言っておいた。
「そろそろ移り時かなぁ」
 噂になるのは困る。目立って人目につくのはまずい。
 まさかとは思うが、信濃で消えた若様と、長浜にいる少年が結びつく可能性は低いと思うが、まったくないとも言い切れないのではないか。
 名前は消し去れても、年は誤魔化せない。しかも自分の側には佐助がいる。
 佐助の名前は知られていないが、忍者とばれてしまえば誤魔化せない。
「徳川の間者らしきものがいないか、常に気をつけていてくれ」
 返事はないが、佐助は幸村の命に、是の返事しか持たないし、それだけですべてのことをしてくれるのは疑いがない。
 それからしばらくは、何事もなく過ごせていた。
 長浜は信濃よりも暖かいと思っていた幸村だが、案外雪が早く降り始めたことに驚く。
 寒さには慣れているが、琵琶湖から吹く風は湿っていて冷たく、船宿の仕事は水を扱うことも多いので、苦労は多かった。
 指先が冷たく、あかぎれが出来てくると、佐助が心配してせっせと薬を作って塗りたくる。
「まだ手の皮が薄いんだなぁ。厚く丈夫にならないとなぁ」
 神社で手伝いはしていたが、下男働きなどしたことはなく、大切に育てられた体は冷たい水に耐えられなかった。
「お城に戻れます」
 そんな必要はないと、佐助は血行が良くなるようにと両手を揉む。
「色んな薬をよく知っているな。ほら、もう手が暖かくなってきた」
 少しばかり薬は傷に染みたが、それでも本当に暖かくなってきて、ほっとする。
 山に入っても、時折姿を消しては、薬草を見つけてきて、それらを乾燥させたり、粉にしたり、練ったりと、色んな調合をしている。
 すべて両親から教えられたことだというが、まだ幼かった佐助が覚えていることがすごいと感心する。
 崖下に落ちていく瞬間、幸村の体を支え、木や草を掴んで落下を逃れた。追っ手を逃れるために、そのまま崖を下って、沢伝いに山を下りた。
 そのまま越後に向かおうとする佐助に、幸村は足を止めた。
『源次郎様?』
 不思議そうに呼んだ佐助に、源次郎はずっと考えていたことを告げた。
『真田源次郎はここで死ぬ』
 いつも感情の欠片すら見せなかった忍が、ひどく驚いた顔をしたのに、幸村は微かに笑った。
『そう、徳川には思わせるっていうことだ』
 それでも納得できないように源次郎を見た佐助に、このまま反対のほうに行こうと手を伸ばした。
 お前だけでも自由に生きろと言えれば良かったのかもしれない。けれど、その時の源次郎にとっては、もう佐助しか残されていなかった。その手まで離すのは、本当に死に直結することだとわかっていた。
『名前を変え、仲間を集め、いつか必ず、上田の城を取り戻す』
 決意をこめて言う。
『ついてきてくれるか?』
 佐助は迷う瞬間さえなく、源次郎の足元に膝をついて頭を下げた。
『それまで……、しばらくさようならだ』
 上田の方角を仰ぎ見て、別れを告げた。だが、これが決別ではないと心に誓って。
 山の道なき道を西に向かいながら、しばらくは徳川の追っ手が怖かった。
 満足に眠れる夜などなく、身を寄せ合って寒さと飢えを凌いだ。
 街道に出て、徳川の追っ手のないことを確認できたときは、本当に心から安堵して、何故だか泣けてきた。
『幸村様……』
 父がつけてくれた名前は捨てた。
 けれど父に繋がる名前でいたかった。
 だから自分で幸村と名づけた。
 その名前を佐助が呼ぶ。
『必ず帰る……』
 この手に取り戻す。
 涙を振り絞って背中を向けた。
 いつ戻れるかわからない道を歩き始めた二人は、力を合わせて歩き続けてきたのだ。
「ちょっと早めに、また西に行こうか。ここはもう……飽きた」
 活気のある町で、知りたいことはたくさんあったが、長く留まることは危険を伴う。
 やはり佐助の返事はなかったが、それだけで忍が準備を整えてくれることもわかっていた。
「大晦日の前に、店が休みになったら、出発する。……ありがとう、ずいぶん楽になった。今度は、あまり水仕事をしない仕事だといいな」
 幸村は笑い、庭に積もり始めた雪を眺めた。
「琵琶湖も凍るのかな」
 上田の池は陸に近い部分が凍って、その氷で遊んだものだ。
「波があるので凍らないそうです」
「へぇ、そうなんだ」
 幸村はそんな話を佐助がどこから聞きだしてきたのか、それを想像するとおかしくなってきた。
 もっぱら、諜報ばかりをしているのだと思ったら、他の者と会話もしているようだ。神社にいたときのことを考えると、語彙も増え、言葉の繋ぎも滑らかになっていたが、それでもおしゃべりをしている佐助の姿が想像しづらい。
 今度覗いてみようかと悪戯心を起こした幸村の笑顔に、佐助はほっとしたように頷いた。

posted by 高野尾 凌 at 23:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

第四章−8−

 いくら報酬が良くても、自分の命を賭ける気まではしない。
 上杉家には軒猿という優秀な忍軍団がいる。お抱えの忍衆は、他の忍者たちと連絡は取らず、独特の連携をしている。
 だから二つ名を持つような有名な忍はいないが、調整の取れた見事な活躍をするという。
 見つかれば厄介だ。
 だが、服部半蔵も、それなりに成果は上げていた。
 真田の息子の小姓たちがどこに保護されているか、その二人が日頃どのような行動を取っているかを正確に把握していた。
 その二人は、春日山城の下屋敷に割り当てられた家から、揃って出てきた。
 これから村道を通り、近くの川まで出て行くのだろう。橋のたもとでずっと人待ち顔で、遠くを見続けるのだ。
 どんなに待っても、待ちわびている若様はやってこないだろうなと才蔵は思っていた。
 その若様が落ちた崖を見てきたが、とてもじゃないが助かるとは思えなかった。遺体は見つからなかったというが、沢に流されたか、獣に荒らされたかどちらかだろう。
 さっさと回収に行かないからだと半蔵に言ってやったが、彼は彼でやることがあったのだと苦い顔をした。
 才蔵は釣り人を装い、川原へ降りて、橋の上にいる二人を伺っていた。
 年上のほうが六郎、小さなほうが小介というのはもうわかっている。
 小介がぐずぐずと六郎を困らせていることが多い。二人はどうしても若様の死を認められないのだが、小介のほうがその気持ちが強く、六郎のほうは半ば諦めているようだった。
「あ、十蔵さんと矢沢様だ! 十蔵さーん!」
 小介が誰かを見つけたらしく、日頃にない明るい声を出した。
(ちっ、誰だよ。半蔵の馬鹿め、報告に無かったぞ)
 聞かされていない名前に、内心で依頼人である忍に悪態をついた。
「お帰りなさい。どうでした?」
 才蔵は悟られないようにそっとその人物を窺う。
 一人は年配の武将だった。矢沢という名前は才蔵も耳にしたことがある。昌幸直属の部下で、昌幸の信頼も篤く、勇猛で名の知れた武人だ。顔を見るのははじめてだが、勇敢という面影は薄く、疲れの影が濃い。
 もう一人はまだ若い、才蔵とそう変わらぬ年の武人だった。肩に銃を担いでいる。
「駄目だ……。今回は沢の下流まで捜索したが、手がかりは見つけられなかった」
 矢沢が無念そうに言う。
「そうですか」
 落胆する六郎の声が、小さく響く。
 もう駄目かもという言葉は、絶対に口にしない。一縷の望みであっても、確証がない限りはあきらめたくない。
「宗太郎先生は?」
 二人で帰ってきた十蔵に、小介が心配そうに尋ねる。
「神社に帰ってもらった。あちらも大変だろう」
 小介は息を飲んで俯いた。その答えは、源次郎の捜索が終わることを意味しているとわかったからだろう。
(神社って、どこだ。まったく、情報は全部出せといったのに)
 宗太郎という名前もはじめて聞く。半蔵としても、内密にしたいことはあるだろうが、調査対象からこうも知らないことが出てくると、いちいち気になってしょうがない。
「それから、二人に話がある」
 矢沢は辺りを見回し、川原に釣り人を見つけるが、あの距離ではとても聞こえないと判断したのか、それでも声を潜めながら話し始めた。
「源次郎様の捜索は、もう終わりだ。これだけ捜しても見つからず、手がかりもない。それにずいぶん日も経った」
「でもっ、佐助が一緒でしょ? だったら、何日経ってても、きっとお元気に決まってます」
 小介は必死に言い募る。諦められるわけがない。
「佐助なら、山で生きられます! 何日でも!」
「だったら、どうしてここに来られない? 神社にも、上田城にも戻られていない。お元気なら、もうここに来られているはずだと……そう、決まった」
 幾人かの捜索隊があったのだろう。彼らの意見ではないようだったが、それを受け入れるしかなかったようだ。
「二人に話というのは、そのことではないんだ」
 小介が洟をすする。本当によく泣くがきだ。けれど、また気にかかる名前が出た。
(佐助とは誰だ……。山で生きられるというのなら、忍だろうか?)
 若様につくくらいなら、それなりに名前の通った忍だろうが、聞いたことがなかった。伊賀者にはいない。だが、武田や真田が重用していた甲賀者にも、聞かぬ名前だと思った。
「源次郎様の姉上様、とよ様が北条家に嫁がれることになった」
「えっ! ……でも、まだとよ様は十三で……」
 嫁ぐとは言っても、それは人質と同様だろう。徳川ではなく北条というのが、家康らしい小賢しさだと才蔵は感じた。
「お輿入れに伴い、五人のご家臣とその配下を連れて行ってもよいという事になった」
「それは……」
「ご正室の山手様はご出家なさり、松平家の預かりと決まった。ご出家に当たり、五人のご家臣とその配下を連れて行くようにと。残されたかえ様は本多家のご養女となられる。本多家に行かれるのに、五人のご家臣とその配下を。残りは村上軍配下となる」
 矢沢が言葉を止めると、沈黙が広がった。
(どこまで臆病なんだ、徳川家康。それほどまでに真田が憎かったか。……いや、怖かったのか)
「それは真田軍の勢力を解体させ、無力化するということなんですね」
 六郎の確認に、小介もようやく事態を察したようだ。
「源次郎様の捜索を打ち切ったのは、その報せを受けたからでもある。源次郎様が戻られても、もはや真田軍は存在しない……」
 矢沢の声に、二人はただ立ち尽くすだけだった。
「それで、お前達はどうする。上杉家は、一度預かったお前達を、主がいないからと放り出したりはせぬと申された。このまま上杉に残るのもいいし、どこかに行きたいのなら、世話をしてくださるそうだ」
 突然の話に、二人はどうしていいのかわからないようだった。
「拙者はここに残ることにした。家老の内藤は山手様についていくそうだ。誘ってもらったが、御館様を救えなかった拙者は、山手様に合わせるお顔がない」
 矢沢ほどの武将なら、上杉家としても喉から手が出るほどに欲しいだろう。それは、小姓たち二人が、ここに残りやすいようにという配慮も見えた。
「俺は、ここに残って……源次郎様を待ちたいです」
 それはもう無駄だと説明しても、小介は聞く耳を持たぬようだった。せめて諦め、受け入れるようになるまでは、ここに残りたいと思っているのだろう。
「だって、源次郎様は先に行ってろって。後で行くから元気でいろって、俺に言いました!」
「俺も小介と一緒にここに残ります。北条も、松平も、本多も全部嫌です。村上軍なんてとんでもない。他の軍なんて……知らないし」
 小介の肩を抱くようにして、六郎も残留を決めた。
「十蔵、お前はどうする。重治殿は上田城に残られるようだが」
 父こそ昌幸と共に殉死する覚悟であっただろうと十蔵は思った。昌幸がいなくなった今は、上田城と運命を共にしたいのかもしれない。
「俺は……」
 四人が揃ってから、はじめて十蔵が口を開いた。そして答える前に、小介の小さな体が袂にしがみついた。
「残ってください。ここで一緒に、源次郎様を待ってください! きっと源次郎様は戻ってきます!」
 見上げてくるのは必死の瞳。涙に濡れた目が、縋りついて来る。
「俺は、しばらく外に出てみたい」
 静かな言葉は、もう決意しているようだった。
「そんな……」
「戻ってくるから、小介」
「嘘だ! 嘘だ! そう言って、源次郎様も帰ってこない!」
 源次郎を待つといいながら、帰ってこないことを責める。矛盾した感情が噴き出し、小介は大声で泣いて、屋敷への道を駆け戻っていく。
「十蔵さん、俺も貴方はここにいてくれると思ってました。源次郎様を諦めきれない気持ちは一緒だと思ってました」
 感情まかせに責めない分、六郎の言葉は十蔵の胸を突いたようだった。
「でも、十蔵さんほどの腕があるなら、仕方ないのもわかってます。御館様も重治殿も、ずっと十蔵さんにどこか仕官してもいいって言ってたのを知ってますから」
 ぺこりと頭を下げて、六郎も小介の後を追っていった。
「あれらはまだ小さい。すぐにわかるようになる」
 矢沢が慰めるように十蔵の肩を叩いた。
「俺は本当に戻ってくるつもりです。この気持ちに整理がつくまで」
 言葉少ない青年の本音に、矢沢ははっとして顔を見返した。
 言葉がないから悲しくないというのとは違う。言葉にしない分、泣けない分、この青年の悲しみは深く、主と別れたことを悔いているのだろう。
 その後悔は矢沢も同じだった。あの時、書状など、他の誰でも良かったのだ。ここで生き残っている己に腹が立ってならない。
「それまであの二人をお願いします」
「承った」
 日の暮れてゆく道を、二人は無言で帰り始めた。
 一人取り残された才蔵は、深い溜め息をついた。
 本当に厭な仕事を引き受けたものだと、ゆっくりと落ち込んでいった。

posted by 高野尾 凌 at 22:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

第四章−9−

 琵琶湖の南端、瀬田で待つこと一日。三次兄弟が追いついてきた。
 世間は正月である。
 それを祝うことも出来ない四人は、村はずれで無人の小屋を見つけ、ささやかに年明けを迎えた。
「これからどうする? 少しは金もたまったから、しばらくは宿屋に泊まりながら旅も出来そうだぞ」
 清海は出来ればのんびりと旅をしたいらしい。これからは寒くなるばかりなので、宿を取りたい気持ちもわかる。
「このまま京に行くのもよかろう。色んな情報が入ってくる」
 伊三も、せめて正月くらいは賑やかに過ごしたいようだった。
 だが、人がたくさん集まれば、情報も集まるかわりに、人の目も多くなる。
 せめてもう少し年を取り、出自を探られる心配のなくなるくらいまでは、人目を避けたい。特に、徳川のほうから。
「そうだ、羽柴秀吉がいよいよ四国に出るらしいな。関東は手を出しにくいようだ」
「何か聞いてきたのか?」
 世の流れは羽柴に傾いている。天下を統一するのも目前というところだ。
「関東のほうは、やはり北条の大きさが問題だろうと言われていたな。衰退しつつあっても、北条は北条だ。西を残して責めるのは心許ないのだろうといわれている」
 幸村はその話を聞いて、やはりなと思っていた。幸村が秀吉だとしても、北条を攻めるのは最後にしたいところだ。北条の手前には徳川がおり、北条の背後には伊達がいる。
 四国、中国を残したまま北条に時間を取られると、自分の足元を崩されかねない。
「その北条と徳川で、陰でこそこそした動きがあるらしいぞ」
「徳川は羽柴側だろう? 徳川は織田信長の時代に、秀吉に散々にやられているじゃないか」
「徳川が秀吉についているなんていうのは、眉唾だともっぱらの噂だぜ。従っているふりをしつつ、北条に内通しているといわれている」
 三次兄弟の話は、幸村に聞かせているというより、だんだんと議論になっていた。二人が聞き入れてきた噂の出所は別々のようだ。
 しかし、工夫としては新参である清海たちに、こんな噂が聞こえてくるあたり、徳川の動きは秀吉にもばれているのではないだろうか。
「俺が聞いたところじゃ、徳川は北条の動きを秀吉に耳打ちして、ご機嫌をとっているって事だったがなぁ」
「二重間者か。けれど、秀吉のご機嫌を取りつつ、本当のところは北条寄りなんじゃないか? なんでも、最近攻め落とした城の二人の姫を、北条と徳川で分けたらしいぜ」
「人質か? だが、落としたんなら、人質の必要もないだろうに」
「好き者なんじゃないのか? 北条に嫁いだほうは十三だってよ。まだ子どもじゃねーか」
 幸村はぴくりと頬を震わせた。悟られてはいけない。この動揺を表に出してはいけないと自分に言い聞かせる。
「落ちたのはどこの城だ?」
 唐突に佐助が口を挟んできて、二人はぎょっとした。まさか、佐助がそんなことに興味を持つとは思えなかったのだ。
「あ、あー、信濃の上田っていう城らしい。上の娘は北条に嫁に行って、下の娘は本多に養女に行って、正室は出家して松平預かりだと。それぞれに家来衆もついていっての大移動だったらしい」
 体が震える思いがした。
(母上っ……、姉上……。申し訳ありません)
 涙が零れそうになり、幸村は立ち上がった。
「ちょっと用を済ませてくる」
 外は夜で、かなり冷え込む。二人は持ち込んできた酒で程よく酔っていて、幸村の様子には気づいていないようだった。
 外気が入り込まないようにして戸を小さく開け、外に出ると琵琶湖から流れ出る川は、頬に冷たい風も運んでくる。
「幸村様」
 背後に佐助の気配があった。
 幸村は流れる涙を乱暴に袖で拭い、振り返って佐助の肩に顔を押し付けた。
 残してくることは、こうなることだとわかっていた。わかっていたのに、いざ、現実の話を聞くと申し訳なさと後悔でいっぱいになった。
 例え源次郎が昌幸の跡継ぎとして立ち上がっても、たかが十歳、しかも上田城はほぼ落ちていた。
 名乗り上げて兵力を集めても、負け戦は確実だった。
 だから昌幸は無抵抗で開城しろと遺言した。
 そこまでは理解していた。
 けれど、源次郎が越後で生き延びても、そこで決起することは不可能だっただろう。家康に処刑されるか、どこかに人質として幽閉同然の扱いを受けただろう。上杉が守ってくれるかもしれないが、守ってくれるというだけだ。それは源次郎にとっては、幽閉されるのと同義だった。
 生き延びて、自分の仲間を持ち、いつか上田城を取り戻す。
 それを心に誓い、佐助と二人でさまよい出てきた。
 その結果、母と姉がどのようになるかは、わかっていたつもりだった。それはつまり、心積もりだけで実感などなかったのだ。心のどこかで否定し、上田城で源次郎を待っていてくれるような錯覚をしていに過ぎない。
 昌幸の軍隊は、正室と娘たちを守るという綺麗事で、分断されてしまった。
「父上……、父上っ……」
 どうすればいいのか教えて欲しい。
 どうすれば、母を、姉を、上田を取り戻せるのか。
 佐助に縋りつき泣いた。
 上田に背を向けてはじめての涙だった。どんなに辛くても、苦しくても、ひもじくても出なかった涙が、今はどうしてもこらえることが出来ない。
「……父上……」
 弱い自分を叱って欲しい。
 けれど、その敬愛する父こそ、もう取り戻せない。どんなことをしても。
「俺が……ついていきます。どこまでも……」
 佐助が力いっぱい抱きしめてくれる。
 こうして寒さも飢えも凌いできた。一人ではない。
 それに何度助けられたかわからない。
「父上……」
 それでも今だけは、自分を責める言葉を聞きたかった。

「なぁ、上田には若様がいたらしいぞ」
 佐助までも消えてから、伊三はあえて言わなかったことをぽつりともらした。
「若様?」
「真田昌幸の息子らしい。行方知れずだとか、もう亡くなったとか言われている。……十歳くらいの利発な子だと評判だった」
「……おい、それって……」
 伊三の話に、酔いの回りかけた頭が冷めてくる。
「徳川が天下取りに、秀吉を押しのけてまで出てこないのは、家康がその若様を恐れてだという噂だ。上田の庄の領民も、上田を落とした村上軍と、それを裏で操っている家康にはかなり反抗しているって話だ。それらに手を焼いて、家族をばらばらにして、兵たちも分散させたんじゃないのか」
「俺たちは……もしかしたら、大変な子供についてきちまったのか?」
「逃げるか?」
 清海の青い顔に、伊三はにやりと笑った。
「……まさか。……だとしたら、将来は大暴れできそうじゃねーか。こりゃ……、楽しみだな」
 ごろりと横になる。幸村が戻ってきたときに、寝ているふりをするためだ。
 伊三はぶるりと体を震わせた。これは武者震いだ。
「そうか……真田幸村……ね」
 その名前が繋がる先に、武田家を支えた智将たちの顔が浮かんだ。

posted by 高野尾 凌 at 22:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

第四章−10−

 幸村たち一行は京へは行かず、大和との国境を山伝いに迂回して、堺の町へやってきた。
 途中、雪に遭ったり道なき道を取ったりしたので、結構な時間がかかってしまった。ほぼ野宿という行程は、真冬の寒さで余計に厳しかったが、堺の町を見た途端、それまでの苦労も忘れるほどにぽかんと口を開けてしまった。
「すごい……」
 長浜とは比べ物にならないほど賑やかで、町も整備されていた。大きな店や屋敷が並び、待ちゆく人の身なりも綺麗で、活き活きとしている。
 幸村は呆然とその人並みを見つめる。
「坊主、田舎から出てきたんだろう。寒そうな着物だ。風邪をひかぬように気をつけろよ」
 通りすがりの男が陽気に声をかけていく。
「俺も堺ははじめてだ。大きな港があると聞いたが、まだ海は見えないな」
 清海がきょろきょろと見渡して、くんくんと鼻を鳴らす。潮の香りでもしないかと確かめているのだろう。
「俺はずいぶん前に一度だけ来た。その時よりずいぶん発展しているなぁ」
 伊三のほうは、知っている店がないかと捜しているようだ。
「とりあえず、どうする。宿を探すか? 働けるところを捜すか? どちらも簡単に見つかりそうだがな」
「……そうかな……」
 いつもなら働くことに意欲的な幸村が、二の足を踏む。戸惑っているように見えるが、呆けていた顔は、いつの間にかしっかりと周りを見回す視線に変わっていた。
「なんだよ、長浜よりは店も多いし、働き口くらいいくらでもありそうだぞ」
「かなり難しいだろうな。……最低の人足くらいしかないかもしれない」
 そんな馬鹿なと笑った清海と伊三だが、一日足を棒にするほど捜して、目星をつけたところに飛び込んでみたが、ことごとく断られてしまった。
「なんでだろうな……」
 力には自信があるし、体も立派なほうだと思う。断られる理由がわからない。
「豊かだからだよ」
 同じように仕事はなかったという幸村たちと、丘陵で顔を合わせた。幸村たちはそれでも、港のほうに出かけて、手伝い程度の仕事は見つけていた。しかしそれも、明日も使ってもらえるかどうかはわからないという。
「豊かだから、仕事もたくさんあるんじゃないのか?」
「流れ者を雇わなくても、地元の人だけを雇える。そのほうが身元は確かだから。地元の人よりも流れ者は安く雇えるけれど、高い給金を払えるから、安心なほうを雇うよ」
 昨日までは子どもだと思っていた相手が、実は城持ちの大名の息子だったことを知ってからは、この聡い見方にも納得がいくようになった。
 大名などは戦の心配ばかりしているのかと思っていたが、いくつかの村や町を通り過ぎている間に、幸村が目を向けるのは戦よりも民の暮らしぶりだと気がついていた。
 農民達の暮らしが良いと、その地主や庄屋達がどのようにまとめているのかを知りたがる。反対に苦しい様子でも同じで、どこが悪いのかと探っているようだった。
「仕事がなかったらどうするよ。また浮民の生活かぁ?」
「港だとまだいくらかあるよ。船に乗らないと駄目だけど、初めてだって言ったら、酔う奴は駄目だって言われてきた」
 だから手伝い程度の仕事しかなかったのだと溜め息をついた。
「船は俺も苦手だ。一日乗ると、寝ていてもまだ波に揺れている気分になる」
 しかしそんなことも言ってられないかと、清海は憂鬱な顔をした。
「とりあえず、今夜はどこかに宿を取ろう。久しぶりにゆっくり寝たい。頼むよ、清海」
 幸村に頼まれて、清海ははははと豪快に笑った。
「まかせとけ」

 港が近い場所に宿を取り、近くで取れた魚を夕食に食べる。
 板間の粗末な宿だったが、それでも四人には十分なほど贅沢さだった。
「明日は仕事を探すついでに、鍛冶屋でも見に行こうと思ってる」
 眠りにつく前に、幸村が明日の予定を話した。それはこの町にいる間にやるだろうと思っていた清海たちは、反対はしなかった。
「俺たちは仕事を探しに港に行く。そのまま船に乗ったら、何日か帰らないかもしれないが、移動するならこの宿に伝言を残しておいてくれ」
「わかった」
 もう置いていかれる心配はしない。幸村たちも逃げ出されるという心配はしていないだろうと感じていた。
 どこまでという取り決めはないが、出来る限りは一緒についていってやりたいと思うほどには情も湧いていた。
 三好兄弟には子もなく、この先、連れ合いを見つけることも難しいと思っていた。どこかに腰を落ち着ける気持ちがないからだ。この旅に女連れは無理だろう。だからと言って、帰る場所を持てば旅に出るのに後ろ髪を引かれる。
 まだ小さい体を必死で伸ばし、俯くことなく顔を上げて歩く幸村を、支えてやりたいと思う。精神的に支えているのが佐助なら、自分達は風除けになるつもりであった。
 しかし、すべての面倒はみない。幸村もそのつもりはさらさらないだろうが、主として立とうとする幸村の邪魔になる行いはしない。
 いつの間にか、二人で話し合ったこともないのだが、同じような気持ちになっていた。

 翌朝、二人は港に出かけていき、幸村と佐助は、いくつかの鍛冶屋を回ってみた。
 日本一といわれる鍛冶の町は、一つの通りがすべて鍛冶屋というほど、刃物屋が並んでいた。
「欲しいものがあれば言えよ。それくらいの蓄えは持っている」
 上田を出るときに渡された金は、いざというときのために使わずに持っている。自分たちの生活は自分たちの労働で賄う。だが、佐助が必要なものならば、持たせてやりたい。
 佐助の使っている武器は、親達の残したもので、自分で研いでいるようだが、新しい物だって揃えてやりたい。
 いつものごとく返事はなかったが、必要ならば顔つきでわかるだろうと思ったので、ひょいひょいと、冷やかしも混ぜながら、店先を覗いていった。
 相手が子どもだと、追い出されそうになるが、幸村の機転でなんとか潜り込んでは、色々な武器も見せてもらう。絶対に触らないからと真剣に言い、約束を守っていると、元は侍の子だとわかるのだろう、店の者も気が緩むようだった。
「これからは鉄砲の時代だけれど、まだまだ戦は徒歩戦が雌雄を決するもんだよ。鉄砲ばかりの戦なんてできやしないだろうからな」
 鍛冶屋は自慢げに言う。それはそうだろうと思う部分もあったが、幸村にとっての戦は、いつまでも足軽ばかりを消耗させるものだとは思っていなかった。
 戦局を打破するのは、銃と、戦略だ。
 どこかで弟子にしてもらえないだろうかと何度か交渉してみたが、鍛冶屋は弟子を取るのは身内ばかりで、他所から取る場合はもっと小さい子を子ども同然にして引き取っていると言われて、門外不出の秘伝と同じなのかと諦めた。
 それでも話しやすい店にはあたりをつけて、その日は宿に戻った。
 宿に戻ると三好兄弟はおらず、これはいつまでも宿にいると費用ばかりかかると判断し、翌日にはそこを引き払って、堺を出て港ではなく、漁場へと浜を南下した。
 数日ならばという条件で空き家を貸してもらい、漁の手伝いをすることになった。
 けれど、腰を落ち着けてみようかと思っていた漁場も、すぐにけたたましくなってしまう。
 秀吉の仕立てた水軍が、いくつも集まってきたのだ。
「四国征伐……」
 並んだ軍艦を見やりながら、幸村は見えない大地に思いを馳せた。

posted by 高野尾 凌 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする