2009年08月23日

第二章−1−

 東春日神社は、上田の庄の東端、ちょうど上田城と村々を挟んで反対側に位置していた。
 山道を登り、中腹に差し掛かったところで大きな鳥居が見えてくる。本殿や社務所はそこからまだ小さな山を登るくらい上にあった。
 幼い子どもが一人で下って帰れるようなところではない。
 境内に通じる石段をすべて登りきった時、源次郎は振り返った。木々の隙間から、遠くに上田城が見える。
 あんなに小さく見えるなんて。そんなに遠くに来てしまった。
 寂しさと不安で胸が張り裂けそうだった。
「源次郎、さぁ」
 昌幸に急かされて、源次郎は振り切るように父の後を追った。
 境内の真ん中にある鳥居のところに、人影があった。白い着物に紺色の袴。神主の着物を着た人は、昌幸たちに深く頭を下げた。
「お待ちしておりました、御館様」
「無茶な願いを聞いていただけたこと、深く感謝いたします」
 昌幸も丁寧に礼をした後、源次郎たちを紹介した。
「これが倅の源次郎です。側仕えの六郎と小介。まだ年端もゆかぬ者たちですが、どうぞよろしくご指導下さい」
 昌幸に紹介され、源次郎たちはそれぞれにきちんと挨拶をする。
「私はここの宮司で、鷺宮元太郎と申します。お役に立てるかわかりませんが、ここでの父と思い、どうぞ甘えてください」
 父と同じ年頃の鷺宮は、優しい笑顔を向けてくるが、それに笑顔で答えられる余裕は三人になかった。
 それでも宮司は叱ることもなく、もう一度にっこりと笑った。
「まずはこちらへどうぞ」
 一行は本殿に通され、そこで参拝をした。正式な参拝方法について説明され、覚束無いままも真剣に祈った。どうぞ早く帰れますようにという、この場には相応しくない願い事ではあったが。
 その後で源次郎たちの住まいとなる、社務所の奥にある、鷺宮の居宅に案内される。三人で一つの部屋を割り当てられると知り、六郎と小介は若様と同じ部屋は駄目だと慌てた。
「源次郎様はこれより、真田の若様ではなく、皆同じ修行中の小姓として居て頂きます。これより、私も皆も、若様と呼ぶことはなきように」
 六郎と小介はそれでも首を振ったが、源次郎は全てを受け入れるというように頷いて二人を見た。
「そもそも六郎は今までも俺を源次郎と呼んでいたではないか。今までのままでいいんだ。小介も、これからは呼び捨てでいいんだ」
 でも、と弱りきった二人に、鷺宮はにこやかにそのうちになれるでしょうと、言った本人ではないかのように鷹揚な態度を示した。
「では、御館様にお暇のご挨拶をいたしましょう」
 もう? と源次郎は驚いた。
 せめて一晩、ここに居てくれるのではないかと、淡い期待を抱いていたのだ。
 しかし、常に忙しく、城でも帰りを待たれる身の昌幸を、自分のためだけに留めることは出来なかった。
「源次郎、しっかり修行をいたせ。お前の成長を楽しみにしているぞ」
「はい」
 もっと何か言わなければ、父に心配をかけないようにと思うのに、言葉が続いて出てこない。
 涙をこらえていると、昌幸がぎゅっと抱きしめてきた。
「すまぬ、源次郎。父にもっと強大な勢力さえあれば」
 手放さずに済むのに。いや、真に手放さぬためにこうしてしばしの別れとなるのだ。
 昌幸のささやく言葉に、源次郎は父の袂を握りしめ、こぼれかけていた涙を飲み込んだ。
「俺は大丈夫です。きっと、きっと、父上のお役に立てる身となるように頑張ります」
 もう一度強く抱きしめて、昌幸は振り切るように石段を下りて行った。
 父と共の者たちが、遠ざかり、小さくなって、とうとう見えなくなっても、源次郎は石段の上に立ち、山道をじっと見つめていた。
 昌幸は元服した源次郎が「父上お待たせしました」と逞しい姿で戻ってくれると信じていたし、源次郎も「立派になったな、頼みにしているぞ」と昌幸にいってもらえる日が来ると疑っていなかった。
 これが、昌幸と源次郎の永久の別れとなるなど、昌幸にも、源次郎にも、他の誰にもわかるはずなどなかった。
 


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2009年08月24日

第二章−2−

 神社での生活は、規則正しく、慎ましやかだった。
 しかし、城では経験したことのない、下男のするような仕事までも、自分達でしなければならないので、慣れるまでが大変だった。
 早朝に起き出し、神殿や境内の掃除に始まり、源次郎たちにとっては貧しいと思うような簡素な朝食の後、午前中に勉強をする。
 午後からは、山に入り薪を取ったり、山菜を摘んだり、井戸から水を汲んで運んだり、山の斜面に作られた畑を耕したり。
 明るいうちにできる仕事を済ませると、ようやく夕食になり、その後、物が見えなくなるまでが剣の稽古に当てられた。
 武術ともいえるような剣術は、鷺宮の甥が稽古をつけてくれた。
 鷺宮宗太郎という宮司の甥は、神主の見習いをしているが、どうやら以前はどこかの武将に仕えていたらしい。少し片足を引きずる癖があるので、ひどい怪我をして神社に戻ってきたのかもしれない。
 源次郎は教わる剣術の中で、槍を使うことに興味を示し始めた。
 単に腕の短さを槍でなら補えると、最初は好んで使っていたのだが、間合いの長さよりもその威力や死角の少なさが面白いと思い始めたのだ。
 特に宗太郎は実戦よりも、技の美しさを教えたがる傾向があって、源次郎も槍を突いたり、払ったり、薙いだりするよりも、舞うように相手をかく乱する操術を熱心に学んでいた。
 まだ体に合った短めの槍だったが、源次郎が槍を握ると、六郎も他の稽古相手も、まるで相手にならぬほどに上手くなった。
「源次郎は動く物を捕らえる視力が素晴らしいな」
 宗太郎が汗を拭きながら笑って言う。
 相手の刀の動く線、視界から隠れようとする体を、とにかく逃さずに、むしろ相手の動く先へと先制の攻撃を繰り出すこともある。
 教えた師範の好みどおりの動きは、ふわりと舞っているようで、はっと思った時には目の前に槍の先があって驚く。
 まるで牛若丸だと感嘆の言葉を漏らす相手もいた。
 六郎は槍よりは剣のほうが上手くて、小介は源次郎の真似をしながら槍の稽古をしたがった。
 寂しさを感じないような忙しい毎日でも、郷愁はふとした隙間に忍び込むこともある。
 特に小介は一番幼く、夜中にぐずぐずと泣き出すこともあった。
「小介、泣くな。寂しいのはお前だけじゃないぞ」
 六郎は年長者として泣くわけにもいかず、小介を叱るしかできない。
「泣いてません」
 慣れない山での仕事に、手足に擦り傷は絶えず、手の平には肉刺がいくつも出来ている。
 それは誰にとっても同じだったが、小介は痛さのせいにして鼻水をすする。
「小介、これで冷やせば少しは楽だよ」
 源次郎は水で絞った手拭いを小介の手に当ててやる。
「甘やかすな、源次郎」
 つい、嫉ましくてそんなことを言ってしまう。
「小介だけではない。六郎にも持ってきてある」
 ほらと差し出されて、六郎はうっと赤くなる。
「ありがとう」
 決まり悪そうに言うが、それでも嬉しそうで、いそいそと両手で手拭いをつかむ。
「小介、痛ければ泣いてもいいよ。耳をふさいでいてやるから」
「泣いてません」
「そうか? 俺は痛かったら泣くけど」
「泣いているところを見たことがありません」
「これからだ」
 泣きまねをする源次郎に、小介は涙を浮かべた目で笑う。
 確かに二人の前で源次郎は泣いたことはないが、姿が見えないなと捜すと、いつも境内の入り口、石段の一番上に座って、一人ぽつねんと山道を眺めているのを六郎は知っていた。
 最初は泣いているのかと心配したが、源次郎は泣いているのではなく、睨みつけるように遠くに小さな点のように見える上田城を見ているのだった。
 帰りたいのだろう。自分だって帰りたいが、それを許される身ではなかった。
「もっとくっついて寝れば、寂しくないよ」
「そんなことを言って、源次郎が実は寂しいんじゃないか?」
 本音を隠すのは、彼が人の上に立たねばならないからだ。特に不安や心配を部下に見せていいはずはなく、時おり必死に唇をかんでいる姿を見かけるようになっていた。
「寂しいよ。そりゃ、寂しいだろう? 六郎は寂しくないの? 冷たいなぁ」
「冷たいなぁ」
 小介は源次郎の真似をして言い、そのまま源次郎にくっついてしくしくと泣き始めた。
「仕方ないなぁ」
 言いながら、六郎は源次郎の反対側から、小介を挟むようにして寝転んだ。
「ほら、寂しくないだろう? これで寂しいとか言ったら、ぶん殴るぞ」
 ぎゅっと頭を押してやる。
「泣いてないよ。聞こえないもん」
 源次郎の言葉に、六郎も実は自分がとても寂しかったのだと気付いてしまった。
 いつ帰れるのかはわからない。
 けれど帰るときは、源次郎と一緒で、小介も一緒で、絶対に立派な侍だと周りから認められるようになってからだと誓った。
 ずっとずっと源次郎の側にいるのは、この海野六郎なんだと心に決めて。

posted by 高野尾 凌 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

第二章−3−

 今日も階段の一番上に座って、山道を眺めていると、背中をぽんと叩かれた。
 驚いて振り返ると、隣に人の座る気配があった。
「宮司様……」
 鷺宮が源次郎と同じように座って、遠くへ視線を流す。
「ここは特等席ですな」
 宮司は笑う。
「城が恋しいか?」
 真っ直ぐに聞かれて、源次郎ははいと頷いた。
「ここでの生活は苦しいですか?」
「いいえ」
 苦しくなどない。元々体を動かし、何かをしているほうが好きな源次郎だ。
 毎日神社を綺麗にし、神に仕えるのは、身が清められると同時に引き締まる思いも感じている。
 教えられ学ぶことを一つも漏らすまいとする源次郎の姿勢に、鷺宮は少し危ういものを感じていた。
 張りつめ過ぎた糸はぷつっと切れやすい。しっかりした子だが、まだ七つに満たない。
 鷺宮には子はなかったが、甥の宗太郎など七つの時にはまだ猿のようだと思ったものだ。
「小介はまだ夜に泣いてますか?」
 知られていたのかと源次郎はくすっと笑った。
「最近はそうでもありません。腹が減った、甘いものが食べたいと、駄々をこねるほうが多くなっています」
 はははと軽快に鷺宮も笑う。
「たまにはたらふく食わせてやらねばなりませんな」
「そんな贅沢をさせてもらったら、泣く理由がなくなるので、小介は困るんじゃないかな?」
 小介の気持ちの奥までわかっているのかと、この小さな殿様に驚かざるをえない。
 三人を見ていれば、とても仲良くありながら、やはり六郎と小介は源次郎を主として立て、源次郎は二人を公平に世話を焼いている。三人にとっては当たり前の光景ながら、君主としての源次郎の姿勢に眩しさも感じる。そして、あまりに痛々しくて、気の毒にも思えるのだ。
 まだまだ親に甘えたい年頃であるだろうにと。
 険しい山の中ではあるが、神社に参拝するふもとの信者は多く、時に子どもを連れてくるが、源次郎と同じ年頃の子どもで一人でこの石段を登りきったものはいない。たいていは途中で音を上げ、親に背負われてやってくる。
 源次郎はそんな子ども達の足を冷やしてやったり、親が参拝する間の遊び相手をしてやっている。
 誰も自分たちの未来の城主だとは気づかない。
 そしてまた親に手を引かれて帰っていく彼らに手を振りながら、こうして石段の上に座り込むのだ。
「修行に行けと言われたので、もっと厳しいものかと思っていました」
「それはどのような?」
「うーんと、滝にうたれたり、険しい崖を上ったり」
 源次郎の想像がおかしくて、宮司はけらけらと笑う。
「そういう無茶なことをするのは、仏教で、それもごく一部のことですよ」
「そうなんですか」
 納得しながら、源次郎もようやく笑みを浮かべた。
「でも、勉強ももっと神の教えだとか、言葉一つ一つについて、難しい論議をするのかと」
 どれだけ知識を欲しているのかと、鷺宮は彼が愛しくなった。気持ちが和いで、ふと教える気持ちのない事を口にしてしまう。
「神の教えというのは、何もないのですよ」
「えっ?」
「ここの神社のご祭神は天照大御神、天児屋根命ですが、他にも稲荷社があり、大杉宮があり、不動尊もあります」
「はい」
 本殿のほかにも末社があって、それぞれにお社がある。
「神の教えを説法して回った人というのは実はいない」
「そう……ですね。見た事がない」
「それは日本人はみんな持っているものだからです」
「みんな」
「はい。だから、教えを解くことはしない。ただ祈るだけです。八百万の神に感謝と、明日も変わらぬ暮らしを」
 源次郎は深く考え込んだ。じっと動かぬ姿に、じっと鷺宮は待った。
「よくわかりません」
「そう。だから、それをここで体験して欲しいのです。神に仕えるのは何も難しいことはないが、決して簡単なことでもない。結局は自分に還る行いだという事を」
 源次郎はじっと鷺宮を見た。
 澄んだ瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
 曇りのない目だ。
 宗太郎は、この子の視野が広いと舌を巻いていた。それは何も剣術のみだけではなく、こんな山奥にまで届く噂でも、六郎や小介に対する姿を見ても、ずいぶんと深く広く物を見ているのだと気付かされる。
 人の上に立つ者の目を持っている。そしてそれを自覚し、身を律する方法も弁えている。
 こんな小さな子が。
「さて、そろそろ夕餉の時間でしょう。戻りますよ」
 促すふりをして、そっと肩を抱いてやる。
 小さな細い肩だ。それがいずれ、この上田の庄を担っていく。
 だが今だけは、それを忘れて甘えて欲しいと、強く願った。

posted by 高野尾 凌 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

第二章−4−

 早暁の境内を掃除していると、ざー、ざーという箒の音に混じって、階段を登ってくる足音が聞こえてきた。
 その足音に源次郎は顔を上げた。一歩一歩、確かに石段を踏みしめる音は近づいてくる。
 源次郎はとうとう手を止めて、階段のほうを見た。
「源次郎?」
 少し離れたところにいた六郎が源次郎にどうかしたかと声をかける。
 そのとき、ひょこりと階段の端に頭の先が見えた。そしてすぐに顔が現われて、上半身が出てくる。
「十蔵殿!」
 源次郎の顔が喜びに満ちた笑顔に変わる。
「あっ、本当だ、十蔵殿だ!」
 小介は箒を放り出して十蔵に駆け寄っていく。
 十蔵は石段を登りきったところで立ち止まり、源次郎に向かって頭を下げた。
 小介が駆け寄り、十蔵にまとわりつく。小介の頭を少し撫でてから、十蔵は源次郎の側までやってきた。六郎も源次郎に並んで、十蔵を見上げた。
「お元気でしたか?」
 およそ三ヶ月ぶりに源次郎に会い、十蔵は懐かしそうに自分の主と認めた少年を見た。
「はい。遠いところをご苦労様です」
 少し会わなかった間に背が伸びたような気がして、十蔵は口元をほころばせた。
「宮司様はどちらでしょうか。まずはご挨拶を」
「こちらです」
 源次郎は箒を六郎に渡して、十蔵の手を取った。そのまま案内するように手を引っ張って行く。
「十蔵殿。いつまでおられるのですか? 今夜は泊まっていく?」
 小介が十蔵の反対の手を取り、人恋しさを隠せずに次々に話しかける。元々彼が無口で、ほとんど返事など期待できない事をすっかり忘れてしまっているようだ。
「三日ほど。ご迷惑でなければ」
 小介の問いは源次郎も聞きたいことだったので、答えを待っていると、十蔵がぽそりと答えてくれる。
「だったら、だったらー、いっぱいお城のこと、聞かせてくださいね。ね、源次郎様!」
「……はい」
 そんな短い返事さえ、語尾が苦手そうに消えるので、源次郎は無理はしなくていいですよとくすりと笑った。
 宮司の鷺宮に十蔵を引き合わせて、源次郎と小介は掃除に戻った。十蔵は三人の様子を見に来てくれたとはいえ、昌幸の正式な使者には違いなくて、正式に挨拶をしなくてはならないし、源次郎たちも自分たちの仕事が残っていた。
「十蔵殿、何かお土産持ってきてくれたかなー?」
 気もそぞろの小介は、掃除の手も止まりがちだ。期待の大きい小介の様子に、源次郎は六郎と目を合わせて笑う。
 こんなに三人でわくわくした気持ちになれたのは、ここに来てはじめてのことだ。
 そして嬉しいことに、午前中の勉強が終わると、宮司は夕食までの時間を遊んでいいと言ってくれたのだ。
 源次郎は十蔵を自分たちの部屋に連れて行った。
「これは御館様から源次郎様に。これと、これは、六郎と小介に」
 持ってきた荷物の中から、三つの包みを取り出して、それぞれに渡してくれる。
「ありがとうございます」
 きちんと礼を言って、自分宛の包みを解く。
 源次郎のそれには、父昌幸からの書状が一番上に置かれていた。何よりもまず、その手紙を開いた。
 まだ墨の匂いがした。そして懐かしい、城の香りも残っているような気がする。
 手紙には源次郎の体を気遣い、勉強の成果を問い、母も姉達も元気でこちらを心配していることや、城のことは心配しなくてよいと、父のおおらかな筆使いでしたためられていた。
 文末はしっかり励めと締めくくられ、ここに来てまだ三ヶ月ほどなので当たり前なのだが、いつ帰れるとも書かれてはいなかった。
「お返事を預かっていきます」
「十蔵殿のお帰りまでに書きます」
 今書いてしまえば、そのまま帰られてしまいそうで、源次郎はすぐには書く気になれなかった。
 その他には母からの手紙や、冬用の着物や厚手の手拭いなどが入っていた。
「私からはこれを」
 十蔵が懐から出したのは、菓子の包みだった。ちゃんと三つある。
「ありがとうございます!」
「小介、一度に食べて、後からくれと言うなよ」
 六郎が今にも頬張りそうな小介をからかう。
 十蔵が帰ってしまえば、せっかく馴れた寂しさが倍増するだろうとはわかっていた。それでも、この人恋しさは消せそうにない。
 口数の少ない十蔵を相手に、源次郎は城の様子を尋ねた。
 父上の手紙には何も心配ないようには書かれていたが、参拝の人の話を聞いていると、どうにも周りがきな臭いのだ。じわりじわりと戦の気配が忍び寄っているように思える。
「何も変わったことはありませんよ」
 いつもの通り、冬の備えのほうに忙しいと十蔵は説明する。
 確かに、今年の冬も厳しそうだ。はじめて迎えるここでの冬に、源次郎たちも不安は隠せない。
「源次郎様は槍の腕を上げられたとか。後でお手合わせ願いたいです」
 珍しい十蔵の申し出に、源次郎は驚きながらも、是非にと願い出た。
 その日はいっぱい話しかけて、なんとか十蔵にも喋らせて、一緒の部屋で枕を並べて寝た。
 次の日は源次郎たちと一緒に掃除をし、城にいたときのように源次郎たちの勉強の様子を見学して、午後からは剣の稽古にも付き合った。
 源次郎とは槍での勝負をして、本当に上達していると驚いたので、源次郎も満足した。
 そして楽しい時間はあっという間に過ぎ、すぐに別れの時はやってくる。
「もう一日……いてくれたらいいのに」
 泣き出しそうな……いや、本当に泣いてしまった小介に、十蔵はかける言葉をなくしてしまう。
「小介、そんなにめそめそしていたら、もう十蔵殿は来てくださらないぞ」
 湿っぽい別れはしたくない。けれど、源次郎も泣きたい気持ちでいっぱいだった。
 置いていかれる。その気持ちは、寂しさに馴れた分、十蔵が帰ってしまえばもっと大きくなってしまうだろう。
 けれど小介のためにも泣いてはいけない。源次郎は必死で涙をこらえた。
「また雪が積もる前に来ます」
 きっと来るからと何度も何度も約束をして、十蔵も後ろ髪を引かれる思いをこらえて山を降りていった。
「小介、泣くな」
 六郎が困りきった様子で小介を宥めている。
「小介だけでも帰るか? 父上にもお願いしてやるぞ」
 あまりにも泣くので、かわいそうになって言ってやると、小介は唇を引き結んで首を振った。
「無理をしなくていいんだぞ? 叱られないようにちゃんとお願いしてやるから」
「か、かえり…帰りません。源次郎様のお側におります」
 よしよしと慰めてやる。
 その日の夜は、やけに風の音が大きく聞こえて、なかなか寝付けなかった。
posted by 高野尾 凌 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

第二章−5−

 手水舎に薄氷が張り、雪がちらつき始めて、山の寒さはひしひしと厳しく感じられてきた。
 薪を取りに山に入っても、小枝のようなものしか取れず、雪が積もるまでに冬用の蓄えが必要だというのに、なかなか量が揃わない。
「取れなくなったらどうするんだろう」
「枝を払っていくらしいよ。軒下に吊るしておけば乾いて使えるようになるって」
 六郎の疑問に、源次郎は聞きかじりの知識を教えてやる。
「うわっ!」
 二人の後をちょこちょこと追ってきていた小介が叫びをあげて転んだ。
「小介、大丈夫か?」
 木の根に足でも取られたのかと助け起こすと、小介の足元に人が掘ったような穴があった。
「危ないなー。誰だよ、こんな所に」
 神社より山奥には、人家はもちろんないし、人が分け入ることすら稀だ。こんな穴を掘る人物がいよう筈もないのだが。
「小介、立てるか?」
 六郎がぶつぶつ言いながら穴を埋めている横で、源次郎は小介を立たせて足の様子を見た。
「大丈夫です。歩けます」
 その場で足踏みをしてみせる。
「気をつけないと。足元をよく見るのだぞ」
「見てました。こんな穴、なかったです」
 袴の裾を掃ってやると、小介は不満気に訴えた。自分の不注意ではないといいたいのだろう。
「これは、最近掘った穴かも」
 六郎もそんなことを言うので、源次郎も地面をよく調べた。
 石か何かで引っかくように穴が掘られていて、小介が踏んだ後には、枝や葉が散らばっている。
 確かに、誰かが何かの意図で穴を掘ったようだ。しかもごく最近。
 ここのところ毎日のように山の中に入ってきているが、薪を効率的に拾うために同じ道は歩かないようにしているので、気付かなかったのだろう。
 源次郎は立ち上がって辺りを見回した。
 三人が歩いてきたのは、獣道だ。夜から早朝にかけて、猪や鹿が通る道で、足跡や糞を見かける。
 こんな場所に罠を仕掛けるとなると、源次郎たち神社の人間を転ばせようとしたのではなく、獣を狩ろうとしたのであろう。
 獣道の少し登った場所に、葉の盛り上がりを見つけ、源次郎はその場所を手で押してみた。予想通り、そこにも穴が掘られていた。
「ふもとの猟師かな?」
 罠を元通りに埋めている源次郎に六郎は思ったことを口にした。
「猟師なら、もっと確かな罠を仕掛けるだろうし、宮司様にどこに仕掛けたのか教えていってくれるはずだ」
 子供達が山に入ることを知っている猟師は、事前にその場所を鷺宮に話していく。もちろん神社の人たちが間違って罠で怪我をしないようにするためだ。
「元に戻しておくのか?」
「うん。誰が仕掛けたのかわからないけれど、必要で仕掛けたのだから、戻しておかないと」
 そう言いながら、源次郎はまた辺りをゆっくりと見回した。誰か人影は見つからないかと思って。
 けれど山の木々は北風に枝を揺らすばかりで、人の姿などは見えなかった。
 その日の夜、源次郎は小さな提灯を手に罠のあった場所へ行ってみた。
 神社の裏手からそう遠くない獣道とはいえ、夜の月明かりも届かないところは気味が悪かった。
 ふくろうの鳴く声が不気味に響く。
 木の枝が鳴るのは、ふくろうの羽ばたきか、夜風のためか。
 源次郎は懐に忍ばせてきた笹の葉に包んだ麦飯の握りを、罠近くの木の根元に置いた。
 きょろきょろと見回して、誰もいないことを確かめて山を下りた。
 次の日、昼に山に入ると、笹の包みが消えていた。その場で破られていないということは、包みを持ち去ったのは鹿や猪ではないということではないだろうかと源次郎は予想した。
 その日の夜も同じようにした。
 三日目の夜、戻ってきたところを鷺宮に呼び止められた。
「きちんと食べないと大きくなれませんよ」
 鷺宮が握り飯を差し出す。
「宮司様……」
「本当は危険なことはやめなさいとお留めしたいのですがね」
「もうすぐ雪が積もります」
「そうすれば、山での生活を捨てて、どこかへ行くでしょう」
「でも……」
 源次郎は握り飯をかじるように食べながら、凍えるような夜の寒さを足元に感じる。
「一人を助けたところで、本当に飢えている人を助けられるものではないのですよ」
「側にいる人も助けられないようでは、村人達を救うことも出来ません」
 一対百を選択しなければならないなら、百を助けるべきだということは源次郎にもわかる。そのために学んでいるのだ。
 だからと言って、そのただの一も捨てたくはないのだ。一を捨てれば、それはどんどん増えていくように気がして。
「だが、もうお止めなさい。もうすぐ山は雪に埋まる。山から下りるきっかけを奪ってはなりませんよ」
「……はい」
 納得できないながらも、源次郎は頷いた。
 それでも次の夜、源次郎はその場所にもう一度だけと行ってみた。
「もう来れないんだ。もうすぐ雪が降るから。だから、もっと暖かいところへ行ったほうがいいよ。ごめんね」
 誰もいない虚空に向かって話しかける。
 返事もないが、源次郎は山道を下りた。
 それから三日後、ちらちらと舞うだけだった雪が本格的に降り始め、その日の夜には境内が真っ白になった。
 ちゃんと山を下りただろうか。源次郎は気になって、積もった雪を踏みしめて獣道を登った。
 握り飯を置いた木の根元が盛り上がっていた。
 源次郎は慌てて駆け寄った。
 雪を払うと、それはやはり人だった。まだ若い……というより、それはまだ子どもだった。源次郎と同じ年くらいの。

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2009年08月28日

第二章−6−

 雪に埋もれるように倒れていた少年は、助け起こすと微かに眉を動かした。それでまだ生きているとわかった。
 源次郎は首に巻いていた手拭いを相手に巻いてやり、背中に負ぶった。身長は変わらないように見えたが、彼はあまりにも細く、源次郎は背負って歩くことが出来た。
 なるべく急いで山を下りる。何度か雪に足を取られかけたが、少年を落とすことなく、なんとか神社の社務所にたどり着けた。
「源次郎!」
 がたがたと扉を肩で叩くと、六郎が顔を出して驚いた声を上げた。
 自分の主が何かを背負っているのを見つけて、さらに驚く。
「どうしたんだ」
「早く温めてやってくれ」
 六郎が慌てて少年を受け取る。二人で両脇を支えて布団に下ろすころには、他の者も騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた。
 部屋に火鉢を三つも持ち込み、少年を寝かせた布団には温石を入れてやる。
「源次郎殿、どこでこの子を見つけてきたのですか」
「先日の罠を仕掛けられていた近くの木の根元です」
 その他は源次郎にもわからない。
「助かりますか?」
「ひどく痩せているから、どうとも。こんな夜中では医者も呼べないし」
「すみません、もういなくなったと思っていて……」
 連れてきたことを源次郎は詫びるが、人を助けることが悪いわけはない。
「とにかく助かって欲しいですな。親が生きていれば親に返してやれるのですが」
 一人で山に潜んで生きてきた子どもに、親のいようはずがない。
 村に下りれば、子どものいない家が育てたり、これくらいの年になれば雇ってくれるところもないではない。
 布団に寝かせた時はがたがたと震えていたが、部屋が暖まってくると、次第に震えも治まってきた。
「あとは任せて、お前達は寝なさい」
 部屋を拾ってきた少年に占領されてしまったので、源次郎たちは別の部屋に移って眠ることになった。
「源次郎様、あいつ、一人で山で生活してたんですか?」
「多分。罠を仕掛けてあっただろう? 猪か鹿を狩るつもりだったんだろう」
「えー、俺、踏んじゃって悪いことしたなぁ。だから、捕まえられなくて、飢えてたのかなぁ」
 小介は自分がひもじい思いをしたかのように泣き出しそうな顔をする。
「小介のせいではないよ。もう、この時期に、猪や鹿をこの辺りで捕まえることのほうが難しいんだ」
 木の実もきのこもなく、山の小川では魚も取れなかっただろう。それなのに、どうして彼は山を下りなかったのだろう。
 やはり自分が握り飯など運んだせいだろうか。
「明日には目が覚めるだろう。早く寝ないと、自分たちのほうが起きられないぞ」
 六郎の指摘にそうだと頷いて、源次郎も目を閉じた。
 痩せた手足、冬だというのに薄い着物しか着ていなかった少年の青白い顔が浮かんで、なかなか寝付けなかった。

 翌朝になっても、少年は目を覚まさなかった。
 ひどく高い熱が出て、うなされているようだった。村から医者が呼ばれたが、栄養が足りていないのと、冷えたために風邪を引いたのだろうということで、とにかく暖かくして栄養を取らせて眠らせるしかなかったが、目が覚めないので食べさせることもままならないようだった。
 病人の世話は源次郎たちには出来ないので、鷺宮の妻と宗太郎が面倒を見ていてくれた。
 うわごとを繰り返す間になんとか薬を飲ませ、休ませている間に、高い熱も引いていき、彼は三日目にしてようやく目を覚ました。
「目が覚めたか。お前は山で倒れていた。覚えているか」
 宗太郎が尋ねても、少年は暗い目でぼんやりと天井を見つめるだけで、答えようとはしなかった。喋れないのか、頭に毒が回ったかと心配したが、起き上がらせると自分で粥を食べることは出来た。
 しかし、名前や年を聞いても、山に一人でいた理由を尋ねても、何一つ答えようとはしない。
 宗太郎に代わり、宮司が聞いても同じだった。
 一言も喋らず、じっと暗い目を伏せるだけだ。
「あ、起きてる。もう、おきても大丈夫なの?」
 小介が襖の隙間からひょこりと顔を出す。少年は顔を上げて小介を見たが、残念そうにまた俯いた。
「ごめんなさい。俺が罠を壊してしまって。だから猪を捕まえられなかったの?」
 布団の足元にちょこんと座って謝罪する小介に、少年は表情は変えなかったものの、静かに首を振った。
「小介、源次郎殿を呼んできてくれ」
 少年の様子に、もしかしてと源次郎を呼び寄せた。少年が起きたことを聞いたのか、源次郎は急いでやってきた。
「お呼びでしょうか」
 ばたばたと駆けてきたのを恥ずかしそうに、襖だけは静かに開けた。
「何も喋らない。なんとか、名前だけでも聞き出してくれ」
「え、でも」
 戸惑う源次郎に相手を任せることにして、鷺宮は部屋を出た。
 取り残された源次郎は困りながらも、布団の脇に座った。
「良かった。元気になって」
 困りながらも、源次郎は布団の上に座った少年に笑いかけた。
 本当に良かったと安心たのは間違いではない。これから彼がどうなるのか不安はありながらも、とにかく起き上がれるようになったことが嬉しい。
 少年は源次郎の笑顔を見て、瞳を揺らせた。
「名前はなんと言う? 俺は源次郎だ。真田源次郎」
 少年の答えを待つ。
 喋れないのだろうかと不安になった時、小さな声がぽつりと告げた。
「………………佐助」
 と。

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2009年08月29日

第二章−7−

「………………佐助」
 か細い声で告げた少年は、静かな視線を源次郎に向けてきた。黒目がちのつり目だが、きつい印象はない。むしろ、大きな黒目が幼いながら哀しみを湛えているようで、憐れみすら感じさせるのが不思議だ。
 苗字がないのは、武家の出ではないからだろう。着ている着物は粗末で、草履さえ履いてなかった。髪は短くざんばらで、こびりついていた泥だけは掃ってやったが、綺麗に拭いたことで余計に痛々しく見える。
 山野を放浪してきたということは、家も失くしたということだろう。最悪は親さえも。
「佐助というのか。年はいくつ?」
 迷うように首をかしげて、思い直したように首を振った。
「わからないのか? 俺と同じくらいかな。同じくらいの背丈だったし。俺はもうすぐ七歳になる」
 佐助は曖昧に頷いた。本当に年がいくつなのかわからないのだろう。
「ずっと山の中にいたのか? どこから来たか、わかるか?」
 佐助は俯き、また小さな声で答え始めた。
「少し前に、この山に。その前は……わからない」
 どこから来たのか言おうとして、少し迷ったふうだった。結局、わからないと答えをはぐらかした。
「一人で獣の罠を仕掛けて、一人で山の中に?」
 こくりと頷く。
「どこか、行くあてがある?」
 俯いたまま弱々しく首を振る。
 行くあてがあるのなら、山の中で生活などしなかっただろう。
「困ってるなら、上田のお城に……」
 言い掛けた時、佐助がぴくりと顔を上げた。どうしたのだろうと言葉を止めると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
「源次郎、夕飯の時間だぞ」
 宗太郎ががらりと襖を開けた。
「お、起きていたのか。どうだ、容態は」
 ずかずかと入ってくる宗太郎に、佐助は体を固くして身を縮こまらせた。
「失礼なやつだな。俺が看病してやったんだぞ」
 けれど、佐助はじっと体を竦めて顔を上げようとしない。
「佐助、宗太郎先生は怖くないよ。声は大きいけど」
「ほう、佐助というのか」
 宗太郎が佐助の頭を撫でてやろうと手を伸ばした時、ぱしんとその手を払い、佐助は布団から飛び退いた。
「佐助!」
「…………」
 源次郎は驚いて腰を浮かせ、宗太郎は無言で佐助の様子を見つめた。
「どうして……、佐助。まだ無理をしては駄目だ」
「いや、源次郎。こいつは……、こういう奴なんだ。なぁ、佐助」
 身を低くして、今にも飛び掛らんばかりの態勢になった佐助に、宗太郎はにやりとする。
「そう警戒するな。源次郎には恩義を感じているらしいが、その源次郎は俺の弟子だぞ。源次郎がお前を救いたいというなら、何も手出しはしない」
 それでも佐助は毛を逆立てた猫のようにぴりぴりとしていたが、ふっと力を抜いたかと思うと、その場にぱたんと倒れこんだ。
「佐助!」
 源次郎が駆け寄る。
 体にたまった疲労と、病明けの辛さの上に、起きたばかりで緊張を強いられ、体がついていなかったのだろう。
「そら、寝かせてやろう」
 源次郎の手から佐助を抱き上げて、今まで寝ていた布団にもう一度寝かせてやった。
「先生、……こういう奴って、どういうことなんですか?」
 佐助の異様な行動に、源次郎はまだ頭の整理がつかないようだった。
「忍びだよ。どこかの里から逃げ出したか。いや、それはないな。このくらいの年でも、抜け忍の掟は嫌というほど知っているだろう。何かよほどの事情があるのかなぁ」
「しのび……? こんなに、小さいのに」
 自分と同じか、もしかしたら小さいくらいかもしれないと、源次郎は思った。
 真田が雇っている忍びは優秀で、昌幸の信頼も篤いが、若くても源次郎よりは十は上だ。
 そういう源次郎こそ、幼くして名前を遠来まで知られるようになり、こんな山奥に隠されてしまっているのにと、宗太郎はこっそり苦笑する。
「もうこのくらいで一人前だよ。基本は叩き込まれてる。あとは本人の努力と才覚次第なのが忍びというものだ。だが、さすがに任務につく年ではないだろうに」
 本当に忍びだったのなら、これは厄介なことになるかもしれないと、宗太郎は考え込んでしまう。
「とにかく、宮司に報告してくるから。こいつは任せたぞ、源次郎」
「はい」
 心配そうに、眠る佐助を見つめる源次郎は、すっかりこの小さな忍者に肩入れをしているようだ。
 そしてこの忍びも……。
 源次郎には名前を告げた。源次郎には話をし、その他には強く警戒をする。
 それは源次郎を自分の主と決めたという行為に思えた。

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2009年08月30日

第二章−8−

 小さな忍びは翌日には枕から頭を離すことができた。
 まだ起き上がって動くことは無理だったが、食事を取って話すことは可能になった。
 しかし、源次郎にだけ口を開くので、世話のほうも自然と源次郎がしなくてはならなくなっている。
「源次郎は若様だぞ。あいつは何を考えてるんだ」
 六郎が憤慨してしまっているので、それも宥めなくてはならず、にわかに気苦労が増えている。
「ここではみんな同じだと言われただろう?」
「だけど」
「回復力は早いから、明日にも自分のことはできるようになると思う」
 小介のほうはあまり拘りなく、源次郎について回り、世話をする手伝いをしている。
 子供達のほうは屈託なく佐助と打ち解けつつあったが、大人たちは佐助の処遇について頭を悩ませていた。
 いくら子どもとは言っても忍びである。
 真田の跡取りがいるこの山に、偶然居合わせたとは思いにくい。
 宮司の鷺宮は昌幸に連絡を取る前に、源次郎を呼び寄せた。どうしても佐助の口を割らせなくてはならないと考えたためだ。
「佐助はどこから来たか、まだ言わないか?」
「覚えていないと言いました。どこにも行くあてはないとも。もう少し元気になったら、父上に頼んで、上田の忍び衆に預けてやりたいと思います」
 源次郎ならばそう考えるだろう。実際、佐助の言うことがすべて真実ならば、そうするのが最良の方法でもある。
「御館様にお知らせする前に、源次郎殿、佐助に真実を話させるのです」
「佐助は嘘など言っていないと思います」
 自分が疑われたように哀しい目をする源次郎に、鷺宮はゆっくりと首を横に振った。
「忍びはどのようなことがあっても、自分の身の上のことは話しません。どんなに酷い拷問にあっても、手足を切り落とされても、使命について口を割ることはありません」
「佐助はまだ子どもです」
「里を出た忍者は、何歳であろうとも一人前とみなされます。それに源次郎殿、貴方もかの者と同じくらいの年。それゆえ、彼が暗殺者に選ばれたといえるかもしれないのです」
 鷺宮の言葉は源次郎には衝撃的だったようだ。
「けれど……、それならば、今までにも何度も殺せる機会はありました。でも、佐助は何もしませんでした」
「貴方と親しくなり、秘密を聞きだしたうえで殺す腹づもりかもしれません」
「そんな……」
 すっかり気落ちした源次郎に、鷺宮はだからと言葉を続けた。
「だから、あの者に何もないと話をさせるのです。どこの里からやってきたのか。何故この山にやってきたのか。何も話さないのであれば、私は密偵として御館様に突き出さねばなりません」
 密偵となれば、それこそ拷問にかけられる。けれど鷺宮の言ったとおり、忍びが口を割ることはなく、ほとんどが拷問に耐えられず殺されてしまう。
 源次郎は重い足取りで佐助が寝かされている部屋を訪れた。
 佐助は源次郎の姿を認めると、布団から降りて正座した。
 源次郎も布団を挟んで座ったが、何も言い出せずに俯いた。
 悩みの深い、真剣な表情の源次郎を見て、佐助は不安そうにするが、自分から話しかけてくることはない。
「佐助は……忍びなのか?」
 たまらずに源次郎が口に出した。
 佐助は驚くでもなく、源次郎を見つめたまま、こくりと頷いた。
「どこの里からやってきた? 何をしにここまできた?」
 じっと源次郎を見つめるが、口を開く様子はない。
「佐助は、俺を殺しに来たのか?」
 悲しそうに聞かれ、佐助は驚いて激しく首を振って否定する。
「でも、言ってくれないと、お前は……密偵として、殺されてしまう」
 源次郎の目が真っ赤になっていた。
 何も言ってくれないからと怒ってもいいはずなのに、佐助を責めずに死なせたくないと泣いてくれる。
「ここに、いたら……迷惑……」
「違う。佐助」
 佐助は源次郎が止める間もなく、消えた。
 いや、消えたように源次郎には見えた。
 実際は音もなく跳躍し、源次郎の上を飛び越えて、廊下にすとんと飛び降りた。
「佐助!」
 源次郎はうろたえて、その後を追う。
 けれど、庭に飛び出た佐助は、松の枝に飛びつき、それをくるりと回って勢いをつけ、塀すらも軽々と飛び越えてしまった。
 まるで猿のようだった。
 源次郎に同じような真似はできず、慌てて門へと回った。
「どうした、源次郎!」
 宗太郎が驚いた様子で駆けつけてきた。
 源次郎はその声を振り払って、山に消えた佐助の後を追った。

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2009年08月31日

第二章−9−

「佐助! 佐助!」
 足跡はほとんど残っていない。白い雪が源次郎の足跡だけを残していく。
「源次郎! 源次郎!」
 佐助を呼んで山を進む源次郎を、大人たちが追いかけてくる。
 見つかれば連れ戻されるし、大人たちがいれば佐助は出てこない。
 振り切ろうにも、雪が足跡をくっきりと見せて、源次郎の居場所を教えてしまう。
 焦る気持ちが日頃の源次郎らしい慎重さを失わせ、山の奥へと足を踏み入らせる。
「佐助! 戻ってきて! 佐助!」
 どうしてこんなに佐助に戻ってほしいのか、源次郎は自分でも不思議だった。
 大人たちの言うことを聞き分け、将来の城主として自分を抑え、わがままを言うことも我慢して当たり前で、自分のことよりも臣下や村人たちを大切にしなくてはとわかっているのに、今は大人たちを困らせても佐助を助けたかった。
 一人きりで山の中で飢えをしのいでいた小さな忍び。
 自分だけに口を開いてくれた。それが裏切るなどとはとても思えなかった。
 自分が助けてやりたい。何か事情があるなら、なんとかしてやりたいと思ったのだ。
「佐助ぇ!」
 何度も名前を呼ぶが、佐助の気配はまったくなかった。
 あのような薄着で、こんな雪山にいればまた風邪を引いてしまう。今度は本当に助からないかもしれない。
 源次郎は悲しくなって、どんどんと山の奥へ行ってしまっていた。
 もういつもの道はわからない。
 大人たちの声は遠くでいくつかに別れてしまっていて、近くまで迫っている人はいない。
「佐助、また風邪を引いてしまう」
 積み重なった落ち葉と雪が何度も源次郎の足を滑らせてしまう。膝をすりむき、袴も破れて悲惨なことになっていた。
 もうこれより奥は進めないという岩山まで来てしまい、源次郎は大きな木の根元にしゃがみこんでしまった。
「げんじろうー!」
 下のほうで声が聞こえ、松明の明かりがちらちらと木の間に見え隠れした。
 戻らなくては、彼らに迷惑をかけてしまう。
 疲れて痛む足を伸ばして立ち上がり、下り道を探す。ほとんど道のない道を進んできたので、そろそろと進むつもりだったが、足を取られて滑り落ちることもあった。
「源次郎、どこだ」
 近くで宗太郎の声が聞こえた。
 ここだよと背を伸ばした途端、足元がざざざっと崩れた。
「あ、ああっ、うわーーーーー」
「源次郎!」
 滑り落ちる感覚に叫ぶ。体は止める間もなく、斜面を落ちていく。
 宗太郎の怒鳴り声が聞こえて手を伸ばしたが、それは冷たい雪を掴んだだけだった。
「わーーーーっ!!」
「源次郎!!」
 ずるずると滑り落ちていき、どすんと体が木に当たってまた傾いだ。
「ぐぅっ」
 声にならない叫びを上げたとき、体が地面に着いた。どうやら大きな怪我もせずに下までたどり着けたようだ。
「源次郎、無事か!」
 遠くで宗太郎が叫び、「大丈夫!」と答えたが、源次郎の声は相手に聞こえていないようだ。宗太郎の声が大きいから聞こえるだけで、こちらの声が届かないようだ。
「人を呼んでくる! 源次郎、もちこたえろ!」
 聞こえなくても励まそうとしてくれているわかり、源次郎も相手に届かないとわかりながら、わかったと叫んだ。
 ほうと息をついた途端、滑り落ちたときについた泥と雪のせいで、着物が塗れて寒さが身に染みてきた。
「うぅ、宗太郎先生、早く」
 自分が悪いとわかっていながら、源次郎は両手を抱き合わせて体を震わせた。はぁはぁと手の平に息を吹きかけるが、ちっとも暖かくならない。
 寒さに歯ががちがちと鳴り始め、体もぶるぶると震えてきた。
「大丈夫。すぐに宗太郎先生が来てくれる」
 ぴょんぴょんと飛び跳ね、足踏みを繰り返すが、しんしんと体は冷えていくばかりだ。
「ちちうえ……」
 寒くて心細い。
 いくら聡明で、大人びているとはいえ、源次郎はまだ六歳なのだ。体は小さく、冬の森は冷たい。
 こらえきれずに父を呼べば、涙がこぼれた。
 ばさっと木の枝が揺れてびくっとなる。
 この雪で熊がいるとは思えなかったが、それでも何かが木の枝を揺らせたのだ。
「誰……?」
 震える唇で問うと、まだざざっと枝が揺れ、雪が落ちてきた。
 すとんと源次郎の前に飛び降りてきたのは、源次郎が捜していた少年だった。
「佐助!」
 震える源次郎の横に座り、佐助は肩に腕を回してきた。
 そこだけが暖かくなる。
「どこにも行くな。もうどこにも行っちゃ駄目だ」
 涙を見られた恥ずかしさに、源次郎は佐助に抱きついて、命令するように言ってしまう。
「……はい」
 凍える体を温めあう源次郎の耳に、確かに佐助の諾の声が聞こえた。

posted by 高野尾 凌 at 22:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

第二章−10−

 宗太郎が縄梯子を使い、源次郎が落ちた窪みにたどり着いた時、源次郎と佐助はしっかりと抱き合い、お互いを温めあいながら震えていた。
 源次郎は半ば意識がないようで朦朧としていたが、佐助はしっかり目を開いて宗太郎を見上げてきた。
 さすがに忍びの子、この雪の中でも意識を失わずに、しかも源次郎を守っていた。
「大丈夫か」
 宗太郎は持ってきた綿入れで源次郎を包んで背負った。
「骨、折ってない、思います。肘、痛いって」
 紫色の唇を震わせて、佐助はそれだけを言った。
「ありがとう、源次郎を守ってくれて」
 宗太郎は腰に巻いていた蓑を佐助に渡してやる。
「一人で登れるか?」
 蓑を肩からかぶり、佐助は頷いた。
 自分の足で立てる限り、忍びは人の手など借りないだろう。
「では、来い。お前もまだ治療が必要だ」
「でも……」
「早くしろ。源次郎を温めてやりたい」
 背中に背負った体が冷たい。この小さな忍びだって、本当はとうに限界が来ているはずだ。堪えているのは、源次郎を助けたいという思いゆえだろう。
 宗太郎が縄梯子を上がるのに、佐助も後をついてきた。
 上では大きなたき火が焚かれ、宗太郎が戻るのを待っていた。
「良かった。源次郎様」
 神主の一人が宗太郎の背中から源次郎を受け取り、温めた白湯を飲ませようとする。
 源次郎は薄く目を開け、周りを見回して、ごめんなさいと呟いた。
「お説教は帰って、元気になってからだ」
 宗太郎が笑って、源次郎の頭を乱暴に撫でた。
「佐助は……?」
「ここにおるぞ」
 宗太郎が佐助の肩を掴んで引き寄せ、源次郎の目の前に突き出す。
「一緒に……かえろ」
 伸ばされた手を掴む。
 冷たい雪の中でも暖かかった手は、今も変わらずに暖かくて、佐助はそれが嬉しくて涙が出た。

「源次郎!」
「源次郎様」
 山に入ることを止められていた六郎と小介が、宗太郎に背負われて帰ってきた源次郎を見るなり駆け寄ってきた。
「しーっ、眠っているんだ。寒さと疲れでへとへとだったようだな。とにかく寝かせてやれ」
 二人を窘めながらも、宗太郎は屈んで、源次郎の寝顔を見せてやった。
 ほっとした二人は、宗太郎の後ろにいた佐助を見て、顔を強張らせた。
 佐助が悪いわけではないが、源次郎が彼を追って行ったことは、二人にとってはかなり悔しい出来事だった。まるで自分達が捨てられたような、そんな気分を味わったのだ。
「そら、お前たちももう寝ろ。明日は変わらずに仕事があるぞ」
「はい」
 不満気な二人に、宗太郎は苦笑いしながら、こいつも一緒に頼むと佐助を顎で指した。
「えー!」
 小介はぷくっと頬を膨らませる。
「お前達が嫌なら仕方ない。今夜は俺のところで源次郎と一緒に……」
「こいよ! こっちだ」
 慌てて佐助の手を引っ張る。
 怒ったように足を踏み鳴らして自分たちの部屋へと連れて行く。その後姿を見送って、宗太郎は自分の部屋に源次郎を寝かせた。
「どうだ?」
 鷺宮が覗きにきて、源次郎の様子を気遣う。
「ひどく体が冷えていました。明日には熱が出るかもしれません」
「そうか、肺に響かなければいいのだが」
「あの忍びが温めてくれていたようです。そこまで酷くはならないでしょう」
「どうしたものか……。昌幸様にご相談するしかなかろうが」
 鷺宮は困りきって腕を組んだ。
「源次郎が決めるまで待ってやってください」
「しかし……」
 悠長なことを言っていていいのか。その判断が出来かねる。
「どれだけ心配しても、源次郎はあの忍びを殺させはしないでしょう。それに、忍びの中には、金銭での契約ではなく、主を一人と決めたら、命を賭けて守る者がいると聞きます。源次郎と佐助の様子は、そのように見えるのです」
 雪の中で必死で源次郎を守っていた忍び。
 その姿に、一瞬、手を出せずに見守ることしか出来なかった。
 言葉の少ない忍びと、幼いながらにこの国を守ろうと決意を抱いている源次郎と、二人が出会ってすぐに心を通い合わせた。
 それこそが廻りあわせというものではないだろうか。
「そうだな。源次郎殿と、よく話し合ってからにしよう」
 鷺宮も頷いて、ぐっすりと眠る源次郎の寝顔を見つめた。

posted by 高野尾 凌 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする