山道を登り、中腹に差し掛かったところで大きな鳥居が見えてくる。本殿や社務所はそこからまだ小さな山を登るくらい上にあった。
幼い子どもが一人で下って帰れるようなところではない。
境内に通じる石段をすべて登りきった時、源次郎は振り返った。木々の隙間から、遠くに上田城が見える。
あんなに小さく見えるなんて。そんなに遠くに来てしまった。
寂しさと不安で胸が張り裂けそうだった。
「源次郎、さぁ」
昌幸に急かされて、源次郎は振り切るように父の後を追った。
境内の真ん中にある鳥居のところに、人影があった。白い着物に紺色の袴。神主の着物を着た人は、昌幸たちに深く頭を下げた。
「お待ちしておりました、御館様」
「無茶な願いを聞いていただけたこと、深く感謝いたします」
昌幸も丁寧に礼をした後、源次郎たちを紹介した。
「これが倅の源次郎です。側仕えの六郎と小介。まだ年端もゆかぬ者たちですが、どうぞよろしくご指導下さい」
昌幸に紹介され、源次郎たちはそれぞれにきちんと挨拶をする。
「私はここの宮司で、鷺宮元太郎と申します。お役に立てるかわかりませんが、ここでの父と思い、どうぞ甘えてください」
父と同じ年頃の鷺宮は、優しい笑顔を向けてくるが、それに笑顔で答えられる余裕は三人になかった。
それでも宮司は叱ることもなく、もう一度にっこりと笑った。
「まずはこちらへどうぞ」
一行は本殿に通され、そこで参拝をした。正式な参拝方法について説明され、覚束無いままも真剣に祈った。どうぞ早く帰れますようにという、この場には相応しくない願い事ではあったが。
その後で源次郎たちの住まいとなる、社務所の奥にある、鷺宮の居宅に案内される。三人で一つの部屋を割り当てられると知り、六郎と小介は若様と同じ部屋は駄目だと慌てた。
「源次郎様はこれより、真田の若様ではなく、皆同じ修行中の小姓として居て頂きます。これより、私も皆も、若様と呼ぶことはなきように」
六郎と小介はそれでも首を振ったが、源次郎は全てを受け入れるというように頷いて二人を見た。
「そもそも六郎は今までも俺を源次郎と呼んでいたではないか。今までのままでいいんだ。小介も、これからは呼び捨てでいいんだ」
でも、と弱りきった二人に、鷺宮はにこやかにそのうちになれるでしょうと、言った本人ではないかのように鷹揚な態度を示した。
「では、御館様にお暇のご挨拶をいたしましょう」
もう? と源次郎は驚いた。
せめて一晩、ここに居てくれるのではないかと、淡い期待を抱いていたのだ。
しかし、常に忙しく、城でも帰りを待たれる身の昌幸を、自分のためだけに留めることは出来なかった。
「源次郎、しっかり修行をいたせ。お前の成長を楽しみにしているぞ」
「はい」
もっと何か言わなければ、父に心配をかけないようにと思うのに、言葉が続いて出てこない。
涙をこらえていると、昌幸がぎゅっと抱きしめてきた。
「すまぬ、源次郎。父にもっと強大な勢力さえあれば」
手放さずに済むのに。いや、真に手放さぬためにこうしてしばしの別れとなるのだ。
昌幸のささやく言葉に、源次郎は父の袂を握りしめ、こぼれかけていた涙を飲み込んだ。
「俺は大丈夫です。きっと、きっと、父上のお役に立てる身となるように頑張ります」
もう一度強く抱きしめて、昌幸は振り切るように石段を下りて行った。
父と共の者たちが、遠ざかり、小さくなって、とうとう見えなくなっても、源次郎は石段の上に立ち、山道をじっと見つめていた。
昌幸は元服した源次郎が「父上お待たせしました」と逞しい姿で戻ってくれると信じていたし、源次郎も「立派になったな、頼みにしているぞ」と昌幸にいってもらえる日が来ると疑っていなかった。
これが、昌幸と源次郎の永久の別れとなるなど、昌幸にも、源次郎にも、他の誰にもわかるはずなどなかった。