2009年11月05日

第五章−13−

 机に置かれた袱紗を開く前に、望月は目の前の男を用心深く見た。
 体格はよいほうだが、武将という感じではない。多分、忍。忍が武将の姿をして、紛れ込んできたのだろう。
「三河殿はこの度の四国攻めにはご参加されていないと思っておりましたが」
「間もなく羽柴殿の後続艦が瀬戸内海に布陣してまいります。その船を供出しております」
 手は貸さないが、反目もしていないという苦肉の策だろうか。もっとも、あの気弱な狸が、手薄な伏見を襲おうなどという気概はないだろうが。
「返事は後日、お届けいたしましょう」
 書状を届ければ用事は済んだはずの男が去ろうとしないので、望月は出て行けとばかりに声をかけた。
 もっとも、家紋を見せられただけで、身分を名乗りもしない男からの手紙など読む必要もないと思ってのことだが。
「畏れながら、口答にてお返事を戴いてくるようにと」
 隠し切れずに勘気が顔に出てしまう。
 どのような用件かは知らないが、戦場にいる武将に向かって、主でもない大名が返事を急かすなどあってはならないし、聞いたこともない。
「では、このまま持ち帰られるがよろしいでしょう」
 にっこりと笑う。
 読む価値もないと突き返してやる。
「それでは私が叱られてしまいます」
「ならば、字が下手で読めなかったと言われたと言ってやりなさい」
 さすがに相手もむっとしたようだ。だが、望月の冷たい怒気に当てられて、必死に堪えているようだ。
「本当にお読みにならなくてよろしいのでしょうか」
「私は忙しいのです。わが殿からの命令ならともかく、今だお会いしたこともない方からの挨拶状など、読んでいる暇はないのです」
 無駄な会話に苛立ちが募る。どうしてこうも諦めが悪いのか、さすがにぽんぽこの部下だと言ってやりたくなる。
「畏れながら、黒田様にはこれ以上望月様を引き立てるおつもりはないように思われますが」
 それをどうしてお前に言われる必要があると思いかけて、これが相手の作戦かと気がついた。
 元々気が短いほうではないが、心の底から冷えた怒りがこみ上げてくる。口唇がくっきりと綺麗に上がる。
「これでじゅうぶんに引き立てていただいていると大変感謝しておりますよ?」
 相手は無言で望月を見上げてきた。
「それを持ち帰ってください。私が読めば差し障りもあるでしょう」
 渋々と言った様子で、袱紗の包みを懐に入れる。
「いずれ後悔されますよ」
 悔し紛れの一言は、だが望月の怒りをさらに大きくしただけだった。
「後悔? 後悔、ねぇ。そういう気持ちには未だなったことがありません。とても楽しみです」
 冷たい微笑みに相手は頬を引きつらせ、無言で出て行った。訪問から退出まで、失礼極まりない使いだった。あれではあちこちで小心者よ、臆病者よと嗤われるわけだ。
 怒りを吐き出すように溜め息をつくと、背後の部屋から幸村が出てきた。
 扉の影になってよく見えないが、その顔は今まで見たこともないように強張って見えた。すっと現われたのは幸村の忍。
 佐助が横に立ったことで、幸村もようやくほっと安堵の息をついた。
「徳川からの誘いを、断ってよかったのですか?」
 声も固く、望月の心情を推し量っているかのようだ。
「人を化かす狸は嫌いなんです。愛嬌のある猿のほうがよほど好感が持てる」
 幸村は笑ったかのように見えた。ふっと空気が和らいだ。
「どちらにせよ、望月様は黒田様ご配下。羽柴殿の臣下も同じ。俺は碁に負けて、徳川は駆け引きにしくじった」
「私は私ですよ? 君が望むなら、実力で挑んでいらっしゃい。碁でも、槍でも、私はいつでも受けますから」
 貴方を望みますと、まっすぐに見つめられたときの高揚。
 配下への誘いならば、徳川の誘いのほうがよほど相手も大きく、出世も望めよう。黒田長政についていては、いつまでも今のままだろう。
 けれど、何も持たない目の前の少年が言った一言が、心を震わせた。
 またあの目を見たい。
「勝てるようになるのは、まだまだかかりそうです」
 けれど幸村はすっかり諦めたように、それまでの覇気をも消して、望月から視線を外した。
「そろそろお暇します」
 すっと頭を下げられる。
「幸村、その……」
 あわてて呼び止めると、幸村は振り返って笑った。
「今日のことは他言いたしません。俺も佐助も」
 そういうことではない。そう言いたかったが、それを言ってどうにかなることではないと気がついた。
 そのまま出て行く少年を引き止められなかった。
 そしてそれ以来、幸村は望月の元に来なくなった。
 貴龍丸を訪ねれば喜んでくれるが、向こうからはやってこない。
 そうしているうちに、沖合いに桐の紋の戦艦が威風堂々と並んだ。圧巻ともいえる光景に、四国勢は目を剥いたことだろう。
 決着が間近と迫り、望月の心には小さく消したはずの気持ちが膨らんでいった。
 長政は相変わらず望月を呼び寄せることはせず、つまらぬ事を聞くために度々使者を寄越すし、手柄は自分のもので失策は望月の責任だ。
 羽柴勢が加わるまでとの契約だったのか、望月の苛立ちが募る中で、貴龍丸はゆっくりと四国を離れていった。


posted by 高野尾 凌 at 22:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 第五章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
望月様をゲットできなかったのは残念ですが、それが更に望月様の心を掴んで離さないという、幸村マジック。
天然のたらしですか、この子は^^
あまり可愛さ振りまいていると、攫っていきますよ?←返り討ち必至

それにしても、狸殿の使いが来たとき、望月様はどうなさるのかハラハラしていましたが、封も開けずに突っ返す望月様に漢を感じました^^

「ぽんぽこ」で鼻水噴いたのは、内緒にしてください。
Posted by 桂花 at 2009年11月06日 06:41
望月は怜悧なイメージでと決めているんですが、なかなか毒舌なわりにお茶目さんなところがあって苦労しますw
幸村を攫うときは佐助の反撃にお気をつけ下さい。っていうか、無理っぽいですよね。何人がかりで行けば攫えるかなーとちょっとまじで考えてしまいました。百……無理かな。
読んでくださってありがとうございました。
Posted by 高野尾 凌 at 2009年11月06日 20:55
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