2009年11月03日

第五章−12−

 碁の勝敗の行方は、初盤は置石の六個が幸村を優勢に運んでいたが、待ったを二回使い切ってからは、望月の形勢が明らかに有利となっていた。
 このまま勝負を続けていても恥を晒すだけだとわかって、手を引こうかどうしようかと考え込んだ時点から、望月の打ち方が変わってきた。
 三手を打ち込んでみて、その疑いが確信に変わった。
「手加減をしてくださるのですか?」
 気持ちがむっと尖った。
 子どもの分際で怒るのかと問われれば言い返せないが、最初に力の差だけの先手は貰っている。ここまで来て、手加減をされるのは腹立たしくてならなかった。
「なかなか面白い手を打つので、もっと見たいと思っただけなんだが」
 定石どおりではない、奇襲を織り交ぜ、磐石の囲いにも挑戦してくる幸村の、顔に似合わぬ攻撃的な打ち筋が純粋に面白かった。
 勝気な面も見せられて、望月自身はこの一局を非常に楽しんでいたので、彼を怒らせたのだとしたらきちんと謝罪するつもりはあった。
 その幸村が、突然怒りの表情を崩し、ぷっと吹き出して笑い始めた。
「どうしたんだい?」
 そんにおかしいことを言ったつもりはなかったのだがと、望月は笑いながらもどこか寂しそうな顔の幸村を見つめた。
「すみません、思い出したんです」
 目尻に滲んだ涙は、笑いすぎての涙ではないらしい。
「昔、相手に宣告せずに、自分で勝負の条件をつけて碁を打って、それを見破られてとても怒られました」
「ほう……」
「怒って殴りあいになって、叱られて……、謝って。その相手が、望月様と同じ六郎という名前でした……」
 泣き出しそうな顔をして碁盤を見つめる。酷く辛そうな目。
「その六郎は今?」
 幸村は知らないと首を振った。
「多分、彼の父親と一緒に、どこかに仕官しているのではないかと思います」
「そうか。仲直りは?」
「しました。六郎は俺の兄のようであり、友人のようであり、大切な……仲間でした」
 言い含めて先に越後へ向かえと命じた。
 自分はそこへ行く気などなかったのに。
 そのまま会えずにいる。もう会う事はないだろう。もし会えたとしたら、それはきっと戦場で、もしかしたら敵になっているのかもしれない。
「佐助のように、連れてくればよかっただろうに」
 幸村はやはり首を振った。
「俺と佐助は親を亡くしました。けれど六郎や他の仲間には親がいました。一緒に来ないほうが、彼らのためでした」
 日頃自分の過去については一切と言っていいほど話さない幸村が、ぽつりぽつりと胸に秘めていた過去を話している。六郎という名前がきっかけとはいえ、これはかなり珍しいことだろう。
 しかし、それほど同年代の少年が身の回りにいたという事、佐助という忍がついていることを鑑みれば、やはり幸村は大名級の武将の息子であると思える。
 滅び去った大名も、武田のように大きいところもあれば、無名で豪族と変わらぬ程度の小さなところもある。
 武田か……と考えたところで、はっとした。
 名門武田家は、信玄亡き後、脆くも瓦解した。そこに仕えていた武将たちは、散り散りになって、離散してしまった。その中に、小さいながらも地盤を守り、堅固な城を守った一族がいたではないか。
 その城主は暗殺され、妻子は人質に出され、武将たちも各地に分散されたという噂を聞いた。
 ……まさか。
 息子がいたらしいとは聞いたことがあるが、万が一、目の前の少年が息子だったとして、これほど利発な息子がいたならば、もっとその噂が聞こえてきたはずである。
 ……考えすぎか。
「俺の負けですね。参りました。ありがとうございました」
 幸村はつまらぬ話しをしてしまったとばかりに話しを切り替えて、負けを認めると碁石を片付け始めた。その時、それまで姿を見せなかった佐助が、気配も感じさせずに幸村の脇に降り立った。
 望月には聞き取れぬほどの小さな声で、何かを幸村に話している。短いその報告をしたあと、また佐助の姿は消えた。
「この船に、どこかからの使いがくるようです。俺はできれば会いたくありません。急に船を降りるのは不審に思われますので、どこか隠れる場所はないでしょうか」
 望月は眉を寄せ、幸村を背後の小さな部屋に移動させた。話は聞かれてしまうだろうから、相手によってはこの船室から出ればいいのだと思うことにした。
 幸村が隠れると同時に、扉を密やかに叩く音がした。
 外にいるはずの部下の取り次ぎを介さずに来る相手など、胡散臭くて話しを聞くにも注意が必要だということだと、ますます望月の表情は固く冷たくなっていった。
「誰だ」
 厳しい声で誰何すると、相手はすっと扉を薄く開いた。
 望月は刀を抜いた。
「望月六郎様ですね? 私はこういうものです」
 ざっと殺気立ったのは、幸村を守るためにどこかに隠れている佐助の気配だろうか。だが、相手は気づいていないようだ。望月の警戒心だと思っているのかもしれないが。
 相手が差し出したのは、書状を包んだ袱紗だった。その袱紗の表に、金色の糸で家紋が刺繍されている。
 その家紋を見て、望月は目元を引きつらせた。
「まずは、この書状をご覧くださいませ」
 相手は怯まずに、扉の内側に体を滑り込ませると、袱紗ごと机の上に置いた。
 横の碁盤には、片付けも途中の石が散乱しているが、使いの者は気にしていないようだ。
 濃紺の袱紗に、煌びやかな錦糸の三葉葵の紋が、不気味に蝋燭の光に揺れた。


posted by 高野尾 凌 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 第五章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする