2009年09月01日

志紀長吉神社

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大坂夏の陣のとき、道明寺の戦いから天王寺に引き上げる途中で、戦勝祈願をした神社。
六文銭の旗が奉納された。
六文銭の模様の勝守りという御守りがあります。
8月29日土曜日にお参りして来ました。
実は、5月に行こうとしたら、道が細くて車で行けなかった。今回は地図を調べて、再チャレンジ。あっさり広い道を見つけられた。参道も境内も綺麗です。
近くには、家康を仕留めようと地雷を仕掛けたお地蔵様があるらしいですが、住所を控えてなくてナビに打ち込めず断念。またその内に行こうと思います。

志紀長吉神社のホームページ
http://shikinagayoshi-jinjya.org/index.html


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第二章−10−

 宗太郎が縄梯子を使い、源次郎が落ちた窪みにたどり着いた時、源次郎と佐助はしっかりと抱き合い、お互いを温めあいながら震えていた。
 源次郎は半ば意識がないようで朦朧としていたが、佐助はしっかり目を開いて宗太郎を見上げてきた。
 さすがに忍びの子、この雪の中でも意識を失わずに、しかも源次郎を守っていた。
「大丈夫か」
 宗太郎は持ってきた綿入れで源次郎を包んで背負った。
「骨、折ってない、思います。肘、痛いって」
 紫色の唇を震わせて、佐助はそれだけを言った。
「ありがとう、源次郎を守ってくれて」
 宗太郎は腰に巻いていた蓑を佐助に渡してやる。
「一人で登れるか?」
 蓑を肩からかぶり、佐助は頷いた。
 自分の足で立てる限り、忍びは人の手など借りないだろう。
「では、来い。お前もまだ治療が必要だ」
「でも……」
「早くしろ。源次郎を温めてやりたい」
 背中に背負った体が冷たい。この小さな忍びだって、本当はとうに限界が来ているはずだ。堪えているのは、源次郎を助けたいという思いゆえだろう。
 宗太郎が縄梯子を上がるのに、佐助も後をついてきた。
 上では大きなたき火が焚かれ、宗太郎が戻るのを待っていた。
「良かった。源次郎様」
 神主の一人が宗太郎の背中から源次郎を受け取り、温めた白湯を飲ませようとする。
 源次郎は薄く目を開け、周りを見回して、ごめんなさいと呟いた。
「お説教は帰って、元気になってからだ」
 宗太郎が笑って、源次郎の頭を乱暴に撫でた。
「佐助は……?」
「ここにおるぞ」
 宗太郎が佐助の肩を掴んで引き寄せ、源次郎の目の前に突き出す。
「一緒に……かえろ」
 伸ばされた手を掴む。
 冷たい雪の中でも暖かかった手は、今も変わらずに暖かくて、佐助はそれが嬉しくて涙が出た。

「源次郎!」
「源次郎様」
 山に入ることを止められていた六郎と小介が、宗太郎に背負われて帰ってきた源次郎を見るなり駆け寄ってきた。
「しーっ、眠っているんだ。寒さと疲れでへとへとだったようだな。とにかく寝かせてやれ」
 二人を窘めながらも、宗太郎は屈んで、源次郎の寝顔を見せてやった。
 ほっとした二人は、宗太郎の後ろにいた佐助を見て、顔を強張らせた。
 佐助が悪いわけではないが、源次郎が彼を追って行ったことは、二人にとってはかなり悔しい出来事だった。まるで自分達が捨てられたような、そんな気分を味わったのだ。
「そら、お前たちももう寝ろ。明日は変わらずに仕事があるぞ」
「はい」
 不満気な二人に、宗太郎は苦笑いしながら、こいつも一緒に頼むと佐助を顎で指した。
「えー!」
 小介はぷくっと頬を膨らませる。
「お前達が嫌なら仕方ない。今夜は俺のところで源次郎と一緒に……」
「こいよ! こっちだ」
 慌てて佐助の手を引っ張る。
 怒ったように足を踏み鳴らして自分たちの部屋へと連れて行く。その後姿を見送って、宗太郎は自分の部屋に源次郎を寝かせた。
「どうだ?」
 鷺宮が覗きにきて、源次郎の様子を気遣う。
「ひどく体が冷えていました。明日には熱が出るかもしれません」
「そうか、肺に響かなければいいのだが」
「あの忍びが温めてくれていたようです。そこまで酷くはならないでしょう」
「どうしたものか……。昌幸様にご相談するしかなかろうが」
 鷺宮は困りきって腕を組んだ。
「源次郎が決めるまで待ってやってください」
「しかし……」
 悠長なことを言っていていいのか。その判断が出来かねる。
「どれだけ心配しても、源次郎はあの忍びを殺させはしないでしょう。それに、忍びの中には、金銭での契約ではなく、主を一人と決めたら、命を賭けて守る者がいると聞きます。源次郎と佐助の様子は、そのように見えるのです」
 雪の中で必死で源次郎を守っていた忍び。
 その姿に、一瞬、手を出せずに見守ることしか出来なかった。
 言葉の少ない忍びと、幼いながらにこの国を守ろうと決意を抱いている源次郎と、二人が出会ってすぐに心を通い合わせた。
 それこそが廻りあわせというものではないだろうか。
「そうだな。源次郎殿と、よく話し合ってからにしよう」
 鷺宮も頷いて、ぐっすりと眠る源次郎の寝顔を見つめた。

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2009年09月02日

第二章−11−

 案じられていた通り、翌朝から源次郎は高い熱を出した。
 最初はふもとの医者が呼ばれたが、すぐに上田城からも医者がやってきた。
 けれど暖かくして、栄養のあるものを食べさせて休ませるより他に治療もなくて、六郎や小介が世話を焼くのは小姓の務めとばかりに張り切っている。
 特に小介は佐助に対する意地があるのか、佐助が風邪を引いた原因とばかりに、源次郎に近寄らせようとしなかった。
 二日ほどで源次郎は起き上がれるようになり、周りをほっとさせた。
「源次郎殿。佐助については、源次郎殿がどうなさるおつもりかを決めて、御館様にお知らせすることにしております。佐助にも早まるなと引き止めてある」
 源次郎ははいと頷いた。
 山奥で滑り落ちた時、一人でもう駄目だと感じた。そこへ佐助が来てくれた。
 源次郎が追ってきたことを知り、無事に帰れるまで見届けようとしてくれたと、助けを待つ間に本人から聞いた。
 自分のことは語らないが、それ以外のことは、聞けば言葉少ないながらも答える。せめて佐助の身の潔白だけでも証明できればと思うのだが、源次郎はどうすれば佐助が心を開いてくれるのか、その方法がわからなかった。
「どのように説得していいのかわかりません」
 心細い思いで呟くと、鷺宮は源次郎の頭を優しく撫でてくれた。
「難しく考えなくてもよい。源次郎の気持ちを佐助に話せばいいのだ。説得などと考えるから、相手も話せなくなるのではないか?」
 宮司のごくあっさりした物言いに、源次郎はきょとんとなる。
 それでいいのだろうか?
「源次郎殿は、源次郎殿の言葉で、側にいてほしいと言ってみなさい」
「はい」
 少し光明が見えたような気がして、源次郎はようやく微笑んだ。

「源次郎様、もう大丈夫なのですか?!」
 佐助を探して境内に出てみると、石段の雪かきをしていた小介が目聡く源次郎を見つけて駆け寄ってきた。
「心配をかけてすまなかった」
 源次郎が謝ると、小介はとんでもないと顔の前で手を振った。
「佐助はどこにいる?」
 にこにこ顔の小介だったが、源次郎が佐助の居場所を尋ねると、途端にむくれてしまった。
「一番下の雪かきをしています」
 むっとしながらも、知らないと嘘は言えず、小介は石段の下を指差した。
「そうか。ありがとう」
 ぽんと小介の肩を叩いて、石段の下に向かって佐助と名前を呼んだ。
 ぴょん、ぴょんと三段ほどを飛んで、佐助は源次郎の前に膝をついた。
 あまりに軽く飛び越えてきたので、小介はその様子に目を丸くしている。
「話があるんだ。こっちに」
 返事はなかったが、源次郎が社務所へと歩いていくと、静かに後をついてきた。
 火鉢がまだ暖かい部屋の中で、源次郎は部屋の隅に座った佐助に、もっと真ん中に来てくれと頼んだ。しかし、佐助は首を振って部屋の隅にちんまりと座ったままだ。
 仕方なく、源次郎が火鉢をあきらめて、佐助の前に座った。
「俺はいずれ、この上田の庄の長として、この地を守っていきたいと思っている。だけど、今はまだ何の力もない。父上の側にいることも出来ないで、ここで勉強と修行をしなくちゃならないんだ」
 真剣に話す源次郎の顔を、佐助がじっと見つめてくる。
「いつ上田城に帰れるのかわからない。でも、帰るときには、父上の片腕として、支える力になりたいと思っている」
 父と会うことも出来ない。上田城がどうなっているのかも、今の自分では知ることさえ叶わない。けれど、自分は上田城の主の支えとなる。その決意が揺らいだことはない。
「だけど、一人じゃ心細い。六郎と小介がいてくれるけれど、俺はたくさんの味方が欲しい。父上を支える人はたくさんいるけれど、その人たちは父上を支える人たちだ。俺は俺を助けてくれる、俺の腕となり、足となり、目となってくれる、俺の仲間が欲しい。俺と一緒に父上を支えてくれる、俺の仲間が欲しいんだ」
 源次郎は膝を進めて佐助ににじり寄る。
「薪を集めていたときから、誰かが山で暮らしているらしいのはわかっていた。佐助は気配を殺していたつもりだろうけれど、山に住む動物たちの緊張までは消せてなかった。でも、その誰かは悪い人だとは思えなかった。必要以上の物を取らず、山の姿を変えずに過ごす人が、悪者だとは思えなかった。佐助は俺たちが通る道からは、必ず離れようとしていた。だから密偵じゃないと確信していた」
 源次郎の目は自然を映す。それが人為的に破壊されれば、そこに悪意があれば敏感に感じ取ってしまう。
 城に住んでいたときから山を見て、雲の流れを読む術を老人達に教わっていた。教わっていたが、時間毎、日割り毎、月毎に移りゆく自然の微妙な違いを感じていたからこそ、こんな場合にはどうなってしまうのかを、経験を積んだ人に尋ねることができたのだ。
「山で獣を狩る罠を見つけた時、俺は感じたんだ。この者は俺と同じように、自然を見てくれる人だと。だけど罠まで張るくらいだから、本当に困っているのだと思った」
「だから、握り飯……」
「うん。施しは好きじゃない。きっと相手も怒るだろうとも思った。でも、これから山はさらに厳しくなる。せめて次の山に移る元気だけでも残して欲しいと、そう思った」
 だけど、と源次郎は佐助の膝に手を置いた。
「だけど、本当は俺の仲間になって欲しいと思った」
 真剣な眼差しが、嘘偽りなく佐助を見つめた。
 深い茶色の澄んだ瞳。必死の願いに心が動かされないわけがない。
「おれに、なれる?」
 この人の言う、仲間というのがどんなものかはわからない。
 けれど、なれるものならなりたいと、佐助も強く思った。

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2009年09月03日

第二章−12−

 仲間になって欲しい。
 源次郎の真摯な願いに、佐助は立ち上がって、着物の帯を外した。
「佐助?」
 不思議そうに尋ねる源次郎の目の前で、佐助は帯の中心を裂いて、中から紙片を取り出した。
 蝋の厚く塗られた包み紙を開くと、少し黄ばんで角の摺れた手紙が出てくる。
 その手紙を源次郎に差し出した。
「俺が読んでもいい?」
「はい」
 頷く佐助に、源次郎は破かないように気をつけて、その手紙を開いた。
 細かい文字で、掠れた部分もあったり、間違った字もあったりして、読み取るのに苦労する手紙だった。
 けれど半分も読まないうちに、源次郎はその内容に目を見張り、貪るように文字を追った。


私達夫婦は草です。ある大名の下で偽りの主従の契りを結び、隠された任を努めておりました。
そのことに不平不満はなく、一片の疑いも持っておりませんでした。
しかし偽りの主であったはずの人に、温かい情けをかけてもらい、厚い信を寄せられて、
自分たちの任務が苦しく、申し訳なく、それ以上の裏切りを続けることができなくなりました。
妻が身篭った時、二人で里から抜けることを決意しました。
我が子に同じ草としての運命を負わせることはどうしても出来ませんでした。
里からの出奔は、同時に偽りの主への裏切りでもありました。
妻を隠し、抜け忍として逃げ続けるつもりでした。
けれど偽りであったはずの主が妻を匿い、生まれた息子共々保護してくれました。
私は抜け忍として追われ、妻子から里の目を逸らせる役目を続けました。
時折戻っては息子を忍びとして育て、また逃げる日々の繰り返しでした。
そんな折、私達は偽りの主の危機を知りました。ご恩返しのため、これより戦に参戦するつもりです。
私達はもう戻れないでしょう。この子、佐助は一人で生きていけるように育てました。
私達の主に殉じる為に育てたのではありません。草にしたくなかった。それだけです。
本人が主を見つけ、事情を説明するのに困った時は、この手紙を渡すように言い含めてあります。
どうか、この子を貴方様の手足として、嘘偽りでなく、仕えさせてやってくださいませ。
忍びとして、一人の主に仕えられる幸せを与えてやってくださいませ。


 手紙に書かれたその日付は、今より二年前。
 どの大名に仕えていたのかは、それでわかった。
 もうその大名はいない。織田信長に滅ぼされた。
 草というのは、敵地に潜入し、味方として生活し、重要な情報を伝える役目の忍びのことだ。
 草の中には、三代にわたって敵地で生活している者もいるという。
 陣内に敵を飼うようなもので、草の存在は頭の痛い問題である。
 けれど佐助の親達のように、敵地で生活しているうちに寝返る草も少なからずいるという。
 なので、寝返り行為はもっとも犯してはいけない禁忌で、その処罰は一族郎党に及び、処刑方法も凄惨を極めるのだという。
 それでも、佐助の親たちは、その大名側に寝返った。
 佐助の存在を隠し続け、忍びとして育てたのに、その大名に仕えるよりは自分で主を探せという親の思いが痛いほどに伝わってきた。
「佐助は忍びとして生きていく。それでもいいのか?」
 佐助を農民と子として育てることも出来ただろうに、どうして彼らは忍びとして育てのだろうか。
 自分達が辛かったからこそ、そんな運命を背負わなくてもいいようにしても良かったのではないか。
「おれは、忍びの子。父、母、主に仕える、嬉しそうだ」
 戻ってこなかった両親。
 大名は滅ぼされ、撫で斬りといわれるほど、家臣たちもことごとく切り捨てられたという。
 佐助の両親は覚悟があったのだろう。主を選び、守り、共に討ち死にすることは、抜け忍として生きていくより、草として生き残るより、誇り高き生き方だったのだろう。
 源次郎は佐助の両親が彼を置いていく風景を思い浮かべることができた。
 二人は幼い佐助を残していく不安はあったものの、自分たちの生き様を見せることができた。笑顔で佐助の頭を撫で、抱きしめ、手を振って山を下りていく。
「この手紙は俺が貰ってもいいのか?」
 受け取るのには覚悟がいる。
 それだけの重みがある手紙だった。
「おれ、源次郎さまに、仕えたい」
「違う、佐助。仲間だ」
 佐助の喋り方が移ったように、源次郎もたどたどしい話し方になる。
 真似ている様に見せて、こみ上げてくる涙を隠した。
「仲間……」
 佐助は嬉しそうに笑い。源次郎の前に深々と頭を下げた。
 佐助が源次郎の忍びとなった、その瞬間だった。

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2009年09月04日

第三章−1−

 上田の庄は何も変わらず平和そうに見えた。
 その年の冬は比較的穏やかで、春の訪れも早かった。寒さで倒れる人も少なく、冷害用の備えも底をつくことなく、余裕のある越冬だった。
 村人達も笑顔で雪融けを喜び、これも真田の殿様のお陰とたいそう喜んでいた。
 しかし、上田城の中は、緊張感が高まっていた。
 真田軍は織田信長に恭順の意を示し、上田の庄の安堵を保証されていたが、その織田軍自体が天下統一まであと少しと迫り、各所で戦を繰り広げている。その隙を突くべく、小さいながらも信濃の要所である上田地方を我が物にせんと、周りがきな臭い動きを始めていた。
 特に活発な動きを隠さないのが、織田信長に従いながら、三河から駿河へとじわじわと領地を広げている徳川家康である。
 そしてその反対側、東からは北条氏康が虎視眈々と上田を狙っているのがわかる。
 今のところ、徳川と北条でけん制しあって、直接手を出してくる気配はないが、まったく気を抜くことは出来ない。
 真田の跡継ぎは病弱らしい。いや、腑抜けだという。もはや死んでいるのではないか。
 あらぬ噂が飛び交い、水面下では、昌幸さえ屠れば、上田は自分のものとなる。
 源次郎を守るためにとった措置が、かえって昌幸を追い詰めることとなったのは、不幸としかいいようはなかったが、幸隆より受け継いだ智謀智略に富み、勇猛果敢な戦略は衰えるはずもなく、直接手を出すという暴挙に出るまでにはまだ時間がかかりそうだった。
「あと三年。せめて源次郎が十歳になれば、少し早くても元服させて、跡取りとして名前を挙げさせることが出来る。それまでは大きな戦は避けたい」
 昌幸は精力的に周りの武将と外交を続け、精神的圧力をかけることによって、戦の回避を狙っていた。
「御館様、また佐助が抜け出しましたっ」
 情報収集が全てを制すといわんばかりの精神の疲労を伴う情報戦に神経をすり減らしている昌幸に、真田忍軍の組頭が駆け寄ってきた。
 冬に源次郎のところから送られてきた少年忍びは、修行の隙をついては、度々抜け出してしまう。
「行く先は決まっておる。源次郎が戻るように説得するだろうから、放っておけ」
 それよりも、あんな小さな忍びに抜け出される、この忍び衆は大丈夫なのだろうかと、非難をこめて睨む。
「畏れながら、あの者、本物の猿のようにて、飛ぶ勢いは鷲のようでもあり、実際、猿と意思が通じているかのように話している節があって、山での修行となると、猿にまぎれていなくなってしまうので」
 言い訳はみっともないとわかっていながら、主の勘気が怖ろしくて、口が勝手に陳情してしまう。
「ふん、猿飛びか。源次郎はよい忍びを得たものだな」
 ふふと笑って、昌幸は源次郎のいる東春日神社のある山を仰ぎ見た。

 佐助と源次郎がすっかり元気を取り戻してから、鷺宮は上田城に使いを出した。
 佐助の親の手紙と、委細をしたためた手紙を出した。源次郎も佐助を自分の配下にしたいことを願い出る手紙を書いた。
 昌幸からの返事はすぐに届けられた。
 十蔵がその決定を知らせに、雪の深い中を神社までやってきてくれたのだ。
「御館様が一度その忍びを連れてくるようにと。必要があれば、忍び衆の中で訓練せよと」
 決定は源次郎に伝えられ、源次郎はそれに頷いた。
 だが、当の佐助が嫌がって大変だった。
「ここに、おれ、いる。源次郎さまに、仕える。約束した」
 頑なに首を振る佐助に、宮司も十蔵も困り、源次郎が佐助を説得するしかなかった。
「佐助、父上に会ってきてくれ。ずっと離れているわけじゃないんだから」
 それでも佐助は納得しなかった。
「修行も大切だ。俺では佐助に教えてやれないだろう?」
 読み書きは教えてやっている。言葉遣いも、増えてきている。たどたどしい喋り方は癖のようで、言葉数は増えても変わらなかったが。
「修行は、一人で、できる、山で」
 頑として譲らない。実際、一人でいた間も、ずっと修行らしきことはしていたらしい。加えて山の中で動物達に混じって生活していたせいか、動きに無駄がなく、夜の闇でもよく見えている。
「源次郎様、説得するより、命令なさい。貴方はこの者の主なのですから」
 十蔵は自分の主である源次郎に進言する。
 身分の差をひけらかさない源次郎の態度は好ましいが、戦場にあってそんな態度では困る場合もある。
 源次郎を主として導くのは、年上の家来の務めでもある。
「しかし、我らは仲間として……」
「仲間であっても、束ねるのは源次郎様なのですよ」
 はっとしたように十蔵を見つめる澄んだ瞳に、十蔵は私もそうであると頷いた。
「佐助。上田城に行け。父上に会い、父上の命に従うんだ」
 佐助は源次郎を見つめ、膝をついて、従順の意を示した。

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2009年09月05日

第三章−2−

 真夜中にまだ冷たい夜の空気が流れ込んできて目が覚める。
 首をめぐらせると、部屋の隅で佐助が膝を抱えて座り込んでいた。
「佐助……また……」
 源次郎は体を起こして溜め息をついた。
 上田城に佐助を送り出したのはまだ雪が残っている頃。城主の昌幸は佐助の両親の手紙を読み、真田忍び衆に佐助を預けることにしたと返事が来た。
 忍び頭によると、佐助の忍術は甲賀忍者の流れを汲むもので、真田忍びたちも甲賀出身者が多かったので、修行をするには適しているらしかった。
 忍び頭が集めた情報によると、佐助の親は甲賀の中でも傍系の里に当たる一派で、抜け忍として追われたことは事実らしい。二年前に戦で亡くなったのも里の追っ手に確認されているらしい。しかし、子どもがあったことはばれていないという。
 佐助はおとなしく修行を受け始めたと安心していると、ある夜、こっそり源次郎の所に戻ってきた。
 源次郎は驚いて、許しを得たのかと聞くと、佐助は黙ったままで動こうとせず、翌日にきつく言い含めて帰らせた。
 許しが出るまで戻ってはならないと言い聞かせたにもかかわらず、十日に一度はこうして戻ってくる。
 一夜経てばおとなしく帰るのだが、あまりにも頻繁ではさすがに黙って見逃すことも出来ず、罰せられるかもしれない。それにまだ子どもの佐助には、上田城からここに来て、一夜でまた上田城に戻るにはかなりの距離で、修行を続けての往復は体にも負担が大きいだろう。
「戻っては駄目だって、言っただろう?」
 六郎と小介が眠っているので、ささやく声でしか叱れない。
 佐助は膝を抱えたまま、俯いて身を固くしている。
「佐助。明日の朝には帰るな?」
 わずかに小さく頭が揺れる。
「布団を出してきて。一緒に寝よう」
「ここでいい。大丈夫」
 一晩や二晩くらい眠らなくても忍びは平気だと聞いたが、それでも夜中に駆けてきたことを思えば、今夜はゆっくり休ませてやりたい。
「いいから。六郎たちが起きてしまうだろう」
 自分が動かなければ源次郎も眠らないとわかり、佐助は押入れから布団を出してきて、源次郎の横に敷いた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 源次郎の微笑み、夜中の暗闇の中でも佐助の目は源次郎の笑顔がよく見える、に、小さな声で挨拶を返す。
 帰ってきてはいけないことはわかっている。修行も心配されるほど辛くはない。
 佐助にとって辛いのは、我が主と決めた人の側にいられず、その身を守れないことだった。
 顔を見れば安心する。だから、どんなに叱られても、忍び頭に罰を受けても、夜の村々を駆け抜けていくのだった。
 翌朝、三人が目が覚めたときには、佐助の姿はなかった。布団も元通りに押入れに入れられており、彼がきたことすら夢だったのかと思うようなあっけなさだった。
「夕べ、佐助が来ていただろう」
 六郎があくびをしながら聞いてくる。
「えー、また?」
 小介が呆れながら頭を掻く。
「わかっていたのか」
「そりゃ、わかるよ。あいつ、源次郎に起きて欲しくて、気配を消さずに入ってくるから。目が覚めない小介に問題がある」
「えーーー、わかんないよ」
「夜襲があったら、小介は一番にやられてしまうぞ」
 六郎のからかいに、小介は頬を膨らませる。六郎に呑気に寝ていたことを指摘されたのも悔しいが、佐助が頻繁に戻ってくるのも気に入らない。
 源次郎は自分たちの主だという自負がある。佐助は横入りしてきたずるい奴だという気持ちがある。
 なにより、源次郎が佐助を気に入って、自ら進んで配下にしたがったのが、たまらなく嫉ましいのだ。
「まだ小介は小さいんだから」
 源次郎がかばってくれるのは嬉しい。本当は源次郎の世話をするのが小介の役目であるのに、そのやり方を六郎に教わりながら、実は源次郎に面倒を見てもらっているのが現状だ。
「すぐにできるようになるよ。今は戦もないから、ゆっくり寝るのが一番いいことだ」
 源次郎が笑いながら小介の頭を撫でる。
 小介は嬉しくなって、へへへと笑い返す。
「源次郎、甘やかすな」
 六郎の窘める声も、まったく気にならなかった。

 上田城に戻る途中、佐助は見慣れない風体の男に気がついた。
 上田の庄の里人ではない。行商の民かとも思えたが、いやに荷物が重そうで、男の目つきが険しく、油断のならない厭な感じがした。
 佐助は気配を消し、近くの民家の屋根に飛び上がって身を伏せた。
 男はまだ佐助に気づいていない。
 見つからない距離をとりながら、佐助は民家から木へ、木から民家へと身を潜ませて、男を追跡した。
 男はそのまま街道を越し、村から峠へと消えていった。
 しかし、佐助は男が峠の入り口で、峠の方向塚に何かを埋めるのを見た。
 一目がなくなるのを待ち、それを掘り出す。中を確かめることもせず、佐助はそれを懐に入れ、やってきた道を疾風の如く戻っていった。

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2009年09月06日

第三章−3−

 上田城に戻ったはずの佐助が突然目の前に現われて、源次郎は飛び上がるほどに驚いてしまった。多分、塀か木の枝から源次郎めがけて跳躍したのだろうが、慣れていない源次郎には降って沸いたように感じたのだ。
 ちょうど槍の稽古をしていたときで、思わず槍を突き出しそうになってしまい、佐助だと認めて慌てて引いた。
「さ、佐助!」
 六郎と小介も驚いて、ぽかんと佐助を見ていた。
 さすがに宗太郎も驚きを隠せず、源次郎の前に膝をついた姿勢の佐助を見下ろすしか出来なかった。
「城に戻れと言っただろう」
 源次郎がきつい口調で言うと、佐助は懐からそれを取り出して、見てくれといわんばかりに差し出してきた。
「何だ、それは」
 小さく丸められたものは、子どもの拳の半分ほどの大きさで、石のように見えたが、じっくり眺めると石ではないことがわかる。
「変な男、峠の石塚、埋めてました」
 佐助の説明は簡潔で、それより多くのことを知りたければ、こちらから尋問しないといけない。
「変な男? そいつはどこへ行った?」
 宗太郎も近づいてきて、源次郎の手の中身を覗き込んだ。
「峠から、西のほう」
「三河へ抜けたか」
 宗太郎が考え込む。
「これはなんでしょう? 石じゃないですよね?」
「うーん、埋めたからには、つなぎの意味があるんだろうなぁ」
 次に通る仲間に何かを報せるための手段とも思えるが、形は丸いだけで、これといった特徴はない。
「水」
 佐助の単語に、源次郎と宗太郎が顔を見合わせた。
「水に入れてみるのか? ふやけて何かの形になるとか?」
 麩菓子のように形が変わるのだろうかと、宗太郎がぎゅっぎゅっと握るが、固さに変化は見られない。
「伊賀流、秘伝。でも、水に入れる、毒が出る」
 佐助の説明に緊張が走った。
 水に入れれば形が変化し、何らかの伝達方が解明できるが、迂闊に水に入れると毒が出るという仕掛けがある。
「とにかく、水に入れてみよう」
 宗太郎は鷺宮を呼び、鷺宮は難しい顔を隠さず、それを水にいれてみる事を了承した。
 神社の端で風上を選び、毒が空気に溶けても、水に溶けてもいいようにした。周りに集まった鷺宮、宗太郎、源次郎、佐助は手拭いで鼻と口を覆う。
 桶に張った水の中に、その塊をちゃぷんと放り込む。
 それは水を吸いながら、ぷくぷくと空気の泡を出す。その泡に毒が含まれているようで、宗太郎は団扇で扇ぎながら空気を押しやった。
 泡を吐き出し終えると、それはゆるゆると溶けていき、やがて一枚の紙切れになった。
 火箸でその紙を取り出してみるが、中には何も書かれていない。
「水に滲んでしまっただろうか」
 意味のないものだった。もしかして、わざと水に入れさせて、毒を吸わせて暗殺するつもりだったのだろうかと、色々と考えてみたが、答えはわからないといったところだ。
「佐助、他に知っていることはないか?」
 源次郎が問うと、佐助は首を傾げてから答えた。
「炭、炭の粉、こすり付ける」
「この紙にか?」
 宗太郎が火箸に挟んだままの紙を揺らせると、佐助がそうだと頷いた。
 紙を乾かしながら戻り、炭を削って粉を用意する。それを紙にこすり付けると、文字が浮かび上がってきた。
「三重の用心をしている。よほど重要なものなのだろうか」
 形を変え、毒を塗り、文字さえ隠す。その用心深さを施した紙には、日付が書かれているだけだった。
 −水無月 弐日−
「一月後か。何があるんだ?」
 まったくわからないと言ったように宗太郎が腕を組んで首を捻る。
「佐助、すぐに父上にこれを届けてくれ。そして、街道の石塚全てを調べて欲しいと伝えて欲しい。水や毒、炭のこともちゃんと伝えて。急いで」
 佐助は宗太郎から紙を受け取ると、丁寧にたたんで懐に入れ、消えるが如く姿を消した。
「どうしたんだ、源次郎」
「わかりません。……でも、とても厭な予感がするんです」
 怖ろしいものが近づいているような気がして鳥肌が立った。

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2009年09月07日

第三章−4−

 佐助が持ち帰った密書は、上田城を大騒ぎさせるには十分な代物だった。
 昌幸はすぐに忍び衆を使い、塚という塚、ほかにも目印に仕えそうな建物や樹木を調べさせた。
 人海戦術は功を奏し、他に五枚の密書を発見した。
 昌幸は五通も隠されていたことに衝撃を受け、上田の庄の警戒を厳重にした。
 それぞれの密書を、十分に気をつけて水で溶かし、開いては炭の粉をまぶして、文字を解読した。
 五通のうち一通は佐助が発見したものと同じ日付のみで、二通には「本能寺」と寺の名前が書かれてあり、他の二通には桔梗紋が描かれていた。
 昌幸は三種類の紙を厳しい目つきで睨みつける。
「殿……これは……」
 只事ではない様子に矢沢が心配そうに声をかけた。昌幸の顔つきに、声をかけるのも憚られるほどだったが、今にも怒髪天を突きそうな昌幸を落ち着かせるのも重臣の役目であると、勇気を出して進み出た。
「この桔梗紋は明智家のものだろう……。本能寺は、……織田信長公が先月より四国攻めの陣所にされておると聞く……。この……日付は……」
 昌幸はぎゅっと目を閉じる。
「いや、……そうではないんだ。何かが起こるとして……、それが何故、この上田に……真田の足元に……」
 昌幸はぶるぶると震えだした。
 有り得ない。そう思いたいのに、結論は一つしか思いつかない。
「……殿」
 お鎮まり下さいという忠臣の声も遠くに聞こえるようだった。
「影斎」
 昌幸は忍び頭を呼んだ。呼ばれた男は、音もなく昌幸の前に現われた。
「忍隊を三つに分けろ。一つはすぐに安土に向かい、不穏な動きがないか調べて来い。しかし真田の忍びと絶対に悟られてはならん」
「はっ」
「一つはこの上田を徹底的に調べろ。同じような密書、仕掛けが残されていないかだ。何一つあってはならん。真田の庄が丸裸になるほどに調べろ。残る一つは上田の警護だ。余所者は入ってから出るまで、不審な動き一つさせないように見張れ」
「御意」
 低く応えがあったかと思うと、影斎はすぐに消えた。あとは昌幸の望むままに忍びたちをまとめてくれるのは間違いない。
「矢沢、関所の取り調べを厳しくしろ。特に……西から入ってくる者たちには荷物の中まで調べるくらい念入りにするんだ」
「わかりました。しかし、荷物に隠しているとも思えませんが」
「もちろんだ。だが、警戒を見せることで、抑制にはなるかもしれん。佐助!」
 矢沢が頭を下げて是を返したところで、昌幸は少年忍びを呼んだ。
 佐助は庭にいたらしく、踏み石のところへ姿を現した。
「源次郎の所に戻れ。いいか、源次郎を守れ。神社に不審な者が現われたときは、源次郎を決して見られぬようにするんだ」
 佐助は頷いたかと思うと、その場で跳躍した。
 それ以外の任務だったならば受けていなかっただろうというような早業に、昌幸は少々呆れながらも、源次郎の心配はせずに済むと胸のつかえを下ろす。
 家臣たちは、この密書が何を示すのか知りたいだろうが、どれほど信用できる家臣たちであっても、今、この予測を話すことはできなかった。
 これには恐ろしいほどの陰謀があり、その陰謀の罪を昌幸にも担がせよう……いや、昌幸が影でそれを起こさせたと思わせるように、これが仕込まれていたとしか思えないのだ。
 密書を握りつぶした。残しておくわけにはいかない。側仕えを呼んで、火鉢を用意させる。
 毒は消えただろうが、念のため、庭でそれを火鉢の中に投じた。
 すべて綺麗に燃え尽きるのを見届けて、昌幸はこれを仕掛けただろう心当たりの人物の、常に上田を狙って目を光らせている悪辣な貌を思い浮かべて拳を握り締める。
「狸め……」
 絶対に思い通りにはさせない。
 西の方角を見つめて、唾を吐いた。

 また戻ってきた佐助を見て、源次郎はどうしたとわけを聞いた。
「殿様の、命令。源次郎様、側で、守る」
「あの紙のことで、何かわかったのか?」
 何かわかったからこそ、こうして佐助が自分の元に戻ったのだろうと思えたのだが、佐助の説明では、ここに戻れと言われた事しかわからない。
「他にも紙は出てきたか?」
 それにははいと答える。
「何と書いてあった?」
「本能寺、桔梗紋」
 忍びの耳は遠くの音もよく拾う。特に人の話し声を漏らさずに聞くように訓練されている。だから本陣の守備を任されている忍びたちは、かなり遠くまで敵の忍者に入られないように、警戒を強くする必要がある。
 日付、寺、家紋。
 その符号に源次郎も必死で考え込むが、答えは出てこない。
「何かが起こるのだろうか。でも、とても厭な気がするんだ。……父上はきっと手を打ってくださるだろうけれど」
 自分も何か役に立ちたい。
 強く願うのに、この密書すら紐解けないようでは、役に立つどころではないのかもしれないと落ち込む。
「この地方に埋められたことに何か意味があるのかな。だとしたら、父上に……真田家に何か徒をなそうとしているような感じがする……」
 この時、源次郎にある一人の大名と面識があったならば、何が起ころうとしているのかを予測することが出来たかもしれない。けれど源次郎はこのときにまだ七歳。どれほど知恵深くとも、絡み合う人の欲望までを知り得ることはできなかった。

posted by 高野尾 凌 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 第三章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

第三章−5−

 しとしとと細い雨が降る。
 春の雨は荒れはしないがいつまでも続き、人々の心を沈ませる。
 埋められた密書については、あれ以上のことは何もわからなかった。
 ただ、六月二日に本能寺で何かがあるだろうということは推察できたが、まさか本人たちに問うことが出来るわけもない。
「織田殿は、臣下に対してかなり極端な態度を取られると言われていますからね」
 可愛がる家来と、見せしめにする家来とを、時と場合によって上手く使い分けるという。
 自分が今、どちらの分類に入れられるのか、武将達は戦々恐々とし、ご機嫌を取ることに精神をすり減らすという。
 今可愛がられていても、翌日には不興を買うとも知れず、その原因も信長の気分次第とあっては、対処のしようもない。上手く取り入ることの出来ない者の中には、他人の悪口を吹き込むことによって、自分の処遇を良くするように取り入るという。
 昌幸も織田勢に入ってはいるが、関東への足がかりという捨石に過ぎない目で見られているからか、その権力争いに巻き込まれずに済んでいるようなものだった。
 しかし、中央の大騒ぎを、一歩引いた位置から、世の流れを見据えているものがいる。自分からは手を出さない。騒ぎの隙に零れ落ちてくるのを、上手く掬っているのだ。
「油断ならん」
 まったく油断ならない。
 零れ落ちないならば、零れる様に企むつもりか。
 本能寺にいる織田信長を暗殺する。実行役は明智光秀で、裏で手を引いているのが真田昌幸。いや、逆かもしれない。真田が手を出し、明智がそうさせた。
 どちらにしても、手を出したくてうずうずしていた上田を攻撃する口実が手に入る。
 しかし、それが上手くいくとはとても思えなかった。
 確かに今は羽柴秀吉が中国毛利を攻めに行っており、手薄なのは間違いがないだろう。けれど、明智光秀とて、四国の長宗我部との講和対策に忙しいと聞く。
 本能寺に本陣を置いている限り、守備は簡単には突破できないはずだ。
 いくら徳川お抱えの忍といえども、織田信長の暗殺は不可能に思えた。
「不可能でもいいんだろうな。その罪を真田にきせることが出来たなら」
 そうはさせるかと、昌幸は打てる限りの手は打った。
 真田の庄はぴりぴりとしている。だが、村人達は自分の土地は自分で守るという自覚が高い。ただの農民達ではない。いざとなれば、全員が足軽となって戦える者たちばかりだ。
 皆が昌幸を慕い、上田のためにと誓いを立ててくれている者たちなのだ。
 家臣たちがぴりぴりとし始めると、村人達も団結し、余所者に目を配り始めた。
 雨が続いて田植えの準備の時期になっても、誰もが上田を守ることに一生懸命だった。
 何があってもあの狸の陰謀だけは阻止してやる。
 そう思っていた昌幸の元に、予想を上回る驚愕の報告が届いた。
「本能寺にて明智光秀殿の謀反! 織田信長殿、本能寺にて自刃なさいました!」
「なっ……!」
 京都に潜入させていた忍が第一報をもたらしたのは、六月三日のことだった。
 耳にした報告が信じられず、腰を浮かせたまま口が震えてしまう。
「殿……、これはっ」
 一緒に本丸にいた武将達も、真っ青になって昌幸を見るしか出来ない。
「すぐに……すぐに街道を封鎖しろ。何人たりとも通すな。怪しいやつは捕まえて牢に入れろ。逃げる奴は切り捨ててもいい。いいな、誰も通すな!」
 ばたばたと幾人かが駆けて行く。
「どうなるか……わからん。織田家の頼みは羽柴殿だろうが、彼は今は中国。戻るまでには明智殿が覇権を握るかもしれんが、そうはいかぬだろう。これは……どうなるか、わからん」
 天下か一つにまとまろうとしていた。ずっと続いていた騒乱の世が、平和になろうとしていた。
 織田信長を討ったとしても、明智光秀に取り替われるだけの器はない。
「いや……、布石の布石のつもりか、狸め!」
 明智を動かし、天下を取れば横から掠め取るつもり。明智がしくじれば、濡れ衣を昌幸に着せて、関東を手中に収める算段。
「何故こんな手に乗ってしまったんだ」
 それほどに信長の恐怖は強かったのか……。
 付き合いは薄いが、生真面目で、臣下に優しく、戦死した家来の家族にまで手紙を書いたという、線の細い武将の顔を思い出した。
 翌日、その翌日と、次々と知らせは届いた。
「明智殿は今どうしておられる」
「山崎に陣を移されました。味方になるようにと書を出しておられますが、どなたも様子見の気配が強いようです」
 何故、事前に手を回しておかなかったのか。皆も同じ気持ちだと、さぞ物知り顔でささやいた狸がおったのか。
「羽柴殿は」
「京都に向かっておられるようです。信長公ご子息、配下武将と連絡を取っておられるご様子」
「……決まったな」
 次の知らせは、明智光秀の敗戦だろう。
 もう助けようもない。助けることはすなわち、真田の滅亡にも繋がる。
 しかし、これで真田はまだしばらく、直接的には徳川の攻撃を受けずに済むだろう。
 濡れ衣を着ずに済むのだ。
 だがしかし……。昌幸は腹立ちを隠せぬように拳で床を叩いた。
 あまりに卑怯な。あまりに愚劣な。
 これで徳川はまた動かぬだろう。……じっと、また、次の機会を待つのだろう。
 あと十年。あと十年……。そうすれば源次郎が側にいてくれる。
 父上と呼んでくれるあどけない笑顔を思い出し、なんとしてもこらえてみせると昌幸は誓った。

posted by 高野尾 凌 at 21:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 第三章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

第三章−6−

「本能寺で謀反……?」
 源次郎がその話を聞いたのは、六月も半ばになってからだった。
 大和から神社の使いがやってきて、織田信長が自刃し、謀反を起こした明智光秀が山崎で羽柴秀吉に討ち取られたことを教えてくれた。
「これからまた戦が続きますかなぁ」
 実はここに来るのも大変だったと言う。どこも人の出入りにはたいそう厳しくなっているという。不審な動きがあれば、捕まるか、切り捨てられることもあるらしい。
「父上はどうされるのでしょう」
 織田家に従うことでこの信濃を安堵されていた。織田信長には息子が何人かいるが、跡目をどうするのか決まっていたようには聞かない。順当に今は一番年長の三男である信孝が考えられるが、世間一般の見方では、信長に比べれば凡庸で、一国を背負っていけるとは思えないという噂だ。
 家臣たちがしっかりしていれば、信孝を支えて、この窮地を乗り越えられるだろうが、その一番の家臣である羽柴秀吉は、実質的に織田軍本体よりも巨大になっているという。
 しかし、信長の遺児を葬って成り代わるとすれば、他の家臣が黙っていないだろう。かといって、自分より弱いと思われる信孝に、信長に仕えていたように我慢できるとも思えなかった。
 ここで従う相手を踏み誤れば、真田家はその激流にのまれたまま没落してしまう。
「昌幸殿の采配に間違いはないでしょう。我々は信じて待つのみです」
 鷺宮の落ち着いた口調に、それはわかっているつもりだが、不安を消すことは出来ない。
 織田、徳川、北条、上杉。強大な列国に挟まれるように存在する小さな国。小さいながら、それぞれが軍を出すならば避けては通れないのが真田の庄だ。
 その織田が滅びかけている。ありえないと思っていたことが、一夜でひっくり返る下克上の時代。
「どこにつくのが一番なのだろう。一番、領民の益になるのだろう」
 そこを間違ってはならない。
 ここを治めるのは真田で、その安堵を約束し、後ろ盾になってもらえる相手。
「本来ならば、上杉家なのでしょうが、あちらは跡目争いの最中ですしな」
 軍神亡き後、家中が二つに割れ、決着がついてもなお、本領地を守ることさえままならぬほどに内乱が続いているという。
「俺には何もお手伝いできない……」
 源次郎は悔しそうに唇を噛みしめる。
 何も出来ない。側にいることさえも。
「今は学ばれることが、お父上のお役に立つことの一歩です。焦っても年をとることは出来ないのですから」
 早く大きくなりたい。けれど、体ばかり大きくなっても意味はない。それはわかっているが、気持ちはそんな自分を許せないのだ。
「毎日一歩ずつ、確かに歩みなさい。それを昌幸殿も望まれておられましょう」
 東春日神社にやってきて二年。体はそれなりに成長した。知識も積み重ね、剣術も上達している。
 それでもまだ戻れない。
「いつになったら戻れるのでしょうか。まだ駄目なんでしょうか」
 そもそも、周りの大名達から隠すために城を出されたことを知らない源次郎は、いつになれば戻れるのかと、そればかりを気にするようになった。
 気持ちは焦り、焦りは行動に出てしまう。
 六郎や小介に対しての思いやりに落差が出てしまい、二人を戸惑わせるようになった。
 鷺宮は繰り返し話し合い、源次郎を宥めながら叱り、叱りながら慰めて、落ち着かない日を過ごしていた。
 それでも苦しげな源次郎を案じて、鷺宮は一人、上田城を訪れた。
「どうしました。珍しいですな」
 昌幸は自室に鷺宮を招き入れた。二人が会うのは、源次郎を神社に送って行って以来だ。
「一度、源次郎様を城に戻されてはいかがでしょう。一度お戻りになれば、落ち着かれると思うのですが」
 源次郎の現状を知らせながら、なんとかしてやりたいと訴えた。
「今は駄目だ」
「御館様……しかし」
「本当に今は駄目だ。真田は……徳川と手を結ぼうと考えている」
 昌幸の顔は苦渋に満ちていた。
「羽柴殿に頼るのが一番かもしれない。しかしまだ羽柴殿に徳川を抑えるだけの勢力はない。二家が拮抗している今は、徳川に背は向けられん……」
 和睦を結ぶのではない。背を向けられない相手ならば、今のところは笑顔を見せるしか手がないのである。
「徳川の手のものが出入りする。絶対に源次郎を表には出せぬ。出来ることなら、地下に牢を作ってでも閉じ込めたいくらいなんだ」
 昌幸の苦悩に、鷺宮もそれ以上は言えなくなってしまう。
「十蔵をしばらく預けよう。三年……。三年あれば、徳川を抑えられる相手も出よう。どれだけ徳川に嗤われても、誹られても、その時にはその相手に頼り、源次郎を戻してみせる。それまで、よろしく頼む」
 昌幸は床に頭をつけて頼み込んだ。
「殿っ、お止め下さい。こんな小さな神社の神主に頭を下げられるなど」
「私は今、上田城の城主ではなく、一人の父親として頼んでいるんだ。息子を預ける相手に頭を下げて、どこが悪い」
「殿……。お任せ下さい」
 鷺宮は固く誓い、十蔵を連れて神社へと戻ったのだった。

posted by 高野尾 凌 at 21:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 第三章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする