2009年08月09日

この小説について

戦国時代末期を時代背景に、ある武将の一生を書いていきます。
オリジナル小説です。
ある程度、名前の知れた武将が出てきますが、作者の空想によって、捏造、想像されておりますので、「この人はこんな人じゃない」「これは史実として間違っている」「あほらしい」などの苦情は、ここを見ないという選択肢をもって、ご遠慮下さい。

あくまでもフィクションです。
娯楽的な読み物として楽しめる方のみ、読んでいただけたら嬉しいです。

どこまで続けられるかわからないので、ブログという形をとりました。
続けられそうで、完結させられる目処がたったら、サイトを作りたいなーと思っていますが、どうにも自信がありません。

こんなところですが、ぼちぼちとお付き合いいただけたら嬉しいです。


posted by 高野尾 凌 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 説明 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第一章−1−

 信州信濃の山間に、小さいながらも堅固な城があった。
 城主は真田昌幸公。戦国乱世にあって、甲斐の武田信玄に仕えて領地を安堵されていたが、武田家は既に滅亡し、今は近隣諸国からの圧迫に耐えながら、上田の庄を護っていた。
 昌幸は戦の続く時代にあって、少ない武士と農民ながらも、険しい山に囲まれた土地と、地の利を活かした堅牢な城を利用し、侵略者からよく土地を護っていた。
 その戦う姿は幽鬼の如く敵武将には恐れられていたが、領民には優しい布政を敷き領民に慕われていた。
 御館様がいれば大丈夫。
 非常時には鍬や鋤を槍に持ち替えて、勇猛果敢に戦う農民達は、昌幸を尊敬し、慕い、共に戦う力強い味方であった。
 中には昌幸に天下をと望む部下も多かったが、昌幸自身はこの上田をこよなく愛し、天下取りに名乗りを上げて、土地を荒らすという気持ちは皆目なかった。
 それに、自分自身がその器でないことをよく知っていた。
 天下は既に織田に傾いている。
 時勢を見極める眼力は鋭く、我が領地を護るための采配も彼にはよく見えていた。

 そんな彼の悩みは一つ。
 跡取りに恵まれないことであった。
 既に娘ばかりが三人。
 昌幸自身の兄と弟は、川中島、長篠の戦で討ち死にし、真田の名前を継げる者は、もはや自分しかなく、自分に男子が生まれなければ途絶えてしまう。
 娘に婿養子を取らせるか、海野家から養子を貰うことも考えたが、どうしても息子が欲しかった。
 諦めるにはまだ若い彼であったが、安穏としていられるほど若くもなく、少しばかり焦りを感じているところだった。
 信濃の短い夏が始まったばかりの頃、彼は正室が懐胎したことを知った。
 今度こそ跡取りを。
 強い願いの元、彼は城からさらに山の中に分け入り、ずっと上田の土地を守護してきた神社に参り、男の子をと強く願った。
 参拝を続けること数ヶ月。短い夏が終わり、さらに短い秋の気配が深い頃、山を降りる昌幸の頭上で、一つの流れ星があった。
 まだ薄明るい夕暮れ、秋も深いとはいえ、星が見えるような暗さではない。
 けれどひときわ明るい星が、長い尾を引いて山から里の端へと消えていった。
 ぞっと鳥肌が立った。
「ワシは、分に似合わぬ願いを抱いたのであろうか」
 萎えそうになる足を奮い立たせ、昌幸は城に戻るなり、星見の書物を取り出した。
 夕暮れの流れ星。吉凶どちらとも取れぬ卦が見えた。
 翌日、昌幸は参拝した神社で、宮司に昨日の星のことを話した。
「殿のお子が生まれるのは冬の頃。お子様が持つ守護星は、寅の星。流れたのは申の方角。重い宿命を背負ってくることは避けられますまい。殿には申し訳ないが、その子が女子であるようにと、拙は願わずにはおれません」
 宮司の話を聞いて、昌幸は項垂れて山を降りた。
posted by 高野尾 凌 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

第一章−2−

 子どもが生まれたのは、信濃の里が深い雪に覆われた、年の暮れのことだった。
「おめでとうございます、御館様。ご世継ぎのご誕生でございます」
 報せを受けた昌幸は、その時、東の国境にいた。
 雪の間、戦はないとはいえ、警戒を怠ることは出来ない。降り積もる雪にまぎれて、間者がやってこないとは限らないのだ。
 上田の村は冬の間、耐え忍ぶしかない。この年は夏に日照りが続き、雨が少なく、蓄えに乏しかった。その蓄えが底をつけば、春に攻め込まれる危険が高い。篭城戦を得意とする上田城に、備蓄のないところを攻め入られればひとたまりもない。
 兵糧を節約し、どれだけの備えがあるのか、周囲のどこにも悟られるわけにはいかないのだ。
 国境に設けた関所で、これからの対策を話し合っていたところに、その報せが届いた。
 途端に周囲の部下たちは歓喜し、夫々に祝いの言葉を口にした。
 不安は大きかった。宮司の告げた言葉も気にかかってはいる。
 それでもなお、昌幸は身の内から沸きあがる喜びに震えた。
 祝辞に礼を言い、すぐに城に戻った。
 産屋は綺麗に清められていて、妻と赤子が静かに寝かされていた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
 妻はまだ疲れて青白い顔をしていたが、ようやく男の子を産めた安心感からか、やつれた頬を緩ませて自分の殿を見た。
「よくやった。よくぞ生んでくれた。礼を申すぞ」
 妻は涙を浮かばせてこくりと小さく頷く。
 そうして昌幸はようやく、小さな布団に寝かされた我が息子を見た。
 生まれたばかりだというのに、頭には黒髪がふわりと生えていて、閉じられたまぶたは、その瞳の大きさをうかがわせるように切れ長だ。
 鼻筋も赤ん坊なのにすっきりとしており、口元はきゅっと結ばれている。
「お抱きになりますか?」
 勧められて、昌幸は生まれたばかりの息子を抱き上げた。
 腕の中で赤ん坊はぱちりと目を開ける。予想していた通り目は大きく、深い茶色の瞳も大きかった。白目の部分が青味を帯びていて、まだよくは見えぬはずなのに、しっかりと抱き上げた昌幸を見つめているように見えた。
「そうか、お前がこの上田の主になるか」
 胸に満ちたのは喜びであり、満足であり、感動であった。
 宿命などどうにでもしてくれよう。この子なら跳ね返すのではあるまいか。
 この理知的な目を見てみろ。
「信繁。お前の名前は、信繁としよう。元服するまでは、弁丸と呼ぶように」
 昌幸の心にあったのは、亡き主君に使えていた折、主の側にあって常に兄を支え、温厚な性格で部下に慕われ、思慮深き智略で敵を翻弄し、勇猛果敢な甲斐の礎を支えていた一人の武将だった。
 その瞳の深さがよく似ている。
 ふぁっと赤子の顔が歪んだ。
 ふみゃぁ、ふみゃぁと泣き始めた。
「おぉ、凛々しい声だ。戦場でもよぉ映える声だろうな!」
 すっかり親馬鹿と化した殿を見て、妻も側仕えの者たちもくすくすと笑い出す。
「弁丸。早く大きくなれ。父は楽しみに待っていたのだぞ」
 二十年、いや、せめて十年早く生まれていてくれたなら……。
 分に似合わぬ願いを抱いた自分に、昌幸は思わずぶるっと体を震わせた。
posted by 高野尾 凌 at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月11日

第一章−3−

 子どもはすくすくと成長した。
 若と呼ばれ、皆に愛されて育ってゆく。
「弁丸様はもうお歩きになった」
「若が言葉を話された」
「弁丸様が文字を読まれたのだ」
 一挙手一投足が注目されるその中で、彼の利発さは次第に喜びから感嘆、そしてある種の驚異として見られるようになって行った。
 自分達や自分の子息達には有り得ない聡明さは、城主の総領息子だからこそ喜ばれてはいたが、どこか普通とは違うと、少しずつ畏怖の対象となってゆく。
 昌幸殿は何よりも上田の庄を愛し、民を大切にし、過ぎた望を膨らませず領地を良く守ってくれる。
 だが、部下達は何かしら父と子の違いを、感じ取っては不安を隠せずにいた。
 時は乱世。一人の男が大人になることを、とても急かされている時代。
 筆を持つならば刀を。扇子を持つよりは槍を。
 天下を獲るのは実力次第で、下克上は当たり前。親や兄弟までも排除してのし上がることも、強い国を作るために求められる時代。
 弁丸は確かに利発かもしれない。しかし、それが良き城主に結びつくとは限らない。城を荒らし、民を集め、天下に名乗りを上げるかもしれない。
 昌幸は部下達の感じる不安の差異について、わかってしまっている。
 弁丸は別に冷淡ではないし、非道でもない。
 なのに小さな、庇護されるべき幼児に畏怖を感じるというのであれば、それは器というものだろうとわかっていた。
 弁丸はこんな小さな城の主には収まりきれない大きな器を持っているのだ。
 小さいながらも意志の強い瞳で、真っ直ぐに物を見る。
 世話をしてくれる者たちを分け隔てすることなく、感謝の気持ちを忘れない。
 子どもらしからぬ態度は、本来であれば立派であると褒められるべきところであるのに、普通の子どもと違うというだけで、奇異な目で見られてしまう。
「ちちうえ?」
 まだ他の子ならば回らぬ舌で甘えた言葉を話すというのに、弁丸はきちんと発音しようと努力する。
 父親が皆に尊敬され、跪かれる身であるから、自分が侮られてはいけない、父に恥をかかせてはならないという決意があるのだ。
「弁丸は泳ぎに行かぬのか?」
 城内には弁丸と同じ年頃の子供達が集められ、同じように遊び、そして勉強をしている。
 子供達はこの暑さに辟易してか、城の側を流れる小川に泳ぎに行くと、揃って出て行ったのだ。
「いまおよぎにゆけば、ごごのべんきょうのじかんにねむくなってしまいます。およぐならひるげのまえにしたほうがよいともうしたのですが」
 時間の調整など、子供達の頭にはないだろう。今暑いから泳ぐ。午後に机に向かえず、舟をこいだとしても、多少怒られて済むといった認識なのだろう。
「しかし暑いだろう」
 信濃の里とは言えども、真夏は暑い。四方を山に囲まれた上田のような盆地は、吹き抜ける広い範囲の風もなく、暑気をやり過ごすには行水が一番なのだ。
「あつさもさむさも、きもちひとつです」
 額に汗を滲ませながら、師に教わったであろう台詞を口にする。
 こんなところが子どもらしからぬといわれる所以だろう。
 戦場ではその我慢は何よりも大切だが、今は城の中。不穏な気配も幸いにない。
「では、城主の権限で、午後の勉学は取り止めることとしよう。兵士の鍛錬も休みだ。本日は水泳訓練とそのあとは午睡をとることを命令する」
 弁丸はきょとんと父を見て、その意味がわかると顔に満面の笑みを浮かべた。
「ほんとうですか?」
「どれ、わしも弁丸と一緒に泳ごうぞ。泳ぎを教えてやろう」
「べんまるはもうおよげます」
「そうか! ならば競争だ」
 父子の和やかな話題に、周囲のいかつい武士達の頬も緩む。
 確かに年に似合わぬ大人びた態度ではあるが、子ども特有の我が儘さを我慢しているだけだ。
 先に汲んでやれば、このように愛らしい笑顔を見せてくれる。
 抱き上げてやると、ぎゅっと首に細い腕を回して抱きついてくる。
 体温の高い子どもを抱いて、益々暑くはなったが、この愛しい存在を離す気持ちにはなれなかった。
posted by 高野尾 凌 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月12日

第一章−4−

 弁丸は五歳になり、二人の小姓をつけられた。
 一人は海野六郎という弁丸より三歳年上の少年で、真田家の本家筋に当たる家の息子であった。ただ、六郎の家は海野家でも分家の中でもかなり外れにあり、父や兄達共々に昌幸に仕えている。
 海野の息子達の中でも聡明で、勇敢な少年として名を知られつつあった。
 もう一人は穴山小介という少年で、弁丸より一つ年下になる。小介の父親は昌幸直属の隊を率いる大将であったが、戦で片足を失くし、書庫の整理などをしている。父親譲りの負けん気の強さだが、所作や勉学に疎く、一緒に学ぶ相手として相応しいと選ばれた。
 二人は幾分緊張しながら弁丸の前で挨拶をした。
「海野繁行が末子、六郎にございます。弁丸様の小姓としてお仕えさせて頂きます」
「穴山唐雪が……えっと…」
 六郎と同じように挨拶をしようとするものの、続きがわからなくなり、子介はちらりと隣を見る。
「君は長男なのだから、一子だよ」
 六郎が囁き声で教える。
「一子? 小介です。よろしくお願いします」
 ちょこんと頭を下げる。
 その様子は愛らしくて、昌幸はうんうんと頷いた。
「これが弁丸だ。小姓とはいえ、子供同士だ。身分なく、友達として仲良くしてやってくれ」
 鷹揚な昌幸は笑うが、親達にとってはそんなわけにはいかない。
 小姓は小さな頃から衣食を共にし、勉学や思想を学び、比類なき忠実さを養ってゆくものだ。戦場にあっては、主の盾になることも厭わぬように育っていくといわれる。
 その分、他の武士たちよりも身分も高く、将来的には約束されているようなものだ。
「弁丸ももう幼き子どもではなく、父の片腕となるべく学んでいくのだ。名前もこれよりは源次郎と改めるがよい」
「はい、ありがとうございます」
 源次郎は父が少年の頃に名乗っていた名前である。その名前を戴ける事となり、とても嬉しくなった。
「六郎、小介、これからよろしく頼む」
 にっこり笑った源次郎の頬には小さなえくぼが出来る。
 少し尖り気味のおとがい、細めだが凛々しい眉、涼やかな瞳。後ろで一つに結ばれた髪は、頭を下げるとさらりと肩に流れ、艶やかに黒く光っている。
 最初の印象は優しそうでおとなしい若君。
 けれど二人がその印象を変えるのに、それほど時間はかからなかった。

 わーわーと騒ぐ声は城の奥、子供達が学んでいる部屋から聞こえてきた。
 どすん、ばたんと響く音は、なにやら喧嘩でもしているようだ。
「源次郎様、頑張れ!」
 小介の声援に、六郎がむっとする。
「小介、何故源次郎の味方をするんだ」
「だって、六郎のほうが体が大きいじゃんか」
 取っ組みの最中に余所見をするものではない。形勢は有利だったが、体の小ささを利用して、源次郎が六郎の脛を両手で抱え上げた。
「うわぁ!」
 どさっと仰向けに倒された六郎は、すぐに起き上がろうとする。
「こらっ! 何をしておる!」
 騒ぎを聞きつけて、大人たちが駆けつけてきた。
「六郎! 若様に何をしたんだ!」
 見れば源次郎の髪は乱れ、着物も肩が破れている。ぐいっと拳で頬を拭いた後に、血が滲んでいるのを見た大人たちは大慌てだ。
 何が原因であっても、若君を傷つけたことには違いなく、六郎ははっとしてその場に正座した。

 二人は昌幸の前に連れて行かれ、昌幸は二人の様子を見てにやりと笑った。
「何が原因じゃ」
 格下の六郎から申し開きをすることは許されない。だからじっとこらえるしかなかった。
「源次郎、どうして喧嘩になった」
 昌幸は息子に問うた。
「俺から言えば、六郎は異を唱えられません。ですから、六郎からお聞き下さい」
 その言葉を聞いて、六郎は驚いて源次郎を見た。
 自分の都合の良い様に言って、六郎を罰することも出来るのだ。それなのに、まずは六郎に話させようとする。
 けれど喧嘩の原因となったことを思い出し、腹立ちを隠せなくなった。
「六郎、どうした? 遠慮せず、申してみよ」
 六郎の表情を見て、昌幸は面白そうに促してみた。
「源次郎様は俺を嵌めようとしている」
「そんなことはせん!」
「するさ! そもそも、汚い勝負をしていたのは源次郎だろう」
「汚くなどない。勝つために自分に条件をつけただけだ」
「俺に言わずに、条件をつけるのが汚いというんだ」
「言えば六郎が怒るだろう」
「言われないほうが怒るに決まってる!」
 殿の御前であるということも忘れて、にわかに喧嘩を再開し始めた二人に、昌幸はこら!と大きな声で止めた。
「何の勝負をしておった」
「碁です」
「源次郎は自分にどのような条件をつけたのだ?」
「…………」
 言い澱む源次郎に、昌幸は六郎に目を向けた。
「多分ですが……、何手以内で俺に勝つ……みたいな」
「何手? 源次郎のほうが強いのか?」
 源次郎は五歳、六郎は八歳である。まともな勝負すら難しいのではないだろうか。
「源次郎のほうが強いです。でも、俺は置石をするのは嫌だったんです。なんとか互角にしようとしていたのに……」
「何手以内で勝とうとしていた?」
 父親に聞かれ、源次郎は六郎を見ては、唇を引き結ぶ。
「そのときによって違うんです。長引かせて勝とうとしたり、とても早く勝とうとしたり。きっと、色々な勝ち方をしようとしているんです」
 言わない源次郎に代わって、六郎が思っていたことを吐き出した。
「最初から宣言されていたのならまだいいんです。黙ったままで、長引く試合に、俺が苛立つのを見て笑っていたんだ」
「笑ったりするつもりはない」
「やっぱり勝ち条件をつけていたんじゃないか」
 源次郎の反論に、六郎はぷいっとそっぽを向いた。
「源次郎、何故、その様なことをした」
 確かに、源次郎のしたことは、卑怯といえば卑怯であった。
「俺は……六郎をからかうつもりはありませんでした。本当です。ですが、相手の実力を利用して、自分の力をどれくらい上下させられるのか、それがやってみたくて。六郎なら……ばれても許してくれるかなって……」
 膝の上でぎゅっと拳を握る。
「六郎は許してくれなかったぞ。それなのに、喧嘩をして向かっていったのか。謝りもせず?」
 昌幸の目は冷たく源次郎の上に注がれていた。
 源次郎が叱られ始めたことで、今度は六郎が慌て始めた。
「源次郎は謝ってくれました。でも、俺は頭がかっとしていて、それを聞いても許せなくて、それで飛び掛っていったんです」
「それは源次郎の謝罪の仕方が悪かったのだな。ちゃんと謝れるか?源次郎よ」
「すまなかった。許して欲しい」
 源次郎は六郎に向き直って、深く頭を下げた。
「源次郎、わしの前で謝ったら、六郎は許さざるをえん。ちゃんと二人で話し合いをするんだ。わかったな」
「はい」
 しおしおと出て行く二人を見て、昌幸は憂鬱そうに眉を寄せた。
 三つも年上の相手に碁で勝つばかりではなく、戦略まで立てる息子に、賢いと喜ぶべきなのか、子どもらしくないと嘆くべきなのか、わからなくなってしまった。
「ちょっと出かけてくる」
 昌幸は意を決して立ち上がり、共も連れずに出かけていった。
posted by 高野尾 凌 at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月13日

第一章−5−

 六郎と一緒に部屋を出た源次郎は、自分の部屋には戻らず庭に下りた。六郎がついてくるのを確かめて、庭の真ん中に立った。
「ごめん……。六郎をからかうつもりはなかったんだ。本当に」
 普通に碁を打てば勝てる。だからつまらなくなった。
 最初はなるべく早く勝てるようにと思ったが、むしろ遅らせて勝つことも面白いのではないかと思ったのだ。打つ前に何手で勝つかを自分で決めて、六郎の打つ手を読んで、戦局を長引かせるのは妙に面白かったのだ。
 六郎も大局の度に強くなっていたり、打ち直しを許したりしていると、予想した局面が変わってくるのも楽しかった。
 ただ、六郎がそれに気付くとは思わなかったところが、子どもゆえの浅知恵だったのだろうか。
「素直に置石で俺を優勢に立たせようとは思わなかったのかよ」
 最初に源次郎が友達として、兄として接して欲しいと望み、自身がその様に振舞ったので、六郎も源次郎に対して主という言葉遣いはしなくなっていた。周囲の大人には時に咎められることもあったので、そんな時には気をつけるようにはしていたが、先ほど昌幸の前ではすっかり忘れて、思い切り罵り合っていたような気がする。昌幸も源次郎同様に、言葉遣いに対しては気にも止めていないようではあったが。
「そういう互角の勝負ではなくて、相手の出方を見ながら、自分の力を調節してみたかっただけなんだ」
 源次郎が真っ直ぐに六郎を見つめる。心底から悪いと思っていることは明らかだった。
 寝食さえ共にし始めて数ヶ月。源次郎の性格はわかっているつもりだった。城主の息子という立場にあって、決してそれをひけらかすことなく、父親の部下や、自分の世話をする者達にも節度を失わない。
 驕ることもなく、感謝の気持ちも忘れない。何に対しても公平なのだ。
 今回も、勇み足が過ぎただけで、悪い点を指摘されれば、素直に謝ってくれる。
「自分が小介に同じようにされたら、どんな気持ちになるか、考えてみたことあるか?」
 だとすれば、六郎の立場から口に出来ることがあるとすれば、源次郎に文句を言うだけでは駄目だと悟った。小姓とはいえ、将来はこの上田城を支える城主に諫言できる者とならなければいけないのだ。たとえ自分の命を賭けてでも。
 源次郎ははっとして六郎を見て、そして後悔に顔を歪めた。
「本当にすまなかった。六郎の気の済むようにしてくれ」
 頭を下げた源次郎に、六郎は嬉しい気持ちになった。
 自分の立場を知ることが出来た。主はそれに応えてくれる気性の持ち主だった。
 源次郎の後頭部にごつんと拳を押し付ける。
「今度からは宣言してから勝負しろ。俺は源次郎の思い通りにならないよう頑張る」
 それが謝罪を受け入れた言葉だとわかり、頭を押さえながら、源次郎は顔を上げる。そしてにっと笑う。
「ありがとう、六郎」
 胸が暖かくなる綺麗な笑顔だった。
 きっとついていける。ずっとついていける。
 六郎が決心した瞬間だった。
posted by 高野尾 凌 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

第一章−6−

 一人で出かけた昌幸は一組の親子と一緒に戻ってきた。
「これが息子の源次郎だ」
 二人に紹介された源次郎は、作法通りの挨拶をした。
「真田昌幸が一子、真田源次郎信繁にございます。以後、よろしくお見知りおき下さい」
「なるほど、五歳とお聞きしていたが、しっかりしたお子さんだ」
 父親のほうは何度も頷いて、自己紹介をした。
「某は筧茂治と申します。武田家に仕えていた頃は、昌幸殿に大変世話になりました。これは倅の十蔵です。源次郎殿より十歳年上になります」
「筧十蔵です。よろしく」
 ひょろりと背の高い十蔵は元服したばかりのようで、結い上げた髪も凛々しく、無口な様子が清々しく映る。
「源次郎、これから筧殿には兵法と兵術を教わることになる。特に十蔵殿は鉄砲の腕前が群を抜いているという話だ。しっかり精進せよ」
「はい。よろしくお願いいたします」
 城の中では、まだ兵法など早いのではないかと危惧する声もあったが、六郎との碁の喧嘩の話を聞いて、昌幸は源次郎が無意識のうちにもそれを早く学びたいと思っていると感じ、旧臣の誼を辿って、筧茂治を頼った。
 わけを話すと、ならば息子も一緒に城に向かうと請け負ってもらい、ありがたく招へいした。
「そうか、信繁様のお名前を……。確かに利明な目元がよく似ていらっしゃる」
 感慨深げに茂治が源次郎の顔を見つめる。
「あの方の聡明さと、昌幸殿の勇敢さを兼ね備えれば、さぞや立派な城主となられるだろう」
 そっと源次郎の頭に手を置く。
「まだどれだけの器かわからぬが、年に似合わぬ利発さを出すことがある。どうしても期待してしまうのだ」
 親馬鹿過ぎぬ様にと昌幸は言葉を選んで話すが、茂治も並々ならぬ光を源次郎に感じた。
 勉学や兵法、剣術や兵術は、教えればそれなりに身に付くだろう。一国の城主の心構えも、知識として知ることはできるが、それを実践するとなると難しい。
 学んだだけで出来るのであれば、この戦乱の世はなかっただろう。台頭した強大な武将達も、後継に恵まれない場合が多く、結局は侵略しながらも、侵略または分割されて小さくなっていく。
 織田信長だとて、彼の後を考えれば安穏とはしていられない。世のすう勢は、信長後を見据えているものもいる。
 昌幸たちが知る中で、後継を間違いなく育て、領地を拡大して成功しているのは中国地方の毛利家だけだ。優秀な三人の息子に恵まれ、それぞれが仲良く助け合い、父親を尊敬しながら確固とした地盤を築いている。
 いくら賢くても人はついてこない。人の器や、視野の広さは、学んで身につくものではないのだ。
 筧茂治は、目の前の小さな身体の子どもの中から、立ち上るような覇気を感じた。
 その覇気はまだ体に似合って小さい。
 しかし、それが嫌なものではなく、付き従おうと思わせる清らかさがあった。
 源次郎は茂治を見て、そして十蔵を見た。静かな目で見返されて、源次郎はにこっと笑う。
 無口で愛想のないと評判の十蔵は、自分が周りにどのように思われているのかを知っていた。特に年下の子どもには怖がられたり、避けられたりと、相性は良くないほうだった。
 それが、目の前の子どもは臆することなく、人懐こい笑顔を向けてくる。
「鉄砲はとても興味があります。ぜひご指導お願いします」
 ぴょこりと下げる頭と笑顔を、十蔵は生来の無口さのまま、黙って見つめ返すだけだった。
posted by 高野尾 凌 at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

第一章−7−

 筧茂治は正直なところ、五歳の子どもに兵法を教えてやってくれと頼まれたときは、智将と謳われた真田昌幸も所詮は親馬鹿だったのかと、呆れが半分あったことは否めなかった。
 はじめて会った息子は、確かに利発そうに見えた。信繁の名前をつけたがった気持ちもわからないではなかった。
 年のわりにしっかりした挨拶をしたし、子どもから感じる覇気には並々ならぬものも感じた。
 しかし、それでもたかが五歳という気持ちがあった。
 源次郎の小姓だという二人と、三人で並んで座らせて、まずはと初歩の初歩である書物を開いた。
「これはもう読みました」
 源次郎の言葉に、茂治はまさかと真ん中に座る彼を見た。
「読むのと、理解するのでは違いますよ」
 源次郎は書物を好み、色んなものを読んでいるとは聞いていたが、読むことと理解、そして実戦では、夫々に大きな隔たりがある。
「理解はしているつもりです。六郎と小介にも教えました」
 源次郎の両隣に座る二人は、知っているとばかりに頷いた。
「俺は、この本に書いてあることは時代遅れだと思います。それよりも、こっちのほうを教えて頂きたいです」
 源次郎は部屋の書棚に積まれている書物の中から、まだ新しい綴りの本を選んできた。
「これは何度も読み返したのですが、難しくてわからないところがいくつもあります」
 源次郎が差し出したのは、明から伝わってきたという、兵法書だった。まだ日本語に翻訳されてはおらず、源次郎は苦労しながら白文を読んでいたらしい。
「これはまだ若には早いでしょう」
「遅くもないと思います」
 窘めるつもりがすぐに返事が返ってくる。
「しかし……」
「一時でも早く、父上のお役に立ちたいのです。上田の庄は土地の利はあるけれど、小さく、貧しいのが現状です。父上がいくら税を軽くしても、いざ戦が長引けば飢えてしまう民も多い。なのに周囲はこの地を欲しがる武将に囲まれています。先手必勝、戦を長引かせず、民を飢えさせないために、父上のお役に立ちたい」
 真田幸隆、昌幸父子は、この地を安寧に守るために、甲斐の武田家に仕えた。武田信玄は真田親子を得るために、この地の安堵を約束し、無碍にすることはなかった。
 しかし武田家が滅び、織田家に恭順の意志を見せてはいるものの、徳川、北条に睨まれている今、織田側もどちらかを黙らせるために、上田を差し出すかもしれない。
 そう考えれば、真田家は今、とても微妙な立場に立たされており、裏を返せば四面楚歌といっても間違いではない状況なのである。
 誰も直接手を打って出てこないのは、城主が真田昌幸だからだ。生かな戦略では、昌幸相手に例え大軍で向かっても勝てはしないことをわかっているからである。
 そんな父の役に立ちたいと、小さな手と体で願っている子ども。
 昌幸は源次郎が10年早く生まれていてくればと自嘲気味に笑っていたが、茂治は20年早くと思わずにはいれなかった。20年早く生まれていてくれれば、昌幸と共に傾きかけた武田家を支えきり、あの甲斐の虎と呼ばれた英傑を京へと導いてくれたのではないだろうか。
 盟友ともいうべき昌幸を親馬鹿呼ばわりしたことなど忘れて、茂治は目の前の子どもを年相応の扱いなどすることを一切やめようと誓った。
「それでは、わかる範囲で構いません。つっかえたところは拙がお助けしましょう。声に出して読んでください」
「はい」
 源次郎は姿勢を正し、大きな声で読み始めた。二人の小姓も慌ててそれに続こうとする。
 突然態度を変えた父親を、部屋の隅、三人の後ろから眺めながら、十蔵は父がこの城に腰を据えるつもりになったのだと悟っていた。
 そして自分も、難しい書物を教えられながら読み解いていく、十歳も年下の、小さな体を見た。
『お前が仕えるべきかどうかは自分で決めろ。わしがここに残るからといって、お前までここに仕える必要はない。お前ほどの腕があれば、織田でも徳川でも望むままに取り立ててもらえるだろう。父の友だからと義理に縛られなくともよい』
 父が昌幸に仕えるつもりなのなら、自分はここを出ようと決めていた。確かに、ここはあまりにも狭い。国として成り立つものはないとさえ思えた。
 しかし、父は友人よりもこの小さな武将に仕えようとしているのではないか。
 それほどの人物となるのか、それともただの錯覚に過ぎないのか。疑惑と共に大きな興味を覚えた。
posted by 高野尾 凌 at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

第一章−8−

 源次郎は六郎と小介を連れて、よく城下へ出かける。今は危険な情勢ではないが、それでも城主の息子がふらふらと出ていて、笑って済ませることなど出来ない。
 今までは護衛が二人ほどついていたようだが、十蔵はその役目を買って出た。
「どういう風の吹き回しだ」
 父の茂治は笑っていたが、昌幸の方はむしろ十蔵を値踏みするような目で見ていた。
 自分は無口なほうで、子どもに好かれる人柄ではないと、十蔵自身にもわかっている。けれど護衛など、特に愛想良くする必要などないことだと、ある意味気軽に考えていた。もちろん、源次郎という子どもをよく観察する目的もあった。
 源次郎は二人の面倒を非常によく見ていた。
 小介はまだ幼くて、何事も主の手を借りないとこなすことが出来ない。六郎は源次郎より年上で体格も大きいが、それでもまだ子どもで、三人でいると源次郎が主導して、二人が困らないようにと気を配っていることがわかる。
 小介などは源次郎に甘えっぱなしで、時々六郎に叱られている。主の世話をするのが自分の役目と六郎は張り切っているが、源次郎はあまり人に頼ることをしない。
「小介が甘えるのは仕方ない。親と離されているのだから、仕方ないだろう。六郎や俺を兄のように思ってくれているのだから、甘えさせてやりたい」
 その言葉に小介も遠慮しない。
 しかし、そういう源次郎自身が、他の誰よりも厳しく子介を叱る事がある。
「自分で出来ることを人にさせてはいけない。できない事も、最初から人にしてもらおうとしてはいけない。失敗しないと、自分のどこが悪かったのかわからないだろう? 失敗を恐れてはいけないんだ。戦場で人に頼ると、その人も自分も危なくなるんだ。頼ることを覚えるんじゃない」
 小介には難しい説明もあったが、根気よく言い聞かせている源次郎を見ていると、全てにおいて公平な源次郎の物の見方が理解できてくる。
「人を傷つけてはいけないのと同時に、自分が傷ついてもいけないんだよ。六郎や小介が怪我をしたら、俺は悲しいし苦しい。臆病なのはいけないけれど、勇敢なのと向こう見ずなのは違う。最初から怪我をしてでも勝とうなんて馬鹿げているよ」
 配下の者を大切にする気持ちも持っている。
 三人は仲がよく、兄弟のように心を打ち解けているように見えた。
 源次郎は気軽に外へ出て、気軽に農地で作業をしている人の手伝いにも手を貸す。
「若様、助かります」
 誰もが真田の若君だと知りながら、遠慮なく手伝ってもらったりしている。
 ただ、源次郎は黙々と手伝っているのではない。色々な話を農民に聞いている。話題は巧みに源次郎の知りたい方へ向いていく。
 何か困っていることはないか、不平はないか、地方の噂などは届いているか。為政者として領民の声を聞きながら、また時には古い言い伝えなどにも興味を示して、特に老人の話などを聞きたがった。
「十蔵殿、手伝ってください」
 護衛である十蔵にも、源次郎は笑顔でねだってくる。どうやら自分の背丈では足りないことを手助けしようとしているらしい。
「この萱を立てて干すんだそうです」
 冬の備えに、屋根の葺き替えの用意をしなくてはいけないらしい。その萱の束が、小さな源次郎ではそもそも一束を持ち上げられない。
「今年は雪が多くなるかもしれないんだそうです」
 まだ冬の気配はしない。それなのに、どうして雪の多さまでわかるのというのだろう。
「えっと、夏の雲が少なくて、風が強い日が半夏生の前にあって、あと……?」
「川の虫が少ないんですよ」
 源次郎の脇で、手伝いにはそもそも向かなかった小介が川の中をじゃぶじゃぶと歩いている。そういえば、何とかの虫がいないと、子介が騒いでいたことを思い出す。
「そういう時は、雪が多くなるんだそうです。帰って父上に申し上げないと」
「御館様ならご存知ですよ」
 農夫が笑って請け負う。
「んーと、ならば、帰って父上に、そういう時は何をするべきか、教えてもらいます」
「そうですか。頑張ってくださいよ」
「はい!」
 源次郎は愛嬌のある笑顔で返事をする。農夫が嬉しそうに未来の殿様を見ている。
 のんびりした田舎だと、馬鹿にしていた気持ちが消えていくのを感じつつ、どこかに仕官するのなら雪の前に出て行かなければとわかっているのに、その雪がどうなるのか確かめたい気持ちが膨らんでいく。
 源次郎を見ると、くるりと振り返った子どもは、十蔵を見てにこりと笑った。
posted by 高野尾 凌 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

第一章−9−

 源次郎はよく武将達の集まりにももぐりこんでいた。
 軍議に同席することはさすがに許されなかったが、その後の宴会や、普通の集まりにはちょくちょく顔を出して、厳つい武将達の膝に座り、彼らの話を聞いていた。
 昌幸の息子、将来の城主ともなれば無碍にするわけにもいかず、聡明すぎると時には恐れられる源次郎も、そんな席では稚い童子のふりをする。
 しかも酒が入り、自分の手柄話をしたい彼らの話を、「もっと聞かせて」とばかりに目を輝かせて膝に乗られると、日頃の憂慮など忘れて口が滑るようになる。
「あの時わしが一番槍をつけたのじゃ」
 真田家臣の中でも一番の猛将として名高い矢沢元輔が口から唾を飛ばす勢いで自慢話をしている。源次郎はその膝に乗り、酒臭い自慢話を興味深そうに聞いている。
「一番槍は勇気のある証ですね」
「おぉ、よくご存知じゃ。わしは御館様より朱槍を戴き、一番に敵陣に乗り込むのが役目でござる」
「でも、一番先に駆け込むのは、矢が飛んできて危険なのでしょう?」
「矢などは怖くない。矢傷はいっぱいありますが、今も拙者を一番苦しめるのは、その時に敵大将につけられたこの槍傷です」
 矢沢が右腕をめくり上げ、二の腕から肘にかけて走る大きな傷跡を見せた。なまじ腕が太いものだから、傷もより大きく見えてしまう。
「今も痛むのですか?」
「雨が降る前に痛みますぞ。おかげで天気がわかって良いことでもありますがな」
 ちっとも痛さなど気にしていないように笑う。
「あとはちと重いものを持ち上げにくいくらいですか」
「騙されてはなりませんよ、若様。戦場で痛むふりをして槍を落とし、隙を見つけたとばかりに襲ってくる敵を返り討ちにするんですからな」
 隣から常田蔵持が野次を飛ばす。
 若には聞かせられない卑怯な話だと野次れば、矢沢が怒りを露にする。
「戦場に卑怯も何もあるものか」
「弱ったところを襲うほうが卑怯ですよね」
 思わず小さな味方を得て、矢沢が驚いて膝に乗せた子供を見た。
 源次郎は知っている。矢沢が時折、馬に乗るのに苦労しているのを。よく見ていれば右手をかばう仕草をすることもあって、昌幸は矢沢に対して、正式な礼をとらなくても叱ることはない。
「これは百人力の味方を得たぞ」
 矢沢が源次郎の頭をがしがしと撫でた。
 その手を取って、傷跡に小さな手を当てる。
「これは上田城の心柱についた傷と同じ。名誉であり、皆で守って手当する傷です」
 暖かな手に撫でられて、矢沢は心が震えた。
 傷を揶揄していた仲間達も、小さな手が傷を撫でる様を見ていた。
 一度戦場に出れば、傷など負って当たり前。命があって戻ってきただけでも儲け物と考える勇猛果敢な彼らにとって、傷は名誉であると同時に不名誉でもあった。
 その傷を城の中心を支える柱についた傷にたとえられ、皆の傷と言ってもらえたことが嬉しい。
「心柱に傷がついては困りますな」
 照れ隠しのように笑う。
「困りません。上田城はそんなに弱くないです。だって、父上が守っているのですから!」
 本当に誇らしげに源次郎は言う。
 周りはその笑顔を見て、揺るがない父子の絆を見た。
「もちろん、殿のことは我々が命に代えても守りますぞ!」
 拳を振り上げる男達に混じり、源次郎も小さな拳を上げる。
 ようやく臣下達に受け入れられた息子を見守りながら、昌幸は心の中に今もしこりとなっている、星の宿命を気にしていた。

posted by 高野尾 凌 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする